11.薫子の消息
武雄と薫子の逃避行から半年が経っていた。
午前中に女学校の卒業式を終えた鈴子と桜子はカフェのテーブルを挟んで談笑している。
「女学校ではいろいろ有ったね」
「楽しい事も辛い事もね」
「鼻緒の君捜しは楽しかったね」
「その節はお世話になりました」
鈴子は桜子に対して頭を垂れて見せた。桜子は笑いながら頷く。
「でも、一番活躍したのは薫子だけれどもね」
「薫子はどうしているのでしょう? どこかで元気に暮らしているのでしょうか?」
鈴子の言葉に桜子は少し困った様な表情になる。そんな桜子の様子を鈴子は見逃さなかった。
「桜子は何か知っているの? 薫子と武雄さんの事」
桜子は何か思案する様に視線を宙に泳がせた。鈴子はそんな桜子の目をまっすぐ見ながら追い打ちをかける。
「知っているなら私にも教えて。だって、薫子がいなくなった事件は私と清一郎さんを引きあわせてくれたところから始まっているんでしょう? それが無ければ薫子が武雄さんとあんなに近付く事も無かったのではと思うと……、薫子に申し訳なくて」
「大丈夫だよ。薫子の件と鈴子の事は関係ないから。鈴子と清一郎さんの事が無くったって同じ結果になっていた筈よ」
「どうしてそう言えるの? 桜子は何か知っているの?」
「…………」
桜子の沈黙に何かを感じた鈴子はじっと桜子の瞳を見つめていた。
「やっぱり桜子は何か知っているのね。私にも言えないことなの?」
鈴子の瞳から一雫の涙が頬を伝った。
「鈴子……黙っていてごめんなさい。実は私、薫子の消息を聞いているの」
「えっ! 知っているの」
「うん、ごめんなさい。ちょっと訳があって他言出来なかったの」
鈴子は身を乗り出して桜子を質問攻めにする。
「薫子は元気なの? 今どこにいるの? 武雄さんも一緒なのかしら? 幸せなのかな? なんで行方不明になっちゃったの? えっと、それから……」
「鈴子、鈴子ってば」
我を忘れた様に宙を睨みながら、答えも待たずに質問を続ける鈴子を桜子が制した。
「そんなに一遍に質問されたって答えられないじゃない。ちゃんと話すから落ち着いて」
「う、うん。わかった」
鈴子はフーっと大きく息を吐くと、落ち着きを取り戻した。そんな鈴子の様子を愛おしそうに見ながら、桜子は話し始めた。
「まずは、薫子と武雄さんが行方不明になった理由からなのだけれど……」
鈴子は頷きながら桜子の次の言葉を待っている。
「武雄さんって、帝大で学生運動に参加していたらしいのよ。それもリーダー格だったそうなの。その上、各大学の学生運動家たちが集まった学生連合って言う組織にも属していて、そこでもリーダーをやっていたらしいのよ。そして、その学生連合が政府高官の弾劾を求めて一大イベントを行おうと計画をしていてね。その計画の打ち合わせ現場に警察が踏み込んだそうよ」
「武雄さんは逮捕されちゃったの?」
「いいえ、何とか逃げのびたらしいわ。でも、その現場にたまたま薫子もいたらしいの。それで、武雄さんと薫子は手に手を取って逃避行ってわけ」
鈴子には全く現実味のない話だった。まるで映画の様な展開に不謹慎な言葉が突いて出た。
「何だか素敵な恋物語ね。逃避行の末安住の地で幸せに暮らすのかしら?」
「鈴子、映画や小説の話じゃないのよ。大変な事態なのよ」
「あっ、ごめんなさい。つい……」
落ち込む鈴子にやさしい笑顔を向けながら、桜子が話を続けた。
「まあ、結果的にはロマンチックな感じになったみたいだから良いんだけれどもね」
「じゃあ、薫子は幸せなのね。今はどこにいるの? 会いたいなぁ」
「うーん、簡単には会えないような所にいるのよね。今は南方の港町で暮らしているらしいわ」
「武雄さんと一緒なんでしょう?」
「ええ、とある軍関係の方の配慮があってね。今後反政府活動をしない約束で今は平穏に暮らしているらしいわ。その方からの援助で不自由なく暮らしているそうよ。薫子の事ですから、新しい土地でも張り切っていることでしょうね。薫子はきっと幸せになるわ」
「薫子は幸せなのね。良かった。でも、とある軍関係の方って誰なのかしら?」
「それは私の口からは言えないの」
そう言った桜子の顔を見つめながら鈴子が言う。
「なんで桜子がそんな事を知っているの?」
「えっ、それは……」
困っている桜子の顔を見つめながら、鈴子は半年前のあの日の光景を思い出していた。
そう、清一郎と共に尾行したあの時のことだ。鈴子の兄の百地紀隆と桜子が弁天島で口づけを交わしていたシーンだった。
鈴子はそのシーンがまるで今、目の前で繰り広げられているかのような錯覚に陥り、頬を赤らめていた。
「鈴子、鈴子、どうしたのよ。顔が真っ赤よ。急に熱でも出たみたい」
「あっ、えっと、そのう……」
桜子は口ごもる鈴子の態度を怪訝に思ったが、鈴子の後ろから近付く人に気付くと、桜子の意識の全てはその人物に注がれてしまった。鈴子の事すら忘れかけるありさまだった。
その人物は桜子の視線に気付くと軽く手を上げて微笑んだ。そして桜子の前に座っている鈴子の肩に手を掛けて言葉を発した。
「卒業おめでとう」
「キャッ」
不意な事に小さな悲鳴を上げてしまった鈴子が振り返ると、そこには兄、紀隆の笑顔があった。
「お兄様、なんでここにいるのですか?」
驚いている鈴子と微笑む桜子の顔を交互に見ながら、紀隆は桜子の隣に座った。
「実はなぁ、鈴子に話しておかなくてはならない事がある」
鈴子には事態が呑み込めない。何故、自分がここにいる事を兄が知っていたのか? 何故、兄は自分の隣では無く桜子の隣に座ったのか?
紀隆は桜子と目を合わせ、何か意思の疎通を図ってから、居ずまいを正して鈴子に語り始めた。




