06.武雄の闘争(1)
その頃、薫子は武雄の家にいた。
本来の武雄の家は薫子の家の隣にあるのだが、半年ほど前に古い一軒家を借りて一人暮らしを始めていた。どうやら学生運動に参加し始めた武雄が家族に迷惑が掛らない様にと独立したらしい。一人暮らしの一軒家となれば、当然のごとく学生たちのたまり場となっていた。
薫子がこの部屋を訪れた時には、既に二人の学生らしき男がいて、武雄と共に酒を飲み始めていた。二人の学生達は薫子にはよくわからない様な難しい話をしていたけれど、今ではすっかり酔い潰れて寝てしまっている。
二人と同じくらい飲んでいる様だった武雄は、酔い潰れるどころか全くの素面の様だった。
薫子は武雄から奥平清一郎の事を聞いておこうと思った。
「奥平さんってどんな人なの?」
「うーん、そうだなぁ。つまらない奴かな?」
「つまらないって?」
「真面目すぎる」
「真面目なのは良い事じゃない」
「良い事だけれどもつまらない」
「武雄おにいちゃんは真面目じゃないものね」
「俺はいつだって真面目だよ」
「うそばっかり。あっちこっちで女の人を口説いているっていう噂じゃない。おばさまが嘆いていたわよ」
「俺はいつだって真面目に口説いているよ。いい加減な口説き方はしていない」
「手当たり次第なんでしょう?」
「そんな事は無いよ。良い女しか口説かない。真面目なもんだろう?」
「そう言うのは真面目って言いません!」
「相変わらず薫子は俺に優しく無いなぁ」
「優しくしたくても出来ないじゃないですか?」
「優しくしてくれる気持ちは有るんだ」
「もう、馬鹿!」
睨む薫子に優しい微笑みを向けながら武雄が言う。
「奥平はなかなか良い奴だよ。俺みたいに政府に刃向かおうなんて思っていないからな。安全な男だ。だからつまらん」
「そうなんだ。なら大丈夫だね」
「大丈夫ってなにが?」
「鈴子はあんなだから、悪い男にはすぐに騙されちゃうでしょう?」
「ああ、そうだな。あの様子だとすぐに騙せそうだ」
薫子の顔から笑みが消え、氷の刃の様な冷たい視線を武雄に向けた。
「鈴子に手を出したら承知しないからね!」
武雄は相変わらずの笑顔で言う。
「はは、薫子の友達に手を出すほどの勇気は持ち合わせていないよ」
「それ、どう言うことよ! まあ良いわ。でも、武雄おにいちゃんは政府に刃向かおうとしているの? 危ない事はしないでよね」
「まあな、あまり大手を振って言える事じゃないが、誰かが叫ばなくてはこの世の中は良くはならない。俺達は世の中を良くするために声を上げようとしているんだ」
「声を上げるって?」
「薫子は先の大戦がどう終わったか知っているか?」
「どうって? 今まで通りの権利を保障すると言う講和条約を締結したんでしょう?」
「なんで今まで通りの権利を勝ち取れたかが問題なんだ」
「…………」
「あの時の日本は完全に敗戦国だった。敗戦国に今まで通りの権利を与える戦勝国があるわけ無いだろう?」
「そうなの?」
「当然だ。あの条約には裏があるんだよ」
「裏ってなに?」
武雄は煙草に火を付け、天井に向かってゆっくりと紫煙を吐いてから語り始めた。
「実はこの国の軍部には特殊な部隊があるんだ。所謂諜報機関の様な部署なのだが、他国のそれとは少し違っている。先の世界大戦で敗戦濃厚になった我が国は、その特殊部隊を米国と欧州連合諸国に派遣した。部隊と言っても実動は単一。すなわち一人の人間が単独で作戦にあたるわけだ」
「たった一人で?」
「そう、各国に一人ずつの派遣だが、この人員が凄いんだ」
「へー」
薫子にはたった一人で行う軍事作戦など想像もつかなかった。
武雄は薫子にもわかる様に言葉を選びながら説明を続ける。
「薫子も忍者なら知っているだろう?」
「うん、猿飛佐助とか霧隠才蔵とかなら本で読んだ事があるわ」
「まあ彼等は物語上の人物だけれども、似たような人達が実在していたことは確かだ。そしてその集団は今、軍の特殊部隊として存続しているんだ」
「ふーん、そうなの?」
薫子はすっかり興味を失っているが、武雄はそれでも説明を続けた。
「その特殊部隊は暗殺と脅迫をメインとした作戦に従事している」
「暗殺と脅迫?」
「そう、敗戦濃厚になった日本軍は特殊部隊を連合各国に派遣して、脅しをかけたらしいんだ」
「脅しって?」
「日本の敗戦が決定的になったある日、米国大統領の寝室のベッド上に脅迫文が置かれていたそうだ。大慌てで警備を強化したにも関わらず翌日も脅迫文が置かれていたと言うことだ。当然欧州連合の各国でも同様の行為があった。そんな中、いつまでも態度を決しない米国大統領の補佐官が急死した。そして、日本国の植民地化を強硬に主張していた欧州連合の某国首相も急死した。どちらも既往症の無い心筋梗塞だったらしい。つまり原因不明の突然死だ。日本軍特殊部隊の仕業だと気付いた連合各国の首脳たちは恐怖に駆られた。そして、連合国首脳会議を行った末、日本の存続と天皇および現行政府を罰しない事を条約に明記したそうだ。もちろん公式には発表されなかったのだが、極秘期限が過ぎて公開された文書の中にその脅迫文が見つかったらしい。しかし、騒ぎになる前に再び隠ぺいされたそうだ」
「へー、そんな事が有ったんですね」
相変わらず薫子が興味を示すような内容では無かった。しかし武雄は次の言葉で薫子の態度が一変する事を知っていた。
「そしてその時の特殊部隊を束ねていた長が百地徹道。今日会った百地鈴子の曾祖父だ」
「えっ! 鈴子の曾祖父様!」
武雄の読み通り、薫子の表情が一変した。
「そう、そしてこの特殊部隊の長は代々百地家の当主が勤めている。つまり、現在は鈴子の父である百地紀道がその長となっているわけだ」
「鈴子の御父様が……」
「そうだ、そして我々学生連合は、百地家を弾劾すべく活動を推し進めている」
薫子は何が何だかわからなくなっていた。