12 『空虚な部屋に座り入る医師』
「ミア?」
ドアの向こうにいた少女を見て、ルークは言った。
次の瞬間、物凄い勢いで開いたばかりのドアは閉まる。ルークは訳が分からず、
「お、おい、待ってくれよ」
そう言うと、ドアを開けようとする。しかしドアの取っ手がないので、開けようがない。押してみてもびくともしない。
ドアの周りを見ると、右横に黒い板を見つけた。しかし操作方法が分からず、触ってみても何の反応はない。
「おい、開けてくれ!」
ルークは叫びながら何度もドアを叩く。しかし向こう側からは何の反応もなかった。もう今の少女はどこかへ行ってしまったのかも。
ルークはドアを叩くのを止めた。
「どういう事なんだ……?」
今の少女は誰だ?
短い銀髪で小柄の少女だった。変わった服を着ていて、手には何か板のようなものを持っていた。おそらく歳は近い。彼女とは初対面だったはず。
しかし霞んだ青緑の瞳、幼い顔立ちとその雰囲気はルークのよく知る少女にそっくりだった。似ている、なんてものではない。正に彼女は、ミアだった。
彼女は誰で、ここは一体どこなのか。ルークは自分が目覚めた部屋を見渡す。
とにかく、真っ白な部屋だ。一人で暮らすには十分過ぎるくらいの広さがあり、奥には先程までルークが寝ていたベッドが置かれている。しかしそれを除き、この部屋には何もない。
飲み込まれそうな程真っ白な空間で、唯一ドアの横の壁に大きな鏡がある。
ルークは壁を覆うほどのやけに大きな鏡を見た。そこに映っているのは、しかめっ面の見慣れた自分の顔。ただし、一部分を除いて。それは、
「右眼が……赤い?」
ルークは指で目の下を引っ張る。目が真っ赤だ。充血とかそういうのでなくて、瞳が赤い。
ルークの瞳は二つとも金色のはずだった。しかし鏡に映ったルークの右眼は、血のように真っ赤な赤色に染まっている。一方で、反対側の瞳は元の金色のままだ。
全くもって意味が分からない。赤い方の瞳に痛みはないし、それを鏡越しに見ない限りは全く違和感もない。まるでその眼は、初めからそこにあったかのようだ。
「どういうことなんだよ……」
ルークは今自分が置かれている状況が全くつかめず、ため息を漏らす。ルークは必死に記憶を辿った。
――確か、フラーグルの卒業式の様子を見に行ったらミアに会って、パーティーに来ないかって誘われて……
そこでルークはハッとした。ミアの誘いを受け、パーティーに行くかどうか悩みながら村に帰った事までは覚えている。しかしその後自分がどうしたのか、つまり、卒業パーティーに行ったのかが思い出せないのだ。
おかしい。明らかにおかしい。
まるでそのあたりの記憶にだけもやがかかっている様な、とても奇妙な感覚だ。そのもやを取り除こうとするが、依然として記憶は霞んだままである。
「クソ、何で……」
思い出せない。
ルークはもどかしさに悪態をつく。
鏡を離れ、自分が先程まで眠っていたベッドに腰を掛けた。残念ながら他に出入り口のようなものは見当たらないし、外からの接触が無い限りはどうしようもない。
しかしその時、何の前触れもなく再びドアが開いた。ルークは先程の少女に話を聞こうと立ち上がる。
しかし残念ながら、ドアの向こうに立っていたのは別の人物だった。
「やあ、おはよう。やっと目覚めたんだね」
優しそうな大人の男性の声。
声の割には、その人物は小さく見えた。しかししっかりと見ると、彼が車椅子に乗っているという事に気が付いた。
白髪で、車椅子に乗っていなかったらきっと高身長の人物だっただろうと思った。
年は恐らく二十代ほど。しかし、その年齢に見合わないほど、彼はただ者ではない雰囲気があった。
「あなたは……?」
「私はフロイド・ヘルツォーク。この施設の所長だ」
「この施設って……」
「ああ、そうかやはり……」
ヘルツォークと名乗った男は、頭を抱え、残念がる素振りを見せた。ルークが困惑して顔をしかめていると、それに気づいたヘルツォークは「すまない」と軽く謝った。
「そうだね、ちゃんと説明しないと。君はね、落馬したんだ。その時に頭を強く打ってしまってね。目立った外傷はなかったけど、その時の衝撃で記憶が飛んでしまっている可能性があったんだ。だから君をここに運んで、治療していたんだよ」
ヘルツォークは流暢に述べる。ルークは黙ってそれを聞いていた。なるほど、今の説明で記憶が飛んでいることに合点がいった。確かにルークの記憶は村に帰る途中で途切れている。
それに言われてみれば、なんだか頭がフワフワしているような気もした。もしかすると、落馬して頭を打ったせいかもしれない。
しかし、まだ納得がいっていないことがある。それは、
「でも、この目は……?」
「ああ、その説明もしなくてはね。君は落馬の衝撃で目の中を切ってしまってね」
「目の中を、切ったんですか?」
ルークは眉をひそめた。落馬の際に怪我をするのは分かるが、その時に目の中を切るなど聞いたことが無い。そもそも、目の中は切れるものなのだろうか。
「まあ、かなり珍しいケースだね。でも安心するんだ、しばらくすれば自然と直るよ。でもあまり目に良くない。だから治療として、今こうして君を真っ白な部屋に入れているんだ」
ルークは医学など全く知らないが、とても説得力のある説明だった。これでこの部屋がやけに白い事の理由も判明した。
ヘルツォークはとても優しくて頭が良さそうだし、信頼してもいいだろう。
「そうなんですか、助けてくださってありがとうございます」
ルークはヘルツォークに礼を言った。当然の事だ。ここまで自分に良くしてくれたのだから。ヘルツォークは、笑顔で「いやいや」と答えた。
ルークはもう二つ、気になった点を質問する。
「あの、ここはどこなんですか? それと、いつ外に出られますか?」
「そうだね、それをまだ言ってなかった。ここは王都にある大きな病院だよ」
ルークは王都と聞いて驚いた。まさか自分が家からそんなに離れた場所にいるとは。それに、王都に居るという事は、ケインズの辺りからの移動時間を考えると二週間ほど眠っていたという事だろうか。
それにしても、流石王都、最新の設備が整っているようだ。ケインズもそれなりに大きい街だが、それでもこんな施設があるなんて話は聞いたことが無い。
「二個目の質問はそうだね……あと二日程かな。それくらい経てば外に出られるよ」
「ほんとですか!?」
「ああ。でも、それまではここで安静にしてるんだ。あまり目と頭に刺激を与えるのは良くないからね。分かったかい?」
てっきり、数週間から数か月ここに居なくてはいけないのかと思った。二日程度なら、休みだとでも思ってここでゆっくりしていればいい。
「はい。分かりました」
「良かった。じゃあ、私はこれで失礼するよ。しばらくすれば君のお世話係が来てくれるはずだから、詳しくは彼女に聞いてくれ」
「はい、何から何までありがとうございます」
「うん、お大事に」
「はい」
ヘルツォークはルークの返事を確認すると、「うん」と笑顔で頷いた。ルークも笑顔でそれに答えると、ヘルツォークは車椅子を回転させて部屋を出て行った。
なんて良心的な人なのだろう。彼のような先生に診てもらうことが出来て本当に良かった。
とはいえ自分が落馬したとは。馬の扱いには自信があったはずだが、これからはもっと気を付けよう。落馬で命を落とす人も少なくはないそうだ。
そういえば、ミアはどうしているだろう。きっと、ルークがパーティーの場に現れなかったことを残念に思っているはずだ。もしかしたら、怒っているかもしれない。
――あとでちゃんと弁明しねぇとな。
そうルークは心に誓う。
しかしよく考えてみれば、ここは王都だ。ミアとロニーは王都の騎士団に配属だと言っていたし、予定道理ならば丁度あの二人も着いているはずだ。
もしかしたら、もうこのことを知っていて、お見舞いに来てくれるかもしれない。楽しみにしておこう。
ルークは心配事が消え、ベッドに体を預けた。ふかふかの布団が気持ち良い。最初は不審に思ったが、案外この部屋も悪くないかもしれない。
「ルーク」
その時、よく知る鈴音の声が聞こえた。ルークが顔を上げると、ベッドの前にミアが立っていた。金髪に灰色の目、間違いなくミアだ。ルークは急いで上体を起こす。
「ミア! いつの間に、全然気づかなかった。あ、もしかして先生が言ってたお世話係って、ミアの事?」
「もう、何言ってるの」
ミアは可愛らしい笑顔で笑った。そして、ルークが寝ていたベッドに腰を掛ける。
「ミア、パーティー行けなくてごめんな」
「ううん、いいの。それより、聞いたよ。馬から落ちたんでしょ? もう、ほんと、心配したんだから」
「え、心配してくれたの?」
ルークは冗談めかして笑いながら言う。単に、ミアがルークを心配してくれていたという事実が嬉しかったのだ。
しかしミアは、そんなルークの様子に頬を赤らめ、口を尖らせて「もう」と言った。
「ふざけないで、ルーク。本当に心配したんだよ? だって、ルークにもしものことがあったら……」
「え、ミ、ミア?」
ミアはベッドに手を突き、体をルークの方に向けた。そして、その顔をルークに近づける。ルークは自分の顔に血が上るのを感じた。こんなに近くでミアの顔を見たのは初めてだ。
「もしものことがあったら、私……」
下を向き、不安そうな顔をするミア。その瞳には、うっすらと涙が掛かっていた。ルークは自分の軽率な言動を反省する。ミアがこんなにも心配してくれていたのに、冗談めかしてしまっていた。
「ごめんな、ミア。心配かけて」
ルークは、急激にミアのことが愛おしくなり、その頭を撫でた。ミアは自分の頭に優しく触れるルークを上目遣いで見つめる。
「いいよ、ルーク。私は、ルークが無事だったらそれでいいの」
そう言うと、ミアはニッコリとした。
――ああ、俺は幸せ者だな。
まさか、自分のことをここまで気遣ってくれている存在が居たとは。ルークは、そんなミアの気持ちに応えたくなった。
ふと、ルークはミアの唇に目が行く。艶のある、桃色の綺麗な唇。
ルークはそこに顔を近づけた。自然な流れだろう。ミアもそれに応じる。
顔と顔の距離が近くなり、あと数センチで唇が触れ――
「失礼します」
その時、隣から邪魔が入った。ルークは思わず、声がした方を振り向いて怒鳴る。
「誰だよ! 良いとこなのに……」
しかし、語尾が弱まっていった。何故なら、二人の邪魔をした人物、それはドアの前に立つミアだったからである。「あれ?」と、先程までミアが居たベッドの隣を見るが、そこには誰もいなかった。
ルークはもう一度ドアの方を見る。そこに立っているのは確かにミアだが、短い銀髪で、先程までのフラーグルの制服とは違って白に水色のラインの入った服を着ている。
また、その手には食事の乗ったプレートを手にしていた。
「あれ?」
「おはようございます、ルーク様。これからあなたの世話をさせていただくシャノと申します」
「あれ? ミア高速でお着替えした? あ、もしかして魔法か。なんだそんなことも出来るのかよ、すっげえな、流石!」
シャノはルークの返答に困惑したように、顔を引き攣らせた。
「えっと、何をおっしゃっているのか――」
「あっでもじれったいなあ、ミア。あんなとこで止めるなんて」
「な、何のことかよく分かりません……」
「ああ、そういう設定ね。しゃーない、じゃあ俺も乗っかるか」
二人の会話は全く成り立っていない。しかしルークは全くそんな風には感じなかった。
「と、とにかく、食事はここに置いておきます。何か御用があればドアのパネルに目を合わせてもらえば来ますので……」
そう言うと、シャノはそそくさと手に持っていたプレートを地面に置いた。ルークの様子にかなり困惑しているようだったが、ルークの目にはそんな風には映っていない。
「で、では、失礼します」
「はーい」
ルークの軽快な返事を聞かずに、シャノは逃げるように部屋から出て行った。ルークは笑顔でそれを見送る。
「ったく、恥ずかしがり屋だなぁ」
その日は、とてもいい一日だった。
書いている時うぇってなりました。