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「はぁ、やっぱりレイは強いな、せっかく作戦練ったのに、それでも負けるなんて」
試合が終了した後、控え室に戻って来た途端に今までの緊張が解けて、たまらず椅子に座り込んだ。乱れた髪の紐も無造作に解く。
足場的にはこちらが有利であったはずなのに、最後の一瞬の油断が敗北に繋がった。しかし、あの場面からレイを負かすにはどうしたらいいのかもわからなかった。結局は剣術をもっと極めるしかないのかなぁと唸っていると、控え室の扉がノックされた。レイがこちらの控え室まで来たのかもしれない。はーいと返事をすると、扉がゆっくりと開かれた。
そこに居たのは、サラサラの金髪に海のような青い目をした美青年だった。まるで絵本から飛び出してきた王子様みたいだと思った。
何事だろうと目を白黒させているうちに、その王子様はスタスタとカイルの目の前まで歩いて行くと、正面から髪をひと房取って凝視し始めた。顔が近いし何をしたいのか全くわからない。そして不意に目があったと思うと、心臓がドキリと脈打った。彼の真剣な目には自分が映っていて、驚いたような顔をしている。さらに彼の両手が顔に近付いてくるのが、スローモーションのように見えた。顔を優しく包まれたと思ったら、親指が目元を撫でていく。驚愕に目を見開いた相手は、すぐに目を細めた。しばらく見つめあった後、相手のその薄い唇がゆっくりと開かれていった。
「君ってもしかして…」
音が発せられたと同時に、反射的にその場で立ち上がると同時に距離を取る。一拍後に椅子が倒れる音がして、遅れて心臓がバクバクし始める。相手を見るとまた驚いたような顔をしていて、おそらく自分も同じような顔をしているのだろう。数秒の沈黙の後、いたたまれなくなったカイルは、その場から走って逃げ出した。
心做しかか顔が熱い。これまで生きてきて、あんなに顔を近付けられたのは母くらいだ。決して初対面の男にあんなに迫られたことはない。そう考えると、恥ずかしいのか腹立たしいのかよくわからない気持ちになった。
気付いたら廊下を走っていて、向こう側からレイが歩いて来ているのが見えた。レイの元に全力でかける。レイはこちらに気付くと、満面の笑顔を浮かべて手を上げた。
「カーラ!さっきの試合すごく楽しかった…ってどうしたんだ?」
レイの手前までくると膝に手をついて息を整え始めたカイルを見て、レイは不思議そうな顔をする。息がある程度整うと、右手で後ろを指差しながら必死に言葉を紡ぐ。
「な、なんか…変な人が僕の控え室に来てっ…」
「変な人で悪かったね」
後ろからつい先程まで対面していた人の声が聞こえてきて、慌てて口を噤む。後ろを恐る恐る振り返ると、さっきの王子様が王子様スマイルを浮かべて立っていた。何故追ってきたんだと困惑する。
「試合を見てたら、可愛い子がいたから、我慢できずに口説きに行っちゃった」
まるでてへっとでも言いそうな茶目っ気たっぷりな笑顔を見て、愕然とする。何も言えずに固まっていると、レイが苦笑いしながら口を開いた。
「お前、初対面の人を口説くような軽いやつだったか?会わないうちに随分変わったな」
気心知れた仲を思わす話し方に、今度はレイを凝視して固まる。顔には、え、知り合い?とデカデカと描いてあった。レイはその顔を見て可笑しそうに笑う。
「こいつはこの国の王太子殿下、ケルヴィン・フォン・ルーラルだ。そして…」
「カーラさんも、お兄様も待ってください…!」
レイの言葉を遮って向こう側の廊下から小走りで現れたのは、なんとクリスだった。
「クリス、クリスティーヌ・フォン・ルーラル王女殿下の兄だ。」
正直急展開過ぎて、状況を飲み込むのにしばらくの時間を要した。