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15.朴念仁の求婚(1)

 

 鈴子たちによる『鼻緒の君捜査』以来、奥平清一郎は鈴子の兄百地紀隆とも親しくなっており、今も紀隆に招かれ昼食の席に赴いていた。

 政治や経済などと言った小難しい話題も一区切り付き、紀隆は姿勢を正して清一郎の目をまっすぐに見詰めた。

 紀隆は今、最も気になっている話題に入ろうとしているのだった。


「奥平君は鈴子のことをどう思っているんだ」

 歯に衣着せぬ紀隆の言葉に清一郎は、戸惑いながらも正直に胸の内を語り始めたつもりだったが、如何せん相手は鈴子の兄だ。その上、次期百地家当主と言えばこの国を背負っているも同然な男だ。清一郎の声がうわずり、発言も気弱になってしまうのも仕方のないところだろう。

「はい、えっと……、鈴子さんはとても素敵な方で、まして百地家のご息女であられ、僕の様な何の取り柄もない平民風情が近付くことさえおこがましいのですが……」

「おいおい、今時華族も平民もないじゃ無いか。それに奥平君は帝大での成績も優秀だし、真面目で誠実な人柄だと聞いている。取り柄なら十分にあるじゃないか」

「は、はい」

 清一郎の恐縮ぶりに紀隆は笑顔になった。

「そう恐縮しなくても良いだろう? 私も君と同じひとりの人間だ。特にここではな。そのために二人だけの席を設けたんだ。もっと肩の力を抜きたまえ。それと、失礼とは思ったのだが、君のことを少し調べさせてもらった。私の立場上と言うか、鈴子の兄として君がどんな男なのか気になってな。母ひとり子ひとりで苦労したみたいじゃないか。報告を聞いて感心していたんだ」

「感心だなんて、そんな……。恐縮です」

「だから、恐縮することなんかないんだよ。それで、鈴子とはどうなっているんだ?」

 紀隆の笑顔に助けられるように、清一郎の気持ちも少し落ち着いてきていた。

「はい、鈴子さんとは真面目にお付き合いをさせていただいております。鈴子さんは優しいお方ですので、面白くもない僕の話を頷きながら聞いてくれますので、僕としてはこれ程嬉しいことはありません」

「そうか、そうか、兄の私が言うのも何だが、鈴子は良い子だからなぁ。それで、将来の話とかはしていないのか?」

「将来と申しますと……」

「将来は将来だよ。男と女が真面目に付き合うって事は……、そういうつもりでいても良いんだろう?」

 本人たちの宣言が無い今の段階では言葉を濁さざるを得なかったのだろうが、紀隆らしくないもどかしい表現になってしまった。

 清一郎は紀隆の言葉の意味を瞬時に理解していた。しかし、鈴子に了承を得ていない段階で兄に胸の内を話しても良いものかを考えていた。しかし、この期に及んで言葉を濁す事は、鈴子との今後を考えれば決して良いことでは無いだろうという結論に達した。

「はい、まだ鈴子さんの意向は聞けておりませんが、僕としましては結婚を視野に入れてお付き合いをさせてもらっているつもりです」

 不安そうだった紀隆の表情が崩れた。満面の笑顔にうっすらと涙さえ浮かべている。

「そうかそうか、それはめでたい。そういうことならば、早めに鈴子に話さなくてはな。そうだ、ここに鈴子を呼ぶか」

 清一郎は焦った。結婚という人生の一大事の事だ。それなりのタイミングできちんと話したいと思うのも当然だろう。

「あっ、いや、あのう、近々鈴子さんにお会いしたときに僕の口から話したいと思いますので、それまでは……」

「そうか、それもそうだな。うん、分かった。この話は聞かなかったことにしよう。これからも鈴子のことをよろしく頼む」

 そう言って紀隆は頭を垂れた。それを見た清一郎も慌てて頭を下げたが、勢い余ってテーブルに額を強打してしまった。

「ははは、慌て者だなぁ」

「いや、ははは、すみません」

 なんとも情けない姿だが、この男なら鈴子を幸せにしてくれるだろうと、紀隆は確信していた。


 昼食に少々の酒が添えられていたのだが、上機嫌の紀隆が追加したため、テーブル上には大量の酒が並んでしまった。清一郎はあまり酒が得意では無いので飲んでいなかったが、その分紀隆の酒量が増えていった。

「それで、鈴子にはいつ求婚するつもりなんだ? 今日はちょうど大安だしな。今日にしなさい」

「えっ、そんな急に……」

「急も何もないだろう? 君達が付き合い始めてすでに一年になるんだろう」

「いえ、まだ十ヶ月ほどですが……」

「細かいことはどうでもいい。おめでたいことは早いほうがいいんだ」

「しかし、僕はまだ学生ですし……」

「もうすぐ卒業だろう。かまわんよ」

「しかし……」

「奥平君には、帝大を卒業後したら軍に入って百地の手伝いをして欲しい。早く身を固めて我が国の為に尽力して欲しいと思っているんだ」

 清一郎は紀隆の言葉に戸惑った。清一郎には外交官として世界中を飛び回り、諸外国との国交に尽力すると言う夢があった。この夢は、幼き頃に父を亡くしてから、必死に彼を支えてくれた母と交わした約束でもあったのだ。

 帝大入学後に烏丸武雄と出会い、大戦後から現在に至る外交の状況なども知り、その想いはさらに強い物となっていた。本来ならば、百地家次期当主紀隆の言葉に逆らえるような立場でもないし、このような申し出をむげに断れるような性格でもない清一郎だったが、ここで『はい』と応えるわけにはいかなかった。

「しかし、僕は軍ではなく外交の道に進みたいのですが……」

「外交? あの役人同士がちまちまと密約を交わすやつか? やめて置け、あんなのは時間と金ばかりかけて大した成果も挙げられん。百地流の方が手っ取り早いし効果的だ!」

「しかし、これからの外交は恐怖ではなく、理念と信頼関係によって構築されるべきではないでしょうか?」

 紀隆の表情が険しい物へと変貌した。かなりの酒を飲んでいた所為もあるのだろうが、一気に感情が湧き上がったのだ。

「何を腑抜けたことを……。もういい! 鈴子との結婚はなかったことにしてくれ! そんな腑抜けのところに鈴子を嫁がせるわけには行かないからな」

「そんなぁ」

「分かったな! 金輪際鈴子に近付くことは許さん!」

 紀隆は捨て台詞を清一郎に残して、立ち去ってしまった。






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