02.捜索活動
翌日からの薫子は、実に精力的に『鼻緒の君』捜索活動を行う事となった。
まずは知り合いの帝大生、烏丸武雄に連絡を取る事にした。烏丸武雄は薫子の幼馴染みで、幼少の頃から兄の様に慕っている男だ。
薫子は武雄に電話をかけた。
「武雄さん、ちょっと相談が有るのですが……」
「薫子が俺に相談なんて珍しいな。恋人でも出来たのか?」
「そんなのじゃ有りませんよ。ちょっと調べてほしい事が有るんです」
「調べてほしい事ねぇ。一体何を調べるんだ?」
「うーん、会って話しをしたいのですが……」
「おう、薫子の頼みじゃ断れないな。どこで会う? 俺はどこでも良いぞ」
「じゃあ、明日の昼に帝大の近くにある喫茶店ではどうでしょうか?」
「わかった、じゃあ明日の昼に……」
薫子は翌日の昼に約束の喫茶店を訪れた。店内を見渡すと、武雄は珈琲を飲みながら本を読んでいる。薫子がテーブルに近付くと、武雄は読みかけの本を閉じて笑顔を見せた。
「久しぶりだな。薫子も美人になったなぁ」
武雄に美人だなどと言われて戸惑った薫子は、膨れっ面を作って言った。
「何を言っているんですか! いやらしいんだから……」
「美人になったって言われて怒る奴が有るか?」
「怒ってなんかいませんよーだ」
薫子は子供の頃の様な笑顔を見せた。
「ははは、その方が薫子らしくて良いな。それで調べてほしい事ってなんだ?」
「うん、一昨日ね、私が友達と歩いていた時に、友達の鼻緒が切れちゃったの。それで困っていたら帝大生が近寄って来て直してくれたのよ」
「ほうほう、それでその男の事が知りたいと言うわけだな」
「まあ、そうなんだけれど……」
「なら、帝大の事務局に聞けば済む事だな。その男の名前は?」
「それが聞いて無いの」
「おいおい、名前も解らないんじゃ探しようが無いだろう?」
「それはそうかもしれないけれど……」
「そんなにイイ男だったのか? 薫子が惚れちゃうような……」
そう言って武雄はニヤニヤと下品な笑い顔を薫子に向けた。
「わ、私は惚れてなんか無いわよ!」
薫子は赤くなりながらもキッパリと否定した。
「友達が名前を聞いたんだけれど、『名乗る程の事はしていませんよ』って言って立ち去ってしまったのよ」
「今時珍しい奴だな。友達って不細工なのか?」
「何それ? 鈴子は可愛い娘だよ」
「鈴子ちゃんて言うんだ。可愛い娘ならば尚更珍しい男だな」
「なんで珍しいの?」
「そりゃぁ、可愛い娘だったらお近付きになりたいって思うのが男の性ってもんだろう? 普通は名前ぐらい教えるし、逆にその子の名前も聞いておくものだよ」
「それは武雄おにいちゃんだけじゃないの?」
「いいねぇ、その『武雄おにいちゃん』っていう呼び方。昔に戻ったみたいで落ち着くよ」
「ばか! そんなのどうでもいいでしょう!」
「はは、そんなに怒るなよ。美人が台無しだぞ」
「もう、知らない」
薫子は膨れっ面で武雄を睨んだ。
「俺だけじゃなくて、男全般はそうするね。名乗りもしないのはよっぽどの朴念仁か、さもなければ女に興味が持てない同性愛者だな」
「えー、そんな感じじゃ無かったけれどもなぁ。笑顔とか凄く優しそうだったし……」
「そう言えば、俺の友達にも朴念仁が一人いるなぁ。イイ男なのに女には全く興味を示さない。だからと言って男が好きって訳では無さそうな奴がね。案外そいつだったりして……」
「はは、そんなに近くに居るはず無いよね。その人だったら笑えるんだけれどもなぁ」
「試しに呼び出してみようか?」
武雄はそう言って懐から携帯電話を取り出し、友人の朴念仁に電話をかけた。
「近くに居るからすぐ来るってさ。飯でも喰いながら待つ事にしよう。昼飯まだなんだろう?」
「うん、まだだよ」
「じゃあ何にする? なんでも奢ってやるよ」
そう言ってメニューを薫子の前に差し出した。
「うーん、カレーにしようかな」
武雄はウェイトレスを呼び、カレーライスを二つ注文した。
二人がカレーライスを食べ終わった頃、喫茶店の扉が開き一人の帝大生が入って来た。武雄が軽く手を上げて彼を呼び寄せた。
薫子は驚きのあまり言葉を失った。そればかりか、近付いてくる学生を見詰める薫子は、恥ずかしい事に口が半開きになったままだ。
そう、喫茶店に入って来た帝大生は、紛れ見なく「鼻緒の君」だったのだ。
「薫子、薫子、どうした? 口が開きっぱなしだぞ!」
我に返った薫子は慌てて口を閉じたが、慌てていた為に舌を噛んでしまった。
「あた! ひたかんだったよう」
「何を慌てているんだ? もしかしてこいつがその男?」
水を口に含んで舌を冷やすことによって人心地ついた薫子は、冷静さを取り戻して言った。
「こんな偶然って有るんだ。紛れもなくこの人だよ」
「そうかそうか、それは良かった。とにかく紹介しておこう。この男は奥平清一郎、俺と同い年の帝大生だ」
この間、奥平清一郎は事態が呑み込めずテーブルの脇に突っ立ったままだった。
「奥平、とにかく座れよ」
武雄にそう言われて席に座った清一郎だったが、突然一昨日の事を思い出して再び立ち上がった。
「あなたは一昨日の草履の人と一緒だった……」
武雄は清一郎の手を引っ張って、椅子に座らせてから言った。
「らしいな、こいつは俺の幼馴染みで立花薫子。お前を捜していたらしい。あまりの偶然で俺も驚いているところだ。まあ、珈琲でも飲んで落ち着こうや」
武雄はウェイトレスを呼び、珈琲を三つ注文した。