17 『そして夜は明けていく』
瞼を開けた途端、光に目がくらみルークは顔をしかめた。
頭がズキズキと痛む。それに加え、倦怠感がして体が重たく感じる。
目の前に人の影が見えた。明るさに目が慣れていく内に、その輪郭が定かになっていく。腕を組み、その鋭い目でこちらを見下ろす少女。
「お前は……」
彼女を見て、次第に状況を思い出してきた。
脱走を企てたルークとシャノを妨害した少女ライラは、こちらが目を覚ましたことに築くと、腕の装置に向かって話しかけた。
「起きました。始めます」
ルークは、自分が白い壁に囲まれていることに気が付いた。ここは観察室だ。脱出まであと少しのところまで行っていたのに、逆戻りという訳だ。
しかし今回は違う点もある。それは、前は無かった椅子が部屋の中央に置かれていて、自分はその椅子に拘束されているという事だ。
「クソっ、何だよ……」
ルークは腕を動かそうとするが、手首のところにひんやりと冷たい手枷があり、それが椅子のひじ掛けの部分に繋がっている。恐らく金属製で、同じものを腹と足首にも感じた。
身じろぐルークを気に留めることもなく、ライラは観察室のドアを開けた。
「確か、ライラだったよな?」
ルークはライラに話し掛ける。しかし彼女はこちらに背を向けたままで、何の反応もない。それでもルークは話し掛け続ける。
「お前、ここで何やってるか知ってるか? ヘルツォークの奴が何を企んでるのか分かってるのか?」
もし、ライラがこの研究所で行われている事を知れば、シャノと同様に気が変わって助けてくれるかもしれない。ルークはその可能性に賭けた。しかし、
「ええ、勿論」
彼女の返答は期待外れなものだった。ライラはこちらを振り返り、平然とした様子でいる。
「ここで行われているのは、意識の移植。それくらい知っています」
「――っ、じゃあ何でお前はこんなことやってんだよ! 何でヘルツォークに肩入れする!?」
ライラはさも当たり前の事のように研究内容を語った。そんな彼女の様子に、ルークは無性に怒りを覚える。
「ここで起こっていることは、奇跡です。今までに誰も果たせなかった、運命を超越するという事を、ヘルツォーク様は成し遂げたのです」
「何言ってる! これのどこが奇跡だ!」
「いいえ、奇跡ですよ。この研究は、人類を、世界を救済する。素晴らしいことだとは思いませんか?」
「素晴らしいだと……? 俺らの事を殺しといて何が救済だ、自分の事しか考えてないだろ!」
「……何も分かってないんですね」
あたかも自分達は神であるかのように、偉そうに語るライラに怒りが頂点に達する。拘束されていなければ、彼女に飛び掛かっていたところだ。
ダメだ。全く話が通じない。彼女と言い争っても永遠に平行線でキリがない。これ以上感情的になっても無駄な体力を消費するだけ、この状況から脱却する方法を考えなければ。
「準備が整いました。今から質問をします」
しかし彼女はルークに逃げ出す隙など与えてくれない。ライラはルークが目覚めた時と同じように目の前に立つと、
「説明してください。あなたが何故、ここから出られたのか」
「……話すことなんかねえよ、この偽善者が」
その瞬間、ルークの体に衝撃が走った。
胸の中が破裂したような重い痛みを感じ、体中の毛が逆立って手足の痺れが止まらない。
呼吸が荒くなり、ルークは息を切らしながら言う。
「お前、何、しやがった……?」
「少量の電流を流しました。体が傷ついてしまってはクライアントに合わせる顔がありません。でも、正直にすべてを白状するまで続きますよ」
またルークの体に電流が流れ、うめき声を上げる。
何が少量だ、こんなものを食らい続ければ意識が飛んでいく。
「順を追って聞きます。まず、何故、ここでやっていることを知っているのですか」
「……マギアヘイムの事なめんじゃねえぞ、お前らの企みくらい皆知ってんだよ」
「嘘ですね」
電流が流れる。何故ハッタリだと分かったのだ。
しかし真実を知られてはならない。もし彼女がシャノの裏切りを知れば、彼女はどうなるか。
「どうやってここから出て研究所内を自由に動き回れたのか。錯乱状態からも回復して。これは明白ですね。シャノを使ったのでしょう」
ライラは簡単に全てをシャノと結びつける。共に居る所を彼女に見つかったのだから、当然か。
しかしマズい、シャノの名前が出てきてしまった。どうにか誤魔化さないと、シャノの運命は今、ルークが握っているといっても過言ではない。
「どうやったのですか? 彼女をたぶらかした? そうだとしたら、シャノも趣味が悪いですね」
「ふざけんなよ、調子に乗りやがって。お前らの頭は従順に育てたつもりかもしんねえけど、あいつはちょっと脅かしただけで直ぐに色々吐いてくれたぜ」
ライラはルークの話を聞いて考えている。ルークはなるべく自然に聞こえるように脅したことを白状したつもりだったが、ライラに通じるかどうか不安だった。
「……仮にそれが本当だったとしても、納得がいかない点があります。何故シャノはあなたを元に戻せたのですか? シャノはどこで研究の事を知ったのですか?」
「んな事俺が知るか」
どうやら、ルークがシャノを脅したという点に関してはあまり疑問を抱かれなかったようだ。しかし、今問われた二つの質問に関しては、ルークも知らない。自分が逃げることに必死で、そこまで考えが回らなかった。
再び椅子に電流が流れ、ルークの体が反り返る。体の関節が動かなくなり、胸から腹部にかけてを絞られるような痛みを感じる。
「白状しなさい」
「だから、知らないって、言ってんだ――」
息を切らしながら訴えるルークの体を電流が走る。白状しろと言われても知らないことなど言いようがない。
「白状しなさい」
「知らねえ!」
電流。傷つかない程度にと言ったが、本当にそのつもりはあるのか。
「白状しなさい」
電流。ルークの命の糸が、今にも切れそうなのを感じる。
「白状しなさい」
電流。もうだめだ。
「白状――」
「そこまでにするんだ、ライラ」
今にも意識が途切れそうになった時、男の声がした。彼のライラへの指示に、皮肉にもどこか安心感を覚えてしまった自分がいる。
ライラの拷問を中断させた車椅子の男、ヘルツォークがドアから入ってきた。
「ですがヘルツォーク様、まだ彼は――」
「私に逆らうつもりか? 止めろと言っている!」
初めて聞いたヘルツォークの怒鳴り声だ。ライラは「はい」と言うと、後ろに下がって俯いた。
ヘルツォークはルークの近くに寄ると、震えながら項垂れるルークの顎を持ち上げた。
「随分と辛い思いをさせたね。済まなかった」
「ヘル、ツォーク……」
「おお! 名前を憶えてくれているとは。でもそうか、FO-21の効果は切れているんだね」
なぜこの男はこんなに楽しそうなのだ。ルークは微笑みながら言うヘルツォークを見て疑問に思った。彼には、ルークはただの実験対象で、体が無事ならばそれで良いのだろうか。本当に狂った男だ。
「はい。いつから切れていたかは不明ですが……今回の件は、シャノが彼を助けたようです」
「へえ、シャノが」
シャノと聞いた途端、僅かにヘルツォークの声が低くなった。
「彼が言うには、シャノは脅されて彼を助けたと。真偽は分かりませんが、今は他の観察室に閉じ込めています。彼女はどうします?」
「あの子は私のお気に入りだけど、再教育は必要かもしれないね。後で話を聞きに行こう。私に良い考えがある」
「了解です。彼の処置はどうしましょうか? FO-21が切れていたことを考慮すると、何日か延期した方がいいかも知れません」
「……君の言い分も一理ある。でも処置が伸びればスケジュールに支障が出る。明日の夜、処置を行おう」
「了解しました」
そう言うと、ライラは何やら腕の装置をいじった。「さて」とヘルツォークがルークの方に向き直る。
「君に話がある。先に言っておくが、私は差別主義者じゃない。君たちにも私たちと同様の権利があると考えているし、君からそれを奪おうとも思わない」
ヘルツォークはルークの事を指さして言う。ルークは、何となく嫌な予感がした。その予感は的中する。
「でも」とヘルツォークは車椅子からその身を乗り出したかと思うと、
「君ごときがこの崇高な計画を知った事。そして何より、私のシャノを利用した事は許せないなぁ!」
目を見開き、敵意をむき出しにして叫ぶ。先程の彼の様子からは考えられない変わりようだ。
ルークは彼に言い返したかった。この計画の事も、シャノの事も、何一つ納得がいかない。しかし、電流で体力を消費していた上、ヘルツォークの勢いに押し潰されそうになっていた。
「だから、君には苦しんでもらわないと。普通なら、最終処置では全身麻酔で眠らせて処置を行うのだけど、君には打たないであげよう。その代わり、FO-21、あの幻覚剤を大量に使う」
楽し気に言うヘルツォーク、しかしその表情は怒りが見え隠れしている。目の端で、ほんの少しライラが眉をひそめた。
「あの薬はね、少量だとただの幻覚が見えるけど、大量に使うと過去のトラウマとなっている記憶を掘り返すんだ。君はたちまち、何も判断できない程気が狂うだろう。上も下も分からない状態で、ただ恐怖と痛みに悶えながら消えていくが良い!」
言い放った彼の顔は、まさに狂気に満ちていた。
ルークは確信する。ヘルツォークは、本当にシャノの事を大事に思っているのだ。そして彼女を脱出の為に使ったルークに怒りを覚えている。ルークは、そんな彼の愛情と呼ぶべきか分からない執着心に、恐怖までも覚えた。
「ライラ、明日の夜まで三時間に一回注射をしろ。最初は少量で、回数を重ねるごとに量を増やすんだ」
「はい」
ライラの返事を聞くと、ヘルツォークは反対側を向いて去っていく。去り際にドアの前で止まると、振り返ってルークに言った。
「じゃあルーク。明日の晩を楽しみにしてるよ」
そう手を振ると、彼は姿を消した。
その後ライラは手に注射器を持ちルークの目の前に現れた。抗おうにも手足を拘束されており、ルークは成す術もなく注射をされる。
「脅したというのは嘘でしょう? シャノは恐らく殺されるでしょうね」
「……お前、心が痛まないのか? あいつは仲間だろ?」
「少しも。すべて彼女の自業自得です」
ああ、ライラは本当に性根が腐っているんだ。ルークはそう思った。
世界が、人類がなどと言っていたが、あんなに薄っぺらく聞こえた言葉は無い。彼女はきっと仲間の事も、ルーク達の事もどうだっていいのだ。彼女にとって重要なのは、ヘルツォークに仕える事と、自分の事だけなのだろう。
――シャノ、お前だけじゃねえか。
人の役に立ちたいと考え、見ず知らずのルークの為に命まで危険に晒して。いや、もうその命も絶たれる寸前なのかもしれない。その善意に付け込まれ、自分が何をしているのかすら知らされていなかった。
なぜ懸命に生きているシャノが報われなくて、自分の為に生きるライラが平然としているのだ。
誰もいない部屋に、薬が効き始めたルークはただ一人閉じ込められた。しかし今回はルークを支えてくれたシャノは居ない。
*
そして、夜は明けていく。