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11 『ささやかな日常の崩れ去る音』


 凍えるような寒さに、少女は目を覚ました。


 上体を起こし、部屋を見渡す。部屋にはベッドが並んでおり、少女の他にも三人の少女が横たわっているが、まだ目覚めてはいないようだ。それも当然、まだ起床時間ではない。

 起きてしまったものは仕方がない。少し早いが、今日の仕事を始めよう。そう思った少女は、ベッドから足を下ろす。素足が冷たい地面に触れるが、少女は顔色一つ変えなかった。空調設備の故障だろうか。後で報告しなければ。


 少女は立ち上がると、部屋を出て、白い寝巻きからいつもの制服へ着替える。着慣れた制服は彼女の体にフィットし、少女は気持ちを引き締める。


 今日もまた、同じような一日の始まりだ。


 制服に着替えた少女は、朝一の仕事場に向かうべく通路を歩く。彼女たちの毎日の仕事のおかげで、灰色の通路は綺麗に掃除されていた。

 その通路をしばらく歩いたところで、少女は前方から人影が向かって来ている事に気がついた。


「おはようございます、ヘルツォーク所長」


「おはようシャノ、今日は早いね」


 車椅子に乗った青年は笑顔でシャノの挨拶に答えた。彼はフロイド・ヘルツォーク博士。この施設の所長であり、シャノの主人である。シャノは、彼女の人生の実に半分以上の時間、彼に仕え続けてきた。


「はい。実は、寝室の空調が壊れてしまっているようなのですが……」


「それは大変だ。後で整備係を向かわせよう。すまなかったね」


「いえ」


 これで安心だ。シャノがホッとしていると、ヘルツォークは「そうだ」と言う。


「丁度良かった、君に頼みたい仕事があるんだ。今日のスケジュールを変更してくれないか?」


「はい、了解しました。どういったご用件でしょうか」


 もちろんシャノは迷う事なく承諾する。その内容を尋ねると、ヘルツォークは笑みを浮かべて答えた。


「急遽来客が決まってね。お迎えする準備をして欲しい」





 シャノはヘルツォークの言いつけ通り、応接間の掃除をして客人を迎える準備をした。それが終わり応接間で待っていたところ、ヘルツォークに呼び出された。

 シャノが彼の元に駆けつけると、丁度客人が見えたところだった。


「本日はお越し頂きどうも。私、プラムバーグ研究所の所長、フロイド・ヘルツォークでございます」


「いや、わざわざ所長さんが出向いてくれるとは」


 客人は、言ってはなんだが奇妙だった。まず、変わった形のマスクを頭に付けており、そのため顔が分からない。また、声も機械を通したような乾いた音になっている。まるでアンドロイドみたいだ。

 彼は視線に気づき、シャノの方を向いた。マスクの下でどのような表情をしているの分からず、シャノは居心地が悪くなる。


「そいつは……」


「ああ、彼女は私の召使いのようなものです。ここの雑務をしてもらっていて」


「ったく……」


 彼は息を吐き小さく呟いたが、シャノはなんとか何とか聞き逃さなかった。しかし、その発言の意図はよく分からなかった。


「へぇ、人間の召使いねぇ。今の時代にアンタみたいな金持ちが」


「よく言われますよ、何せ機械化が進んでますからね。しかし私はあまり人工知能やアンドロイドなどと言ったものを信頼していないもので」


「へぇ、信頼してないねぇ」


 そう皮肉っぽく言うと、彼は後ろから警戒するように自分を見る警備ドロイドを見た。先程から随分と軽々しいし、なんだか嫌味な人だ。

 しかしヘルツォークは嫌な顔一つせずに肩をすくめた。


「まあ、最低限は仕方がありません。しかし、監視システムは人間が監視しています。人間に出来ることは人間がやった方がいい。過去に色々とありましてね」


 ヘルツォークは悪戯っぽく笑いながら言うと、車椅子姿になった自分の姿を示すように両手を開いてみせた。


「なるほどねぇじゃあオレも半分嫌われるって事かな?」


 マスクの男はそう言うと、右手を上げて見せた。すると、右手の指があり得ない方向、手の甲の側に機械音を立てて曲がる。シャノは、彼が義手だという事にこの時初めて気付いた。それも両手共である。


「これは失礼しました。お互い体に関してはあまり良い思い出がないという事で」


 ヘルツォークの冗談に二人は笑い合ったが、シャノはあまりこの二人の様子について行けていなかった。戸惑うシャノの様子に気付いたヘルツォークは、


「おっと、紹介がまだだったね。彼は……」


「ロイ・ジュリアス、トライオン社のエージェントだ。今日はうちの代表の代理で来た」


「失礼しました。トライオン社は我々の研究に興味を持って下さっててね、今日はその視察に来て下さったんだ。くれぐれも、不敬がないようにね」


 シャノは「はい」とひとつ返事をした。視察は良くある事なので、直ぐに現在の状況を察する。ただ、当日に急に知らされるのは初めてだった。


「じゃあこんな所で立ち話もあれです。まあ、私は座ってますがね。中へご案内しましょう。シャノ?」


「はい、こちらです」


「あぁ、それなんだけど、今日あんまり時間無くてさ、いきなり研究の話聞いてもいいかな?」


「……そういうことでしたら。シャノ、準備室まで案内してくれ」


 ヘルツォークは難なくロイ・ジュリアスの提案を承諾する。シャノは「こちらです」と向きを変えて準備室までの案内を始めた。

 準備室までの道はひたすら同じ景色が続いた。何せ、このプラムバーグ研究所の通路はどこも似たような作りであり、その上かなりの広さがあるのだ。初めて来た人は案内無しだとまず迷子になってしまう。シャノも初めの頃はよく迷ったものだ。


「しかし申し訳ないことに、トライオン社の事は今まで存じ上げませんでした。他にはどんな事業に取り組まれているのです?」


「まあ、うちはそこまでの大企業ってわけじゃねえから。でも最近は機械化運動に反対する活動に力入れてるかな」


「ほほう、機械化には反対ですか?」


「便利になるのは良いことだけど、限度ってもんがあんだろ? 人間が人間であることを辞めちまうのはまずい。まあ、オレに言えることじゃねえけどな。少なくとも、代表のエドモンド・トライオンはそういった考えだ」


「なるほど、立派なお考えですねえ……」


 ヘルツォークとジュリアスは移動の間、世間話に花を咲かせていた。シャノは一応聞いていたものの、あまり興味は湧かなかった。自分は与えられた役目をここでやるだけあって、外のことはどうだっていい。


 そうこうしているうちに、三人は準備室の手前までやってきた。シャノは立ち止まると、頑丈なドアの横にあるパネルに顔を近づけた。シャノの虹彩が読み込まれ、ドアは自動で開く。


「準備室でございます」


「ご苦労様。シャノ、被験体207番の所へ」


 シャノは言われた通りポッドを探した。ヘルツォークとジュリアスもシャノに続く。部屋におかれた十数個のポッドのなかで、シャノは207と書かれたポッド見つけると立ち止まる。

 書かれているポッドを見つける。ポッドの中には、黒っぽい髪色の同い年くらいの少年が入っているのが小窓から見えた。


「これは……」


「ジュリアス様。ここでやっていることについてはご存じですか?」


「まあ、ある程度噂には聞いてるけど、教えてくれる?」


「出資に関して同意していただければ、詳しく教えられるのですが……まあ、今日のところはざっと説明しましょう」


 そういうと、ヘルツォークはシャノの方に向き直った。シャノは思わず背筋を伸ばす。


「こから先は君には聞かせられない」


「はい、では私はこれで」


 シャノは自分の関わっているこのプロジェクトの詳細を知らない。何故なら、このプロジェクトは最高機密レベルだそうだからだ。しかしヘルツォークによると、人を救う研究らしい。


「そうだシャノ、ついでに、被験体207番を処置室に移しておいてくれないか? 今日の晩、処置を行う」


「了解しました」


 シャノは返事をすると、言われた通りにポッドのロックを解除すると、手で押して部屋を出る。後ろで待っていたヘルツォークは、シャノが部屋を出るまで説明を始めることはなかった。





 与えられた役目を終えたシャノは、応接間で待てとの指示を受け一人でドアにもたれて待っていた。

 しばらく時間が経った時、遠くから声が聞こえてきた。


「それにしても、どうせ死ぬのに何でわざわざそんな手厚くするんだ? 意識的な意味でさ」


「私だって人間です。このプロジェクトは人の命は救いますが、同時に失う命もあります。なので、最期くらい良い思いをさせてあげたいと思いましてね。世話係に彼女たちをつかって経過を報告させているのもその一環です」


 会話をしているのはヘルツォークとジュリアスだ。内容はプロジェクトの事。普段なら聞き流すが、今回は違った。何故なら、ヘルツォークの台詞の最後の部分が気になったからだ。

 普通ならこんなことは絶対にしないが、シャノはドアに聞き耳を立てた。


「あんなガキが?」


「そうですね、少し私の趣味が入っているかもしれません。でも、私なりに美形をそろえたつもりです」


「なるほどね……まあ人の趣味にどうこう言うつもりはないけど。じゃああいつらが大きくなったら?」


「そうですね。まあ、彼女たちは元々死んでいたも同然ですから――」


 そこでドアが開き、シャノは慌てて飛び退く。シャノは平然を装ったが、聞き耳を立てていたことがヘルツォークにバレたかどうかは分からない。シャノは、バレていないことを祈った。


「まあ、この話はまた機会があったらという事で。シャノ、資料は準備してくれたかな?」


「はい、こちらです」


 シャノは答えると、あらかじめまとめておいた資料をジュリアスに差し出した。


「おお、あんがとよ」


「申し訳ありませんが、電話を二、三本掛けないといけないので、私はここまでとさせて頂きます。お見送りはシャノにさせます。本日はありがとうございました。我が研究所をご贔屓にしていただければ幸いです」


「こちらこそ。代表には良く言っとくよ」


 ヘルツォークは一礼をすると、部屋を出ていった。

シャノもジュリアスを引き連れ、通路を歩く。移動の間、二人の間に言葉が交わされる事は無かった。


 そのまま二人は出入り口のゲートに辿り着いた。警備ドロイドが二人の様子を見ている。


「ではジュリアス様、本日は――」


 シャノは感謝を述べようとしたところで言葉を止めた。ジュリアスは手元で左腕の義手に付いたパネルを操作すると、急に声色を変えて早口で話し始める。


「何を――」


「警備ドロイドをハッキングした。戻るまであと二分ってとこだ。よーくオレの話を聞け」


「えっと、どういう――」」


「いいから聞け! お前に頼みたいことがある。さっきお前が運んでった被験者、あぁ……何番か忘れたけど、分かるだろ?」


 ものすごい勢いで話すジュリアスにシャノが引き気味で頷くと、ジュリアスはどこからか無色の液体の入った小さな容器を出してシャノの目の前に持ってきた。


「あいつが目覚めたらまずこれを打て。それか、飲ませろ。それから……」


 すると今度は、青っぽい液体の入った容器を取り出す。


「これも打て。薬の効果が出たら、そいつを連れて二日以内にここを出ろ。最悪そいつだけでも外に逃がせ。あいつを死なせるんじゃない。それで、これ重要だぞ。これとオレのことは誰にも言うな」


「でも――」


「時間が無いんだ、言ったろ? お前がオレの話にのる義理はない。それはそうだ。でも、この話を聞いたら意見が変わるはずだ」


「……どういうことですか?」


 シャノは眉を細めた。するとジュリアスは腰をかがめ、シャノの顔の高さに自分の顔を合わせると、こう言った。


「ここでやってる研究の話だ」





 次の日、アラームが鳴りシャノは目を覚ました。もう空調は元に戻っているため、心地良い暖かさだ。

 しかし昨日の朝とは違い、夜ほぼ眠る事が出来なかったため目蓋がとてつもなく重たい。それでも今日も仕事がある。起きなければ。


 ベッドから降り、寝間着を脱いで制服に手を通す。いつも通りの朝、いつもと全く同じ行動だ。しかし、もう何もかもが違う。

 ポケットを確認すると、昨日、ジュリアスに託された薬が入っている。


 シャノの日常は、崩れ去ってしまった。





 シャノは何年も前、路地でストリートチルドレンとしてその日暮らしの生活をしていたところをヘルツォークに拾われた。


 プラムバーグでの日々は、路上での生活よりもはるかに安定していた。もう衣服や食べ物に困ることは無かったし、毎晩心地よく眠れる場所もある。

 その代わり、常に危険が伴う路上生活とは違って、ここでの生活には刺激が少なかった。それでもここまでやってこられたのは、生きる目標が出来たからだった。助けてくれたヘルツォーク博士への恩返しとして、彼の研究を手伝い、人を救う。


 人の為に生きるというのは、気持ちが良かった。路上生活の頃は想像もつかなかったが、自分のしたことが誰かの為になっているという事実はシャノの生きる希望となっていた。

 そのため、ヘルツォーク博士に仕えて毎日仕事に徹してきた。シャノは、彼の事と、彼の研究を信じていた。それも、昨日までは。


 ジュリアスは限られた時間の中で、この研究所で行われている事を語った。もちろん、彼が言っていた事を信じる確証はない。

 しかし彼の語ったことを考えれば考えるほど、今までの生活で疑問に思ってきた事に納得がいった。彼の話を信じたくないが、妙に説得力のある話だったのだ。


 誰かを助けていると思っていた自分の行為。しかし、もしかするとそれは全て嘘で、自分はとんでもなく恐ろしい計画に加担していたのかもしれない。


 もう、誰を、何を信じたらいいのか分からない。一体、正しいとは何なのだ。


 それでも今日も仕事がある。それを怠れば、ヘルツォークに目をつけられる。それを恐れたシャノは仕事場に向かった。


 その場所は、観察室と呼ばれている真っ白な部屋だ。側部に鏡があるが、実はそれはマジックミラーで、外側から見るとただのガラスである。そのため、中の様子を観察できるようになっているのだ。


 シャノはガラスから中を見る。被験体207番はまだ眠っているようだ。しかしもうそろそろ起きるだろうが、今のうちに食事を運び込んでおこう。そう思ったシャノは、食事が載ったプレートを持ち、出入り口の前に立つ。


「やあ、シャノ。おはよう」

 

 突然声を掛けられ、シャノは心臓が飛び出しそうになった。そのせいでシャノはプレートに乗っていた水を少し溢れてしまう。そんなシャノの様子に、ヘルツォークは笑みを浮かべた。


「すまない、突然声をかけて。考え事でもしてたのかな?」


「も、申し訳ありません。直ぐに掃除します。少し寝不足で、ボーッとしてしまって」


「寝不足……それは良くないね。何か悩み事かい?」


「いえ、大した事では……」


 シャノは必死に平然を装う。ジュリアスの事を報告すれば、引き返すことが出来るかもしれない。しかしもしジュリアスの話が本当だった場合、どうなるか分からない。そのため、ジュリアスとの会話の事は悟られてはいけないのだ。

 しかしシャノにとって不幸な事に、ヘルツォークはシャノの近くにまで寄ってきた。


「何かあったら、直ぐに言うんだよ」


 ヘルツォークは笑顔で言う。本当にただ心配してくれているだけなのかもしれない。しかし今のシャノには、そのセリフがとんでもない脅しに聞こえてならなかった。


「はい、ありがとうございます」


 シャノはほんの少し頬を緩めて礼を言った。

上手く笑えていただろうか。

 幸いにも、ヘルツォークがこれ以上深く追求する事はなく、車椅子を操って去って行った。彼が見えなくなると、シャノはホッと息をつく。そしてプレートを一旦地面に置くと、ポケットから布を取り出してこぼれた水を拭いた。


 それが終わると、金属製のドアに向き直る。観察室のドア。今までに何度も使ってきたドアだ。しかし今日は全く違って見える。このドアを開ければ、全てが終わってしまう。そんな気がしたのだ。


 開けない事には仕事ができない。シャノに開けないという選択肢はないのだ。

 やっとのことでシャノはドアを開ける決心をし、ドアの横の虹彩認証を解除する。解除音がし、自動でドアが開く。すると、予想外の事が起きた。


 シャノの目の前に、先程まで部屋の中で寝ていたはずの少年が立っている。赤い右眼と金色の左眼をもった、オッドアイの少年。彼はシャノを真っ直ぐに見ると、こう言った。


「ミア?」


挿絵(By みてみん)

シャノ

はい、『科学と魔法のオッドアイ』スタートです。

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