18 『失う事への恐怖』
『兄ちゃん、剣の練習しようよ』
「ごめんフィル。今は無理なんだ」
『えぇ、やろうよ。僕新しい技考えたから、兄ちゃんに見せたいんだ』
そう言うと、フィルは片手に持った木剣を振り回す。
その剣先が机に当たり、衝撃で机の上にあったインクつぼからインクが零れた。インクは、ルークが書いていた手紙に染みを作ってしまう。
「おい、何するんだよ!」
『ご、ごめん』
「父さんに手紙を書いてるんだ、あっち行ってろ!」
机に向かっていたルークは、ついカッとなりフィルに向かって声を荒げる。彼はしょんぼりと下を向いた。
『僕はただ――』
「いいから行けって!」
フィルは反省しているようだ。しかしルークは気が立っていて、彼の言動一つ一つにイライラしていた。
怒鳴られたフィルは、そそくさと部屋を出て行く。ルークはそんなフィルに振り向きもせず、汚れた羊皮紙を丸めた。
『ちょっとどうしたの、ルーク。フィルが走って出てったけど』
後ろから聞き馴染んだ女性の声が聞こえる。母のメリーナだ。
ルークは、母の入室に振り返ると、言い分を述べる。
「だってフィルの奴が……」
メリーナは、ルークの傍まで寄ると机の上の丸まった羊皮紙を見た。
『また、お父さんに?』
流石は母親、それを見ただけでルークの状況を察したようだ。ルークは頷くと、胸に溜った思いを打ち明ける。
「あいつ、こんな状況なのに無神経なんだよ。二か月も父さんから便りが無いのに……」
ルークは下を向いた。父の事を口にした途端に不安が溢れてきてしまう。
アンドロメダとの戦争が激化する中、父ジークは王都に召集されていた。それが約半年前で、それ以来彼は一週間に一回手紙を届けてくれていた。
しかし二か月前、その父からの便りが急に途絶えたのだ。こちらから手紙を送っても返事は無く、父の安否は不明のままだった。
メリーナは、膝を折ってルークの高さに目線を合わせた。
『あのね、ルーク。フィルはまだ小さいけど、それでも父さんの事を心配してるのよ。あなた程ではないけれど、あの子もあの子なりに分かってるの』
「でも……」
『もしかしたら、フィルは落ち込んでるあなたを元気づけたかったのかもしれないわね』
ルークは父からの連絡が途絶えて以来、ずっと父の事が心配でならなかった。そのため、毎日のように手紙を書き、それを王都へ送っていた。
これが自分の不安感を少しでも打ち消すための行為であるという事は、十歳ながら分かっていた。それでもルークは毎日机に向かい続けている。
もしかするとフィルは、そんなルークの気を紛らわせてあげようとしていたのかもしれない。
『それにねルーク、母さんには分かるの。父さんはきっと大丈夫』
「……なんで分かるの?」
『ただ、そう感じるの。父さんと母さんの間には、特別な絆があるから』
メリーナはそう自信満々に言い放った。しかし、ルークはそれでは納得できない。
「そんなの……」
『当てにならない? でもね、案外こういう勘は当たるのよ。それに父さんは強い。そこら辺の兵士さんとは比べ物にならないくらいにね』
結局、その絆というものはルークには良く分からなかった。それよりも、ルークにとっては後半の部分の方が説得力がある。
「そうかな」
『ええ、きっとそうよ』
メリーナはニッコリと微笑むと、ルークの頭を優しく撫でる。
ルークは自分の間違いに気が付いた。初めから、彼女の言うことを信じていれば良かった。きっと、ジークは大丈夫であろう。
「フィル……」
フィルに悪いことをしてしまった。ルークは彼への行いを反省した。メリーナはその呟きから何を言おうとしているか察したようで、口を開く。
「注射の時間です」
「うん……フィルに謝ってくる」
ライラは椅子に拘束されたルークの腕の服をまくると、注射器いっぱいに詰まったFO-21を体内へ流し込む。そしてそれが終わると、何も言わずに観察室を出て行った。
ルークは母メリーナが部屋を出て行く様子を眺める。そして、机の上に散らかった羊皮紙を片付け、フィルを探しに出掛けた。
*
「フィルー! どこに居るんだー!?」
町はずれの広場、あの日ルーク達が居た場所で、ルークはフィルを探していた。てっきりこの辺りに居ると思っていたが、どこにも彼の姿は無かった。
『どうルーク? 居た?』
ルークに駆け寄ってきた人物、ロニーはフィルの捜索を手伝ってくれていた。しかし一向に彼は見つからず、辺りはもう暗くなり始めていた。
「ううん、ここに居るって思ってたのに……」
『もうこんな時間だし、大人の人に手伝ってもらった方がいいよ』
「でも……」
ルークはそれも思いついたが、躊躇っていた。何故なら、大人の人に頼れば、町の人を巻き込む大事になる。もしそうなれば、きっとルークは責められるからだ。メリーナだって先程は優しかったが、流石にルークの事を叱るだろう。
そのため、フィルの事は何としてでも自分の手で見つけ出したかった。しかしロニーの言う通り、もう日が暮れそうだ。大人の人に任せた方がいいかも知れない。
「一回家に帰ろう。もしかしたら、入れ違いになったのかも」
『うん。でも、もし居なかったら、大人の人を呼ぶ。分かった?』
ルークは頷く。そして、二人はルークの家を目掛けて走り出した。
その時、村に警報が鳴り響いた。
『敵襲! 北商店街付近でアンドロメダ軍を確認! マークル村北部の住人は、直ちに避難して下さい!』
拡張魔法で大きくなった声が聞こえる。近くに居た人々は皆青ざめ、それはルークとロニーも例外ではない。
「北商店街って……すぐそこじゃねえか」
『ルーク、早く逃げないと!』
「……でも逃げるったって、こんな小さい村でどこに!?」
『と、とにかく、南に逃げよう!』
二人は逃げ惑う人々に混ざって、南を目指して逃げようとする。しかし、ルークの足が止まった。
逃げようとしていたロニーはルークが来ていないことに気が付いて振り返る。
『何してるんだ、早く逃げないと!』
離れているため、ロニーはルークに向かって叫んだ。
「母さんと、フィルが……」
『え?』
アンドロメダ人が出たのは、村の北だと言っていた。ルークの家は、商店街からは少し離れているものの北側に位置している。
ロニーはそのことを察したようで、ルークの元に駆け寄ってきた。
『どうするんだルーク! 早く決めないと』
フィルが家に帰っているかどうかは分からない。しかし、家にはメリーナが居る。このまま逃げるという事は、彼女を置き去りにするという事になるかもしれない。
『冷静に考えるんだ、僕らが行ったって……』
「でも……」
ロニーの言う通りだ。ルークが助けに行った所で、アンドロメダと戦える訳でもない。
ルークは自分の強さに対して、客観視出来ていたのだ。どれだけ子供相手には強いといっても、王国騎士団の騎士が苦戦するような相手に適うはずがない。
『君が選べ、ルーク』
「……た――」
ルークが口を開いて助けに行くと言いかけたその時、甲高いラッパの音がした。
『ケインズ軍の合図だ!』
『助けが来たぞ!』
人々が口々に叫ぶ。
その時、近くの建物の上に赤い光の輪ができ、中からローブを来た女が出てきた。彼女は逃げ惑う人々に向かって叫ぶ。
『ケインズ駐在、王国魔法騎士団です! 落ち着いて下さい、助けに来ました!』
彼女がそう叫ぶとともに、周りに複数の魔法使いたちが現れる。人々は彼らを見て歓喜の声を上げた。
『現在、町の北東部が攻撃されています。ですので、皆さんは南西の学校の方へ逃げて下さい』
女が言うと、村民たちはこぞって学校を目掛けて走り始める。
彼女は北東部が攻撃されていると言った。ルークの家があるのは北西部、攻撃されている場所からは少し離れている。
『行こう、ルーク。皆に追いつかないと』
ロニーは足が止まったままのルークにそう言った。見れば、逃げていないのは二人だけで、村の人々はもうここから遠ざかっていっている。
「う、うん」
ルークは逃げる事にした。王国魔法騎士団に任せておけばきっと大丈夫なはずだ。ルークとロニーの二人は、先に逃げていく人々を追う。
しかし、敵の脅威はもうすぐそこまで迫っていた。
『危ない!』
先ほど指示を出した女の声がした。二人が振り向くと、彼女が魔法陣を展開して敵の兵士の攻撃を防いだところだった。もうここにも、奇妙な鎧に身を包んだアンドロメダ兵が数体来ている。
『早く逃げなさい!』
「は、はい!」
ルークとロニーは走り出す。
ルークは気が付いた。この場は、かなりこちら側が不利になっている。何故なら、ここに居る味方と敵の数は、圧倒的に敵が多いのだ。
それも当然、まだ攻撃があってから時間が経っていない。マークルには軍などいないし、先程の女魔法使いはケインズ在住と言っていた。しかし、こんなに早く駆け付けることが出来る兵士、つまり魔法が使える者の数は限られている。
『なんでこんな小さな村にアンドロメダが……?』
ロニーが走りながらそうぼやく。しかし今はそんなこと気にしている場合ではない。敵は、すぐそこまで迫っている。
その時、目の前にアンドロメダ兵が現れた。
「ロニー!」
ルークは咄嗟にロニーに飛び掛かる。アンドロメダ兵の放った銃弾は、ついさっきまで二人が居た所を突き抜けていった。
二人は転がって銃弾を避けることは出来た。しかし、その先にあったのは民家だ。後方を見るが、そちらからもアンドロメダ兵が迫ってきている。逃げ場を失った。
ルークとロニーは下がるが、民家の壁にぶつかった。もう、お終いだ。ルークは終わりを覚悟し、目をつぶる。
『そこまでだ』
次の瞬間、辺りに衝撃が走った。
ルークはゆっくりと目を開ける。目に入ったのは、真っ二つに割れた、今まで二人を囲んでいたアンドロメダ兵たちだ。切れ目から出ているのは血ではなく、赤や青の線である。
顔を上げると、これをやってのけたと思われる人物が立っていた。片手に黒い剣を持つ男、いや少年は、二人を見てこう言った。
『私はケイナン・グレイス、王国魔法騎士団の魔法剣士だ。もう大丈夫だよ』