14 『自然の摂理を超えた研究』
「俺が、消える……だと?」
ルークは明日消えると、シャノは確かにそう言った。ルークは衝撃を受ける。当たり前だ、突然の死亡宣告には誰もが同じ反応をするだろう。
しかし、気がかりな点があった。それは、
「それって、死ぬってことか?」
シャノは、ルークが『死ぬ』ではなく、確かにルークという存在が『消える』と言った。普通ならば、こういう状況の場合は前者が適切であろう。アンドロメダでは消えるという文化なのかもしれないが。
しかし、ルークの推測は正しかった。
「いいえ、『消える』んです。体自体は残り続けます。しかし、あなたという存在、つまり、意識が消滅します」
ルークは、シャノの言っている事が理解出来ずに困惑した。死ぬというのは意識が消えることであり、体は抜け殻として残ると認識している。シャノが言っていることは死ぬという事ではないのか。
「困惑するのも当然です。それには、ここ、プラムバーグ研究所で行われているある研究が関係しています」
プラムバーグ研究所、初めて聞く名前だ。やはりここは王都ではなく、はたまた病院ですらなかった。
シャノは、気後れしているかのように困った顔をすると、
「言っていてなんですが、実は私も最近知ったばかりで、あまり詳しくは分かっていないんです。ですが、ここでやっているのは……」
シャノは、警戒するように周りを見回した。しかし周りにあるのは真っ白な壁と、巨大な鏡だけである。鏡には深刻そうに顔をしかめるシャノとその顔に疑問を浮かべるルークだけが映っていた。
シャノはルークの方に向き直り、真に迫った様子で言う。
「意識の植え替えです」
「……は?」
ルークは思わず口に出して言ってしまった。
「私が知っている限りだと、この研究所で行われている研究の一つ、それは、死んだ人間の意識を、生きた人間の体に移すというものです」
シャノは補足の説明をした。
頭がこんがらがる中、ルークは情報の整理をする。
死んだ人間の意識を生きた人間の体に。現在の場合、ルークは後者に当たる。つまりは明日になると、ルークの頭には他人の記憶が植え付けられ、存在が消えてなくなるのだ。
「嘘だろ……そんなことって……じゃあ、俺が連れ去られたは……」
ルークがカーナンに攫われた理由、それは死んだ人間の器になる為だったというのか。
死んだアンドロメダ人の同胞を救うために、ルーク達、マギアヘイムの人を連れ去って殺しているのか。いくら何でも、それは質が悪すぎる。
「何で、何でそんなことが許されるんだよ……」
ルークは、自分の声が震えていることに気が付いた。
「俺らの事を殺すだけじゃ飽き足らず、そんなクソみたいな使い方しやがるのか!」
「お、落ち着いて下さい!」
「落ち着いていられるか! 自分らの仲間の為だったら敵に何したって良いってのか!? 傲慢にも程があんだろ!」
思わず頭に血が上り、ルークはシャノに向かって怒鳴る。シャノはそんなルークをなだめようとする。
「怒るのは当然です。こんな事は決して許されてはいけないはずで、人の権利を軽視し、自然の摂理を超越した、恐ろしい行為です。でも誓って言います。私は知らなかったんです!」
「知らなかったって……」
「知らなかったでは済まない」と、そう怒鳴り返したかった。ヘルツォークの口ぶりだと、その恐ろしい研究で犠牲になったマギアヘイム人は一人や二人では済まないだろう。
しかし、必死に訴えかけるようにルークを見つめる緑がかった青い瞳、それがミアと重なった。それに、シャノは実際ルークを助けてくれている。そんな彼女を強く責めることは、ルークには出来なかった。
なんともやるせない気持ちなり、ルークは拳でベッドを叩いた。
「私に助けさせてください! あなたを、ここから逃がします」
「……俺を、ここから出してくれるのか?」
「はい。明日になれば、処置が施されてあなたの意識は完全に別のものに上書きされます。だから、それまでに……」
ルークは考えた。シャノの必死さは、彼女が言っている事が嘘ではないという裏付けになり得る。そもそも、彼女の他に頼る人が居ないというのも事実だ。
この白い箱の中に閉じ込められたルークに手を差し伸べてくれたのは、他でもない、シャノだけである。
「分かった。俺を助けてくれるって言うなら……今の俺にとって、乗らないはずがない話だ」
「……はい。では――」
「でも」
ルークは、話を進めようとしたシャノの言葉を遮った。
「流石に、話が旨過ぎるんじゃないか?」
シャノは目を見開き、驚いたような表情をした。
今ルークの置かれた状況に、差し伸べられた手。幸運と考えることも出来るが、慎重に考えるとあまりにも話が出来過ぎているように感じる。
「何で出会ったばかりで見ず知らずの俺の事を、自分を危険に晒してまで助けてくれるんだ?」
シャノとルークは、まだ昨日出会ったばかりの関係。昨日のルークの状態を考えると、まともに話したのは今日が初めてである。
それなのにシャノは恐らく自分の上司か何かであるヘルツォークに隠れて、ルークを助けている。普通、初対面の人間にそこまで出来ないだろう。
「もし何かあるんだったら、教えてくれ。何で、そんなに親切にしてくれるんだ?」
「それは……」
シャノは痛い所を突かれたのか、下を向いてしまった。
シャノの事を信じたい。信じられなければならない。それが出来なければ、ルークは終わりだ。
それでも昨日ヘルツォークに騙されていたこともあり、今は余計に用心深くなっている。それに、やはりシャノの話は出来過ぎな気がしてならない。
「私は、十年近くここで働いてきました。この研究も、初期段階の頃から参加しています」
十年という数字にルークは驚く。という事は、かつてルークが調子に乗って剣を振り回していたあの頃の時点で、シャノはもうここで働いていたという事になる。
「その間ずっと、私は自分が正しいことをしていると思っていました。これが、誰かの為になっていると……でも、ちょっとした事で本当の事を、自分が何をしていたのか知ったんです」
シャノは自分の過去を振り返り、悔しそうに歯を食いしばる。
正しい事をしていたと思っていた、という事は、本来の研究の目的とは違うことを聞かされていたのだろうか。
「今までにやってしまったことは取り返せません。知らなかったから仕方がない、なんて無責任なことでは済まされないことも分かっています」
シャノは、本当に申し訳なさそうにしている。シャノが言葉を途切らせたので、ルークが引き継いだ。
「だから、その罪滅ぼしに俺を助けてくれるってことか?」
「そう、なんですけど、なんていうか……」
シャノは素直に首を縦に振ろうとはしなかった。少し考えると、顔を上げてルークの目を真っ直ぐに見る。そして、シャノは言った。
「正しいことをするのに、理由は必要でしょうか?」
ルークは息を呑んだ。頭の中に、過去に言われた言葉が響く。
『人を助けるのに理由なんていらないわ』
数日前、いや、本当はもっと日が経っているかもしれない。あれが何日前にせよ、これはルークを助けに来たミアに言われた言葉だ。
今シャノが言った言葉と一言一句同じ、という訳ではない。しかし、その意味はほとんど同じである。
ルークは自分を見つめるシャノを見つめ返す。
少し曇った空色の丸い大きな目。あどけなさが残るその顔立ち。シャノの放った言葉は、ミアのものと偶然にも一致していた。いや、本当に偶然だろうか。
その時、ルークに熱い視線を送られ続けていたシャノは、頬を赤らめて恥ずかしそうに顔を背けた。その様子に、ルークは小さく吹き出す。
「こんな事考えたってしょうがないよな」
「え?」
突然笑みをこぼしたルークとその呟きに、シャノは疑問の色を浮かべる。
「いや、何でもない。疑って悪かった。信じるよ、シャノの事」
ルークはそう言うと、シャノに笑顔を送る。
シャノとミアの関係は分からない。二人の酷似は、何か理由があるのか、はたまた本当にただの偶然か。しかし、今そんなことに悩んでいたって何も変わらない。
それでも、二人は似たような考え方をしている。酷いこじ付けかも知れないが、シャノを信じるというという事はミアを信じることと同じかもしれない。正直、ルークは彼女を信じる理由が欲しかっただけなので、もうそれだけで十分だった。
シャノは少し驚いたが、安心したのか強張っていた肩を下した。
「ありがとうございます、信じて頂いて」
「こっちこそ。ここにきて、ずっと気が動転してばっかだったけど、やっと何をすべきか分かったよ」
今日目覚めてから、訳の分からない状況に置かれて混乱し、ずっと焦っていた。しかし、シャノとの会話を経て、やっと気持ちの整理がついた。
「いえ、お礼はまだ早いです。まずは、ここから脱出しないと」
「ああ、そうだな。何か計画があるんだよな?」
シャノと協力し、この施設から逃げ出す。難しいことを考えるのはその後だ。
ここまではシャノの指示に従い、上手くいってきた。ルークを脱出させると言い出したという事は、それが出来るだけの計画があるという事だ。
ルークの期待通り、シャノは頷き、作戦を話し始める。
「タイムリミットは明日の朝。明日になると、まず全身麻酔をかけられて意識を失います。そうなれば後は処置が行われてしまい、もう終わりです。なので、脱出は今晩の間に決行します」
*
シャノは、ルークに計画を説明した。
それが終われば、後は実行の時間である夜を待つだけだ。もどかしいが、それまでは計画に何も異常は無いように振舞わなければならない。
二人は白い部屋、シャノが言うには『観察室』に閉じ籠っていた。
ルークが知り得た情報によると、彼女の役割はルークの世話と相手、それから経過の観察とその報告らしい。なので、シャノがずっとここにいるのは何も不自然な事ではなかった。
「あの、聞いてもよろしいですか?」
「ん?」
観察室のベッドの上に腰掛けるシャノは、隣にいるルークに話しかけた。二人の心の距離は、半日の内にすっかり縮まっていた。
「昨日からずっと気になっていたのですが、ミアというのは何方なんですか?」
ミアに似たシャノの口から「ミア」という単語を聞き、ルークは不思議な感覚に陥る。
しかし思い返してみれば、幻覚を見てシャノの事をミアと間違えたり、狂っているフリをするためにシャノの名前を出したりと、逆に気にならない方が不自然なくらいだ。そういえば、会って初めてルークが放った言葉も「ミア」だった。
「ミアは……俺の幼馴染で、大事な友達なんだ。何でか分からないけど、シャノにそっくりでさ」
「そういう事だったんですか。錯乱していて誰かと間違えていらっしゃるのかと思っていたのに、薬を打ってもまだ仰っていたので効いていないのかと心配しました」
「はは、そうだったな」
ルークは苦笑いする。しかしシャノの立場になって考えてみた時、ルークは戦慄した。
自分の事を知らない誰かだと思い、気持ち悪い言葉を投げかけられる。昨日のルークはさぞ悍ましかったことだろう。笑っていられない。
「き、昨日の件は無かったことに……」
「はい、そのほうがいいですね」
シャノはきっぱりと言った。いや、むしろその方がいいかもしれない。あの気持ち悪いルークは二人だけの秘密だ。
――ミア、か。
ミアは今、どうしているだろう。ヘルツォークが嘘の情報を言っていたと分かった今、襲撃が何日前の出来事なのか分からない。
もしかしたらほんの数日前かも知れないし、ひょっとすれば数ヶ月、という事もあり得る。
ルークが気を失った時点で、こちらの状況は劣勢だった。ミアは無事だろうか。
ひょっとすれば――
「どうしたんですか?」
悪い考えが浮かび、頭を横に振ったルークをシャノが気遣う。
そんなことはない。ミアは優秀な魔法剣士であるし、あんなところでへたばってしまう訳が無い。きっとミアなら大丈夫だ。
「いや……ここに連れ去られる前、実は俺、ミアにひどい事言っちゃって……」
卒業パーティーの場で、プライドが傷ついたルークはミアの優しさをはねのけた。その顔は見えなかったが、きっと悲しそうな顔をしていた。
「ミアの事傷つけたのに、まだちゃんと謝れてなくてさ」
カーナンに邪魔をされ、ミアに謝罪をすることは叶わなかった。それに、あの場でさらっと謝って許されるような仲直りはしたくなかった。悪いことをしたのだから、しっかりと心を込めないと気が済まなかったのだ。
「だから……俺はここを出て、ミアに謝んないといけないんだ」
果たせなかった謝罪の後悔、それが今のルークを突き動かす最大の動機となっていた。もう一度彼女に会うため、ルークは必ずここから出なければならない。
「ミアさんの事が好きなんですね」
その時、隣に並んで座るシャノがとんでもないことを言い出す。ルークは焦って飛び上がった。
「え、ち、違うって、ミアはただの友達で……」
「でも、友達という事は、好きという事ではないんですか」
「え、ま、まぁ、好きか嫌いかって聞かれたらそりゃ好きって答えるけどさぁ、話が違うでしょ!」
ド直球で聞いてくるシャノに、ルークはかなり焦燥した。しかし、彼女がルークを茶化そうとしている素振りは無かった。
「いいですね、そういう風に思える人がいらっしゃるって」
やはり、シャノにルークをからかおうなんて意志は全くないようだ。彼女は本心でルークの事を羨ましがっているように見えた。
「私には、ただ友達と、そう呼べる相手が居ないので」
「……仕事仲間とかは?」
「居ますが、業務連絡以外話をすることはあまりありません」
「そっか……」
もしかしたら、ルークは彼女の踏み込んではいけないところに話を持っていってしまったのかもしれないと焦った。
ここまで話してきたところ、シャノは人に好かれないようなタイプではなさそうだ。それなのに、十年も務めてきて友達が出来ないなんて職場環境が悪すぎる。そんな環境のせいで一人ぼっちになってしまっているなんて、彼女が可哀そうだ。だから、
「よし、シャノ、分かった」
シャノの前に立っていたルークは、彼女に手を差し伸べる。
「俺がシャノの友達一号になるぜ」
シャノは目を見開き、驚いたようにルークを見た。
「いいんですか……?」
「そりゃもう。シャノは俺の恥ずかしい秘密を知ってんだから、友達になってもらわねえと困る」
ルークは昨日の自分の事を指して言った。あんなに恥ずかしいものを見られてしまった関係だ。今更他人のフリをされては困る。それを聞いたシャノは、
「そこまでおっしゃられたら、仕方がありませんね」
そうはにかみながら言い、ルークの手を取る。
シャノは、とても嬉しそうだった。