25.恋文
話が弾み、名残惜しくなった鈴子・桜子・薫子の三人は、薫子の泊まっているホテルのバーにいた。
「薫子、日本には久しぶりなの?」
「うん、実はあの日以来なんだよね」
「あの日って、逃避行以来帰って来ていなかったの」
「私だけなら数年前には帰れるようになったんだ。でもまだ子供が小さいから、当分は帰国しないつもりだったんだけれどもね。ちょっと前、何故か女学校から卒業証書と今回の同窓会通知が届いたんだよ。驚いたけれど、すぐに桜子の仕業だろうって思ったよ。ありがとうね、桜子」
「どういたしまして、本当はね『そろそろ薫子に会わせてくれても良いんじゃない』って、旦那を脅してみた」
そう言って桜子は笑った。
「そうなんだぁ、桜子は凄いなぁ、私にはそんな事出来ないよぉ」
「そんな事無いよ。鈴子が会いたがっているって言ったからじゃないかな、紀隆さんは鈴子が可愛くって仕方が無いからね。私が焼き餅焼いちゃいそうだよ。それよりも薫子、久しぶりの日本はどう?」
「二十五年振りだからね、あまりにも変わっていてビックリだよ」
「そんなに変わった?」
「大変わりだよ。向こうでもこっちのニュースとかは気にしていたけれど、そうね、清一郎さんの事があった頃からかなぁ。あっ、こんな話をしちゃまずいかな」
鈴子は薫子の顔をまっすぐに見ながら薫子の言葉に応えた。
「大丈夫よ、もうすっかり落ち着いたから。十八年も経っているのですもの」
ニッコリと笑った薫子だったが、彼女の真意は別の所にあったらしい。そっと桜子の目を見詰めた。
「あの頃とは世の中もずいぶんと変わったから大丈夫よ。うちの人の考え方も変わったわ」
安堵の表情を浮かべながら、薫子が話を続けた。
「こう言ってはなんだけれど、結果的には武雄さんが望んだ国になってきたわよね。あの事件以来外交にも力を入れたから、以前のような裏工作をしなくても諸外国と上手く付き合えるように成ってきたじゃない」
「そうね、鈴子にとっては酷い結果に成ってしまったけれど、あの事件以来大きく変わったわね」
桜子と薫子は鈴子をいたわるような優しいまなざしを向けた。鈴子の頬を一筋の涙がつたった。
「ごめん、鈴子。思い出させちゃったね」
薫子が鈴子の背に優しく手を添えた。
「ううん、そうじゃないの。清一郎さんの事はもうイッパイ泣いたから大丈夫なの。薫子と桜子の優しさが嬉しくって。そう言えば、女学生時代から、二人はとっても優しかったよね。本当にありがとう」
鈴子はぺこりと頭を下げた。そんな仕草も女学生当時と重なり、薫子は鈴子の肩を優しく抱いていた。
「でも、変わったのはそんな事ばっかりじゃ無くって、みんなの服装も変わったよね。私は海外にいたから洋服が普通だったけれど、こっちもみんな洋服なんだよね」
「今どき普段着が和服なんていう人はほとんどいないよ。この方が圧倒的に動きやすいじゃない」
「そうそう、昔はあんな和服を着て勉強や家事や、何から何までこなしていたなんてね」
「でもあの頃、洋服だったら鼻緒の君とも出会えなかったかもね」
「えっ、どうして?」
「だって、あの時は私と薫子が袴にブーツで歩く後ろを、鈴子が草履でちょこちょこと付いてきていたじゃない」
「そうそう、そして草履の鼻緒が切れて鈴子が派手に転んだ。だから鼻緒の君が現われたんだもの」
「あの時、帝大生の後ろ姿をハート目で見詰めていた鈴子の顔は今でも忘れられないよ」
「うんうん、あれは忘れられないね」
「ええ、そんなの忘れてよぉ。でも、あの時洋服だったら、本当に出会えなかったかも知れないんだよね」
「今の子達は可愛い制服で元気に走り回っているからね」
「うちの琴音だって、セーラー服なんだけれど、スカート丈なんかこんなだよ」
そう言って鈴子が太ももの付け根の少し下を示した。
「そうなんだよねぇ、伯母さんとしては下着が見えちゃうんじゃ無いかとハラハラしちゃうよ」
「琴音に言ったら、『見えたって別に良いじゃない』だって、世の中変わったわよね」
時の経つのも忘れて話し続ける三人だったけれど、さすがに子持ちの主婦達だ。
「これからは気軽に連絡してね」
そう言いながら連絡先を教え合うのを合図に、解散することに成った。
薫子はそのままホテルの部屋へと、桜子と鈴子は百地家への帰途についた。百地家では琴音が鈴子の帰りを待っていた。百地家に泊まっていくように勧められたが、琴音が明日は用事があると言うので、申し出を辞退して帰ることにした。
自宅に戻ると、琴音が今日の同窓会についての質問をしてきた。
「お母さん、同窓会はどうだった?」
「同窓会自体は特にどうということも無かったわね」
「でもさ、あの『恋の逃避行』の友達と会えたんでしょう」
「ええ、懐かしくって、三人で二次会までしちゃったわよ。遅くなってごめんね」
「そんな事はどうでも良いんだけれど、ねえ、どんな話をしたの? 手に手をとって警察から逃げた時のこととか、新天地に向かう話とか、聞いたんでしょう。詳しく教えてよぉ。映画みたいにロマンチックな話だったんでしょう」
どうやら琴音が百地家に泊まらなかったのは、母からロマンチックな『恋の逃避行』の話を聞きたかったからのようだ。鈴子が薫子から聞いた話をすると、琴音は目をキラキラとさせながら聞いていた。
夜も更けて自室に戻った鈴子は、机の引き出しから便せんと封筒を取り出し、ペンを走らせ始めた。
清一郎様
今日はとっても良いことがありました
女学校の同窓会があったのですが
以前、烏丸さんと国外に逃亡した薫子が同窓会に来たのです
久しぶりに薫子に会ってイッパイお話をしました
薫子に聞かれましたよ
「鈴子は今幸せ?」って
もちろん、幸せだよって答えました
だって
鈴子は本当に幸せなのですから
清一郎さんの事で、たくさん心配してくれたようです
周りの人達はみんな優しいし
琴音も素直な良い子に育っています
だけれども
鈴子を一番幸せにしてくれたのは清一郎さんです
ほら、今だって
鈴子のことを守ってくれているじゃ無いですか
ちゃんと感じていますよ
あなたの温もりも……
いつまでも清一郎さんを愛しています
鈴子
鈴子は手紙を書き終えると、丁寧に畳んで封筒に入れてから、清一郎が良い香りだと言ってくれた香水を一滴落とした。化粧ポーチから取り出した赤い口紅を塗り、その唇で封をしてから、物入れの中に設えた木箱に丁寧にしまった。
木箱には清一郎への愛の深さを物語るように、たくさんの投函される事のない恋文が収まっていた。
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