22.訃報
身繕いを終えて居間に戻ってきたふたりは、テレビを前に不安げな面持ちで座っていた。テレビ局には詳しい情報が伝わっていないらしく、速報で内戦が起きていると報じただけで、それ以降は通常の番組に戻っていた。
不安に駆られているふたりのところに、ウメがやってきて朝食の準備が出来た事を伝えた。
「私……、なんだか食欲がないから……、桜子は朝ご飯を食べて来て」
「何を言っているの、ウメさんも言っていたでしょう。腹が減っては戦は出来ぬって。清一郎さんはきっと大丈夫よ。さあ、朝ご飯を食べに行きましょう。清一郎さんが帰ってきたときに、鈴子が痩せ細っていたら心配するわよ」
「う、うん」
桜子は鈴子の手をとって食堂へと誘った。鈴子も気は進まなかったものの桜子に従って食堂へと向かった。
朝食を前にしても、鈴子の食欲が増すことはなかった。しかし、桜子とウメに進められて少しだけ朝食を胃に押し込んだ。そしてまた、居間にあるテレビの前のソファーに座り込んだ。桜子も鈴子の隣に腰掛けて、鈴子の横顔とテレビ画面を眺めていた。
テレビの前で新しい情報を得ようとしていた鈴子と桜子であったが、何も得ることの出来ない時間が続いていた。ふたりの不安をよそに、テレビから流れ出す音声と映像はいつもと変わらぬ日常を伝えていた。
この状況を打破したのは、テレビでもなく、紀隆からの連絡でもなく、ふたりの赤ちゃんだった。
「おぎゃー おぎゃー」
「おぎゃー おぎゃー おぎゃー」
隆幸と琴音がそろって盛大な鳴き声を発したのだ。何も伝えてくれないテレビ画面を凝視していた鈴子と桜子は、突然の我が子の泣き声に依って日常へと連れ戻された。慌てて立ち上がって、隆幸と琴音が並んで寝ているベビーベッドの方へ急いだ。
「鈴子、私たちに今出来ることは、この子達を立派に育てることよね」
「そうね、テレビの前に座っていたって何にも出来ないものね。しっかりしなくちゃ」
ふたりがそれぞれの赤ちゃんを抱き上げてあやしはじめると、ウメが哺乳瓶に入ったミルクを二つ持って部屋に入ってきた。
「赤ちゃん達もお腹が空く時間ですものね、はいどうぞ」
「ウメさん、ありがとう」
「ふたりとも心配なのはわかりますけれど、あなたたちはお母さんなんですからね、常に赤ちゃん達の事を考えてあげないといけませんよ」
「は、はい」鈴子と桜子は声をそろえて返事をした後、互いに顔を見合わせてチョロッと舌を出した。
ふたりは抱いている子にミルクを与えはじめた。赤ちゃん達は元気よく哺乳瓶からミルクを飲んでいた。
こうして、いつものような賑やかな日常が再開されたのだった。
時が流れるごとに鈴子の不安は増大していったが、押しつぶされそうな不安から鈴子を守ってくれたのは、幼い琴音の笑顔だった。
「もしもこの子がいなかったら……、きっとこんな状況に耐えられないだろうな。きっと倒れちゃっているわね。琴音、ありがとう」
そう呟いた鈴子の目には、琴音の笑顔が映っていた。
時間が経つにつれ、テレビでも内戦の話題が増えてきていた。しかし、テレビの報道では清一郎の安否が確認されるような情報はなかった。詳しい情報が入ったのは、夜中近くになってから紀隆に依ってもたらされたものだった。
「鈴子お嬢様、紀隆様からお電話が入っています」
桜子と共に居間でテレビのニュースを見ていた鈴子のところへ、ウメが電話の子機を持って現れた。
「ウメさん、ありがとう」
そう言って子機を受け取った鈴子だったが、嫌な予感がして声を出すことが出来ないでいた。黙ったまま耳元に近付けた受話器から紀隆の声が流れてきた。
「鈴子か? ごめん、大使館に部下を至急向かわせたのだが……間に合わなかった。清一郎君は大使とその家族、そして職員やメイド達の避難を最優先に、勇敢に行動していたらしい。しかし、政府軍と反政府組織の戦闘のさなか、反政府組織の放った銃弾が清一郎君の……、清一郎君の頭部を貫通したそうだ。残念だが、即死だったそうだ」
鈴子は声も出せず、そのまま崩れ落ちた。事態を察した桜子とウメはが鈴子を支えるようにしてソファーに座らせた。
「桜子、清一郎さんが、清一郎さんが死んじゃったって…………」
その後の言葉は声にならなかった。鈴子は桜子の胸に顔を埋めたまま、子供のように泣きじゃくっていた。桜子はそんな鈴子を抱きしめてあげることしか出来なかった。
数日後、清一郎の亡骸は政府専用機によって日本に搬送されてきた。鈴子は桜子に支えられるようにして、清一郎の帰国を迎えた。
「清一郎さん、お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした」
涙をこらえながら鈴子が清一郎を労う言葉を告げると、付き添っていた桜子やウメの目から涙がこぼれた。
葬儀は大々的に行われた。鈴子は次々とお悔やみの言葉を述べに来る人々の対応に追われていた。
葬儀が終わると、鈴子にも時間的な余裕が訪れた。しかし、時間が有れば有るほどそこに流れ込んでくるものは悲しみだった。鈴子はウメの制止も聞かず、家事やその他の用事を忙しくこなすようにしていた。
「鈴子お嬢様、少しは休まれないと倒れてしまいます。今日は何もしなくて結構ですから、ゆっくりしていて下さい」
業を煮やしたウメが厳しい口調で鈴子に告げた。鈴子は懇願するような目をウメに向けた。
「ウメさん、そんな事を言わないで何でも言い付けて……」
言葉が途切れると共に、鈴子の目から大粒の涙が溢れた。ウメは鈴子の身体をやさしく抱きしめた。
「鈴子お嬢様の悲しみはウメにも充分わかっております。でも、お嬢様はもう母親なんですよ。琴音様の為にもしっかりしなくちゃ。そうでしょう?」
鈴子にとって、ウメのぬくもりが母のそれのように思えた。
数ヶ月後、鈴子は娘の琴音と共に、清一郎と暮らしていたマンションへと帰って行った。
紀隆や桜子には、そのまま百地家で暮らすことを進められたが、鈴子はこの部屋へ帰ることを望んだのだ。
ふたりがここで暮らしたのは僅か三年だったが、ここには清一郎との幸せな思い出が染みついている。琴音と共に、清一郎の気配を感じながら生きていく事を望んだのだ。
ここにいると、常に清一郎の存在を感じられる。我が子に一目会うことも叶わなかった清一郎が、まるでここに居るかのように思えるのだ。
それは鈴子だけではなく、琴音にとっても同様であったらしい。




