プロローグ 『その金の瞳に映った空』
――その日、全てが変わった日まで、世界は平らだった。
*
「はっ!」
雲一つない晴天の中、町はずれにある村の広場に甲高い音が響く。
円を作る子供たちの注目はただ一点に集まっていた。
「たくっ、すばしっこいやつだ」
「アンタこそ、のろいくせに守りは固いわね」
木剣を片手に構える、金髪の少女。彼女の青緑色の目は、彼女に立ち塞がるようにして立つ体格の大きい少年を睨んでいる。
両者とも息を切らし、お互いを見据えている。大柄の少年は決着のつかない戦いに痺れを切らしたのか、ポケットに手を入れると何かを取り出す。
「――?」
少女はその様子を眉をひそめて眺めていたが、彼が取り出したものを見て表情を変える。
「――ッ!」
「ミア、危ない!」
外野にいた黒髪の幼い少年が少女の名前を呼んだ。
大柄の少年がポケットから取り出した金色の指輪を指にはめる、と同時にミアは地面を蹴る。
しかし彼の方が一足早く、指輪を付けた左手をミアに向かってかざした。すると指輪がかすかに白く光り、次の瞬間、ミアの華奢な体が宙を舞う。
ドスン、と音を立て、ミアは地面に倒れ込んだ。顔に砂が付き、膝がヒリヒリと痛むのを感じ、ミアは顔をしかめる。それでも、ミアは起き上がり、木剣を持ち上げようとするが――
「オレの勝ちだな」
木剣がやけに軽い。その方向を見ると、木剣は無残にも、刃の付け根から十センチも無い所で折れてしまっていた。ミアが倒れた時の衝撃で折れてしまったのだろう。
「大丈夫、ミア!?」
「……ごめんね、フィル」
地面に倒れるミアのもとに、先程彼女の名前を呼んだ少年、フィルが駆け寄ってきた。ミアは体を起こすと、自分を飛ばせた少年を睨む。
「この、卑怯者……」
「負け惜しみか?」
「違う! 剣の決闘で魔法を使うなんて卑怯じゃない!」
「はっ、勝てばいいんだよ。この世を支配するのは強者で、お前みたいな弱者はそれに従うのみ!」
ケタケタと笑う彼の冷やかしを受け、ミアは悔しさのあまりその瞳にうっすらと涙を浮かべた。
「さあ、もうお終いか? このギデオン様と戦う勇気のある奴はいねぇのか?」
ギデオンは偉そうに言いながら辺りを見回す。
彼を円形に取り囲ようにして立っている子供たちは、目を合わせまいと黙り込んで俯き、誰一人として動こうとしない。
たがその時、威張るギデオンの後ろ側から、人影が迫っていた。
「俺がやるよ」
ギデオンは振り返って声の持ち主を――広場にポツンと立つ物置のような小屋、その屋根の上に立つ人物を見る。
そこに立っていたのは、ギデオンより一回り小さい、フィルと同じ黒髪の少年だった。
「兄ちゃん!」
「ルーク!」
フィルとミアの声が重なる。二人の声は不安が感じとられるものだ。そんな不安を他所にルークはギデオンの前に飛び降りると、
「金眼剣士ルーク・スレッドマン、ここに参上! 弟と友達が泣かされて黙ってられねぇ!」
ギデオンの前に堂々と飛び降りたルークはそう意気揚々と叫ぶ。
「ミ、ミアはともかく僕は泣いてない!」
「わ、私だって……」
ミアは弱々しく反論する。しかしルークの金色の眼には、こちらを不安げに見るミアの涙がはっきりと映っていた。
「ルーク!」
ギデオンは自分を差し置いてフィルとミアと話すルークの名を叫ぶ。
「兄ちゃん……」
「大丈夫だ、フィル」
兄の身を案じるフィルを安心させるようにルークが言う。そんな二人を他所にギデオンは話を続ける。
「ルールは分かってるよな? 剣を落とすか、地面に倒れるか、どちらかが降参したら終わりだ」
「あいよ、了解」
「今日こそぶっ倒してやる」
ルークを前にしても相変わらず意気揚々としているギデオン。そんなギデオンに対してルークは余裕の表情で背中に背負っていた木剣を構え、彼を真っ直ぐに見つめる。
「その自信はどこから来るのやら……いいよ、かかってこい」
「それはこっちのセリフだ!舐めやがって!」
睨み合いを最初に破ったのは、ギデオンだった。
ギデオンは草原を走り抜け、一気にルークとの間合いを詰める。その勢いのまま、真っ直ぐにルークに木剣を振り下ろした。先程のミアに対しての攻撃以上に力の篭もった一撃がルークに降りかかる。
「よっと」
そんな懇親の一撃をルークはものともせずに軽やかに木剣で受け流す。ルークのその様子にギデオンは顔を赤らめ、歯を食いしばりながら斬撃を続ける。しかしその後もルークは一歩も動くことなくギデオンの攻撃を防ぎ続ける。
力の差は明らかだ。それでも攻防が続くのは、ルークが防ぐばかりでまだ一度も攻撃をしていないからだ。
ギデオンは絶え間ない攻撃に体力を消費したのか、一度後ろに下がってルークから距離を取った。
「はぁ……」
「よし、そろそろこっちから行くか!」
ルークはやっとこの戦いでの一歩目を踏み出す気になる。地面を力強く蹴って真っ直ぐに走り抜け、一気にギデオンとの間合いを詰める。しかし――
「――かかった」
ギデオンが笑みを浮かべる。次の瞬間、ギデオンの左手から空気の波動が生まれ、それがルークの足に直撃する。
ルークは足に違和感を覚えて顔をしかめた。そしてミアと同様にその体が浮き始める。
浮遊魔法だ。戦闘においても応用可能で、動いている対象の足を一瞬だけ浮かせることで、バランスを簡単に崩すことができる。
ルークは足が浮いた瞬間にギデオンの魔法をそう判断するが、もう遅い。ルークの体はバランスを崩し、宙を舞っている。
その様子にギデオンは勝利の笑みを浮かべた。
「――おっと!」
「どうだ……!」
しかしそんな中でも、ルークは冷静に考える。目に映った地面がみるみるうちに迫ってき、このままでは倒れてしまう。そこでルークは体を丸め、体重を前方にかけた。頭が地面につき、そのまま前に一回転して起き上る。
「――!」
目の前には軽やかなルークの身のこなしに目を見開くギデオン。距離は完璧だ。
ルークは構えた木剣を強く握り、そのまま思い切り真上に振り上げる。木剣はギデオンの木剣の腹を目掛け――
――乾いた音が響き、ギデオンの木剣が宙に舞う。回転を繰り返し上り続ける木剣はやがて速度を失い、二人の頭上へ。そこに一本の腕が伸び、落ちてきた木剣はその手にすっぽりとハマった。
「俺の勝ちだな」
落ちてきた木剣をつかんだルークは、その剣先を呆気にとられるギデオンの瞳へ向け、静かにそう言い放った。ギデオンは、大きくその目を見開き、自分に向けられた剣の先を見つめる。そして悔しそうに歯ぎしりすると、
「……降、参だ」
ギデオンの敗北宣言、それと同時に、場の空気もじんわりと緩んだ。
ルークはギデオンに向けた剣を下ろすと、手首を使って回転させてそれを逆さに持つ。そして、その柄をギデオンに向ける。
「ほらよ」
「――ッ!」
ギデオンは乱暴にそれを奪い取る。木剣を鞘に納めるとルークを睨んで声を張り上げる。
「お、覚えてろよ!」
そのまま回れ右をして去っていくギデオン。周りに群がっていた子供たちはすぐさま道を開けた。ギデオンはその間を走り抜け、やがて見えなくなった。
「絵に描いたみてぇなやつだな……」
ルークが苦笑いを浮かべながら呟く。それと同時に歓声が起こった。一連の流れを見ていた子供たちが、どっとルークを褒め称える。
「スゲー! 本物の騎士みたい!」
「ちょーかっこよかった!」
「ボクにも剣教えて!」
沸き立つ歓声を掻き分け、弟のフィルとミアがルークの前に現れる。
「流石、兄ちゃん」
「おう、たりめぇよ、フィル。ミアも怪我ないか?」
「……うん、ありがと、ルーク」
頬を赤らめ、ミアが感謝の意を述べる。そんなミアにルークは笑みを返した。
「それにしても……」
ルークは先ほどギデオンが装着していたリングのことを考える。
マギアリング――特殊な鉱石でできており、指に填めることで魔法を引き出すことが出来る一番簡単な道具だ。
まだ学校で魔法の勉強が始まっていないルークやギデオンの年齢で持っているのは不自然である。何よりそこまで使いこなせているようには見えなかったが、親のものを借りて必死に練習したのだろうか。
「やっぱ兄ちゃんはすげえよ! 僕ももっと剣の練習して、兄ちゃんと一緒に父ちゃんみたいな魔法剣士になるんだ!」
「あぁ、もちろんだ!」
フィルは兄の剣撃を目にし、興奮収まらぬと言ったところだ。
ルークはそんな弟の姿に思わず笑みをこぼす。
二人の父親は今、王国騎士団で魔法を巧みに剣術と組み合わせて戦う魔法剣士として戦っている。彼を尊敬し、憧れているのはフィルだけではない。ルークにとってもまた、父親は最も尊敬する人物の一人であった。
そんな父親の才能を受け継ぎ、幼い頃から天才的な剣術に恵まれたルーク。皆から憧れられ、いつかは父と同じ魔法剣士になって王国に仕える。それがルークの夢であった。
ルークの人生は安泰のはずだった。栄光に満ちた日々を送ると思っていた。
しかし――
その時、まるで空が裂け、雷が目前に落ちたかのような、重たい轟音が大地に響き渡る。
皆、物凄い音にすぐさま耳を塞いだ。それと同時に、先ほどまでの晴天とは一変して夜が来たかのように急に辺りが真っ暗になった。ざわざわと、不安の声が聞こえる。
その時、暗闇の中で誰かの声が聞こえた。
「みんな、あれ!」
広場にいた少年の一人が、空を指差して叫んでいる。
その場に居た全員が、彼の指す先を見て思わず息を呑んだ。
「そんな……」
ルークは、見上げた空の光景に自分の目を疑った。
皆は、空に現れた天井を見上げていた。暗い空の遙か高い所が、文字通り『割れて』いる。
そしてその下に空を覆う程大きく、怪しげな青白い光を放つ黒い船が浮かんでいた。