19 『この尋常ならざる存在』
グレイスに連れられ、ルークとロニーの二人はあっという間に避難所に着いた。二人を届けると、グレイスはすぐに戦場に戻っていった。
避難所と化した南の広場には大勢の人々が集まっていた。ロニーは家族を探しに行き、ルークもここに来てから約一時間、メリーナとフィルを探して回った。
しかし、ルークはどこにも二人の姿を見つけることが出来なかった。避難してきていた知り合いに話を聞いたが、二人の事は見ていないという返答しか返ってこなかった。
「あの、避難所はここ以外にもありますか?」
避難所の警備をしている兵士に、ルークは尋ねる。
『いや、ここだけのはずだ。誰かを探しているのか?』
「か、母さんと弟が居ないんです」
兵士は、唇を結んでルークを憐れむような表情を見せた。ルークはその表情の意味が分かり、体を震わせた。
『もしかしたら、誰かの家に隠れてるっていう可能性もある。もうちょっと辛抱するんだ』
口ではそう言ったものの、兵士の表情は変わらなかった。ルークは耐えられず、その場から走り出す。
『ちょっと! 待つんだ!』
兵士に呼び止められるが、ルークは気にせずに走り続ける。途中で知り合いに声を掛けられたが、それに答えずに走った。
南広場の出入り口を抜けて角を曲がったところで、誰かとぶつかった。
「すみません、でも――」
『ルーク!』
名前を呼ばれ、ルークは驚いて相手を見る。
「ミア……」
ルークとぶつかったのは、金色の髪を一つ括りにしたミアだった。隣には、ミアのお母さんが立っていることに気が付く。
『無事でよかった……!』
ミアは、きょとんとするルークに抱きついた。
*
『ルーク!』
メリーナはその眼にうっすらと涙を浮かべながら、ルークを抱きしめる。彼女の後ろには、足に包帯を巻いたフィルが立っている。
「母さん、フィル……」
メリーナとフィルの二人は、ミアの家に匿われていた。フィルは逃げる途中で転んで怪我を負ってしまったらしいが、普通に立っているところを見ると大した事は無いようだ。
『心配したのよ? フィルだけ帰って来て、ルークには会ってないって言うんだから』
どうやらルークが探し回っていた間、フィルは自分で家に帰っていたようだ。
心配されていたのは逆にルークの方だった。そこで、ミアと彼女のお母さんが避難所までルークを探しに行こうとしていたところ、ルークとぶつかったのだ。
フィルは下を向いている。きっと、数時間前にルークに怒鳴られたことを気にしているのだろう。
「フィル……ごめんな」
ルークは、フィルの元へ歩いていくと謝罪の気持ちを述べた。フィルは驚いたようにルークを見上げると、その瞳に涙を浮かべる。
『僕も、ごめんね』
ルークは気が付いた。フィルも、ルークと同様に責任を感じていたのだ。自分を探しに行ったルークが帰らず、きっと不安だったのだろう。
こうして、兄弟は仲直りした。
*
駆け付けた王国騎士団の活躍により、アンドロメダ兵は一掃された。
数では圧倒的に押されていたにも関わらず勝てたのは、聞くところによると騎士団の中に国内最強級の魔法剣士が居たそうだ。その真偽は分からないが、ルークは自分たちを助けてくれた少年を思い浮かべた。
しかし村の北部は一部が破壊されてしまい、スレッドマン家がどうなったかは分からなった。安全の為に、ルーク達はミアの家に泊めてもらうことになった。
『じゃあ、おやすみ』
隣でベッドに寝そべるミアが言った。
「お、おやすみ……」
ミアの家には三つのベッドがあった。ミアとその両親のものが一つずつだったが、父親は不在だった。
そのため彼のベッドにメリーナとフィルが寝ることになり、余ったルークは結局ミアの部屋に回された。
まだ十歳で相手が幼馴染とはいえ、同い年の女の子と同じベッドで寝ることになったルークはかなり動揺していた。そのためなかなか寝付けず、布団の中でもぞもぞとしていた。
『ねえ、ルーク』
「え、な、何?」
突然話しかけられて、ルークは振り向いた。自分がいつまでも動いている事への文句なのかと思い焦る。
しかし、天井を向いて寝ているミアの口から出た話の内容は、全く別のものだった。
『パパたち、どうしてるかな?』
予想外の質問にルークは呆気にとられる。
ミアの父ロイド・フォークスもまた、王都に召集されていた。そしてルークの父ジークと同様に、二か月ほど連絡が途絶えているのだ。
『パパね、家ではあんまり喋らないんだ。仲が悪いわけじゃないんだけど……王都に行く前も、行ってらっしゃいしか言えなかったの』
ルークは返す言葉が見つからなかった。ジークとロイドは仲が良かったため、彼と会った事は何度もある。しかし実際に言葉を交わしたことは殆どなかった。
それでも彼がミアや彼女のお母さんを愛しているという事は、子供ながらに感じることが出来た。
『なのに、こんなことになっちゃって……もっとたくさん話してればなって……』
ミアは、声が震えていた。今にも泣きだしそうだ。
父親の心配をしているのは自分一人だけではない。ミアもルークもそのことは分かっている。そのため、彼女は同じ悩みを持つルークに相談したのだろう。そうして、少しでも不安を誤魔化すために。
しかしルークはどうして良いのか分からない。咄嗟に、ルークはミアを慰めようと彼女の手を取った。
「ミア……」
小さくて温かい手を握り、ルークは彼女の名前を呼ぶ。ミアのかすかな震えが止まったような気がした。
「きっと大丈夫だよ。俺の父さんも、ミアのお父さんも強いから。アンドロメダの奴らになんか負けやしないって」
『そうかな……?』
ルークは数時間前にメリーナに励まされたことを思い出し、同じ言葉を紡ぐ。この言葉を聞いてルークは安心した。
しかしミアは、それでもまだ不安そうだ。
「えっと……そ、そうだ、母さんが言ってたんだ。母さんは、父さんが大丈夫だって分かるんだって。だからミアのお母さんが悲しんでないのは、きっとお父さんが大丈夫って分かってるからなんだよ」
かなり駄目元でミアを励ましてみる。正直ルークはミアのお母さんがどういう風に思っているかなど全く知らない。しかしつい、成り行きで口から出てしまった。
勝手な憶測で話してしまい、こんなことでは逆効果かも知れない。
しかし彼女の反応は予想外のものだった。
『そっか……』
彼女はただそう一言天井を見たまま発し、それ以降何も言わなかった。ルークは何だか気まずくなり、彼女の手を握ったまま顔だけ反対を向ける。
しばらくしてから、ミアは再び口を開いた。
『ルーク』
「うん……?」
ルークは恐る恐るミアの方を向く。彼女の透き通った目と目が合った。
『ありがと』
ミアはルークを真っ直ぐに見つめると笑顔でそう言った。そしてその言葉を最後に握っていた手の力を弱めると、ルークに背を向ける。
ルークは安心した。何故ならこの時、自分でも分かるくらいに頬が紅潮していたからだ。そして「う、うん」と言うと、ルークもミアに背中を向ける。
赤面した自分の顔をミアに見られずに済み、ルークはホッとした。
しかし、背を向けたミアの顔もまた真っ赤になっていたことに、ルークが気づくことはなかった。
それからどれだけ経っただろうか、ルークはなかなか眠れなかった。いつもと違うベッドであるし、何よりこんな状況だ。
ミアはあれから何も話さず、ただ寝息だけが聞こえる。もう寝たのだろうか。
もぞもぞしていたら彼女に悪いし、ルークは一度ベッドから起き上がることにした。
ミアはやはり寝ていた。めくれた布団をそっとなおすと、ルークは部屋を出る。
さて、これからどうしようか。他人の家の中を嗅ぎまわるのは良くないし、散歩でもするとしよう。そう考えたルークは、階段を下ろうとする。
その時、廊下の奥から物音がした気がした。
奥には確か、フィルとメリーナが寝ている部屋があるはずである。まだ起きているのだろうか。
ルークは話をしようかと思い、奥の部屋まで歩いていくとドアを開けた。
「――!?」
ルークは息を呑んだ。
何故ならドアを開けて目に入ったのが、窓の傍に立つ黒い影だったからだ。
ルークの入室に気が付いた影は、こちらを振り向く。その腕には、恐怖におののくフィルが抱えられていた。
「フィル!」
口の部分を手で塞がれていたフィルは、口をもごもごとさせた。すると影は痛そうにして一瞬手をどける。フィルが噛んだのだ。その隙にフィルは叫ぶ。
『兄ちゃん――!』
ルークの助けを求めるフィルの声。しかしまた黒い手が伸び、フィルの口元を覆った。
影だと思っていたこの存在には実体があった。真っ黒な服に身を包んでいて、フードを被っている。そしてその下は、奇妙な模様が描かれたマスクで顔を覆っている。ルークは、彼の額に目のような模様があることに気が付いた。
「フ――――」
フィルを放せ、そう叫ぼうとした。このままでは、フィルの身が危ういし。この場で彼を助けることが出来るのは、ルークただ一人だ。
今までに感じたことのないほどの恐怖を感じた。
筋肉が硬直して体が動かない上、喉が詰まったように声を出すことすら叶わない。メリーナも目を覚まさないし、まるでこの部屋の時間が止まっているかのようだ。
フィルを助けないと。彼は恐怖に目を見開き、助けを乞うようにこちらを見ておる。
それなのに、
――何で、動かないんだ……!
ルークの本能が訴えていた。いまルークが対峙しているこの存在は、尋常ではない。
彼は人差し指を立てると、それで自分の額の目の模様とルークを順番に指さした。まるで、ルークの事を監視しているとでも言うかのように。
次の瞬間、彼は後ろ向きに窓に倒れ込む。そしてフィルを掴んだまま、窓の外へ落ちていった。
彼が居なくなった途端にルークの体の硬直は解ける。すぐさま窓に駆け寄り、二人が落ちていった方向を見た。しかし、そこには誰の姿もない。
「そんな……」
フィルが攫われた。たった今、目の前で。
フィルは必死に助けを求めていた。それなのに、ルークは何もする事が出来なかった。
――そんな、そんな、そんな……!
ルークは焦る。呼吸が荒くなり、頭が真っ白になった。
ルークのせいだ。ルークが何もしなかったから、何も出来なかったから、フィルを失った。
「フィルーーーーっ!」
暗闇に向かってルークは叫ぶ。しかし、静けさの支配する闇の中から返事が返ってくることは無かった。
その時、観察室のドアが開く。そこに立っていたのは、ライラだ。
ルークは汗を掻き、過呼吸になって震えている。ライラが来たということにも気付かずに、ただ「フィル……」と、守ることが出来なかった弟の名前をぼやき続けていた。
ライラはその様子を見てFO-21の効き目を確認する。
目の前にいるルークには届かないと分かっていながらも、こう言った。
「処置の時間です」