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「二年前のあの日、俺たちはいつも通りの朝を迎えていた。いつもと変わらない朝だった。
魔物を討伐しに行く領主軍に、俺と父上が着いていく。俺は8歳の頃から魔物の討伐に着いていっていたから、14歳だったあの時に誰かに止められるなんてことはなかった。もし未来を知っていたのなら、家で大人しくしとけと、誰かしらが言っていただろうけど。
いつもと違ったのは、妹が領主軍に自分も着いていく、と言って、本当に着いてきたことだった。
俺の家は、貴族界では戦闘狂集団として有名だった。父上は冒険者ギルドでもS級の称号を得ている程強かったし、母上はA級の称号を得ている程それなりに強かった。俺もその頃にはA級だったし、妹も幼い頃から魔法に剣にと習っていたからそれなりに戦えた。それに、俺が領主軍に着いていくようになったのは8歳だったから、当時9歳だった妹に行くなと言えるわけもない。
だから、魔物の討伐に妹が着いてくるのを、みんなは強く止めなかったんだ。
俺には、兄と慕う従兄弟がいた。10歳年上で、そのとき24歳だった。兄さんは俺とよく遊んでくれた。剣や魔法の練習を一緒にしたり、街に遊びに連れ出してくれたりとか。喧嘩も結構したけど、本当の弟のように接してもらっていたと思う。
領主軍として魔物の掃討作戦を行うときは、いくつかのグループに別れてするんだけど、そのとき俺がいた班は、兄さんを班長にして、比較的若い兵士数名と俺、妹っていうメンバーだった。
飛び抜けて強い人が近くにいたらどうしても頼ってしまう。それを許さないとばかりに、崖から突き落とすのがうちの領主軍が強い秘密だ。もちろん、無駄死にさせるわけにはいかないから、すぐ駆けつけられる距離にベテラン兵士たちはいるし、信号弾も全員に持たせている。
周りを警戒しながらも、適度に力を抜くため兄さんたちと談笑しながら森の中を進んでいく。途中までは本当に順調だったんだ。強い魔物もみんなで協力すれば倒せた。たぶん、俺は6年間順調にいき過ぎて、傲慢になっていたんだと思う。俺たちに倒せない敵はいない、って。
ふと、遠くで鳥が羽ばたいていく音が聞こえた。辺りは急に不自然な静寂に襲われた。それが何十秒続いたかわからない。もしかしたら、たった数秒だったのかもしれない。
突然地鳴りが響いたと思ったら、その音が段々大きくなった。そして、耳が痛くなる程の大音量が近付いてきたとき、左右を大量の魔物たちが走っていっているのが見えた。俺たちがいたところは、ちょうど木が複雑に入り組んでいて、魔物が避けて通っていたところだった。当時は安心することもできず、じっと魔物が通り過ぎるのを待った。
魔物が通り過ぎた後、さっきのようにドドドドドと複数の足音が聞こえるような地鳴りではなくて、今度はドシン、ドシンと、一歩一歩歩くような地鳴りが聞こえてきた。その後、この世のものとは思えないほど恐ろしい雄叫びが聞こえてきた。それはすぐ近くからだった。最初は怯えていた俺たちも、意を決して魔物の様子を見に行くことにした。たぶん、このとき傲慢になっていたのは、俺だけじゃなかった。
少し開けた場所で、寛ぐように寝そべった紫色の巨体を見て目を剥いた。ドラゴンのように鋭い眼差しに、羽毛のような紫の体毛、尻尾は蛇のようで、四本の鋭い爪は毒々しい。その堂々たる姿を見て、俺たちは確信した。あの魔物は王だと。
魔物がその土地から溢れ出る条件としては2つある。
一つ目は、魔物の数が増え過ぎた場合。魔物が増え過ぎると、縄張り争いに負けた魔物が、住処を求めて出てくることがある。これの対処は簡単だ。定期的に魔物の数を減らしていけばいい。だから、国の全域に渡って領主軍や騎士が配置されている。
二つ目は、魔物の王が現れた場合。魔物の王が現れた場合は注意が必要だ。魔物の数に関わらず、魔物は人間たちの住む土地に攻め込んでくる。それは王が命令しているという説もあるし、王がいることで敵である人間を滅ぼすという本能に目覚めたからという説もある。とにかく、王を滅ぼさないことには戦いは終わらない。魔物の王を滅ぼさねば、国が滅びるとまで言われている。実際、滅びた国も過去にはあったらしい。
魔物の王を俺たちだけで倒すべきかどうか。もっと冷静に判断していれば、俺たちは撤退していたかもしれない。いや、そうとも言えないな。そのときの俺たちは、魔物の王を屠ることで得られる名誉や武勇しか頭になかったんだ。唯一止めようとしたのが、妹だった。
一番初めに飛び込んだのは、俺だった。気が緩んでいるらしい魔物相手に奇襲を仕掛ければ、簡単に倒せると思った。王は俺が来ても何もしない。渾身の一振りを、その毒々しい爪で簡単に防いだ。一度距離をとって、再度打ち込む。それを王は余裕の表情で爪で弾き返す。最後にはそのやり取りに飽きたのか、防御すらしなくなった。
最後の攻撃を体毛で防がれた後、茫然自失してその場から動けずにいると、兄さんから名前を呼ばれた気がした。緩慢な動作で振り返ると、厳しい表情で俺の元まで走ってきているのが見えた。影がかかるのと、兄さんが俺を引っ張って位置を入れ替わるのは同時だった。一瞬の後、ドンという音と、パキっという音と、兄さんが木を背もたれにしてこう垂れた姿があって…っ」
レイはそこまで話すと、頭を抱えてしばらく動かなくなった。顔は見えないが、恐らく血の気が引いているに違いない。身体も小刻みに震えている。カイルは彼の背に遠慮がちに手を当てて、ゆっくりと摩った。レイの震えも次第に収まっていく。彼はまた深く深呼吸すると、話を続けた。
「…兄さんはたぶん、即死だった。身近な人の初めての死がまた、俺をそこに縫い止めてしまったんだ。仲間たちが、逃げろ、とか、走れ、とか、叫んでいるのがどこか遠いところの出来事な気がして、動けなかったんだ。その間にも仲間たちは次々と殺られていく。
俺の意識が戻ったのは、妹が俺を呼ぶ声だった。しっかりして、と凛とした声でそう言って魔物に向き合ってる彼女を見て、妹が恐怖に立ち向かってるのに、俺がこんなんでどうする、と思った。
そこからは、残った仲間たちと妹と俺で、魔物を押し返し始めた。ただ、俺は先程の恐怖に打ち勝ったことに安堵してしまったんだ。俺は戦えてる、大丈夫だって。それが一瞬の油断になってしまった。
気付いたときには、妹は背中に大きな傷を負って目の前に倒れてて、魔物の王は父上に倒されていた後だった。後で聞いた話によると、兄さんは俺が一人突っ込んだ後、早々に信号弾を使って父上たちを呼んでいたらしい。一緒に作戦を行っていた仲間はほとんどが殉職、妹はどうゆうわけか仮死状態な上に空気の壁で守られていたため無事。二年間寝たきりで目を覚まさない状態が無事と呼べるのかは疑問だけど。
俺はかなりこっ酷く怒られたらしいが、それも覚えてないくらい茫然自失としていたらしい。俺は何日も考えた。どうやったら、罪を償えるのかと。どうやったら、死んだ時に妹と兄さんに顔向けできるようになるのかと。俺は決めた。みんなを守れるくらい強くなって、誰かを守れる存在になろう、と。それが、俺の、騎士になろうと思った動機だ。…まあ、もうすぐ騎士の夢も諦めないといけなくなるかもしれないけどな」
レイは一通り話した後、自嘲気味に笑った。
「…話がそれたけど、妹はそういう経緯であんな状態になった。たぶん、妹は助からない。空気の層が無くなったら、妹の身体は蘇生を待たず朽ち果てていくだろう」