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「紹介に預かりました、ルーラル王国の第一王子の、ケルヴィン・フォン・ルーラルです。よろしく、カーラさん」
ケルヴィンは爽やかな笑みを浮かべて自己紹介をした。
「もう、お兄様は試合が終わった後すぐにいなくなってしまわれるし、カーラさんは私の横を素通りして走っていってしまうし、酷いです」
若干拗ねたように頬を膨らませるクリスは可愛いが、内心は冷や汗ダラダラだ。今までの行いで不敬なところはなかっただろうかと、昨日からの記憶を思い返してみる。頭の中がプチパニックを起こしている現在では、大丈夫だったかどうか正直よくわからない。ケルヴィンは苦笑しながら妹の頭を撫でる。
「それは悪かったね。カーラさんが魅力的過ぎて、つい駆け出してしまっていたよ。それに、ちょっと気になることもあったしね」
気になることとはなんだったのだろうかと目を瞬くと、ケルヴィンは柔らかく微笑んだ。
「もう解決したから、それは心配しなくていいよ」
ケルヴィンはあれで何を確認したかったのだろうと考えるが、わからない答えに狼狽えるしかない。まさか試合中に、何かまずいことをしていたかと思い、身を固くする。いやでも、どちらかというとまずいことをしたのはケルヴィンの方ではないだろうか。まだ結婚もしていない王太子殿下が一平民のカイルに迫っていたなど、周りに知られればスキャンダルだ。それともまさか愛人候補にでもされたのだろうかと悶々と考えていると、ふと、一つ決定的にまずいことをしていることに気が付いた。慌てて姿勢を正して頭を下げる。
「えっと、ご挨拶が遅れました、カーラと申します。先程は王太子殿下とは知らず、無礼な振る舞いをし申し訳ございませんでした」
「いいよ、僕も初対面なのに急に控え室を訪ねたりして悪かったね。許してあげる。顔を上げて。その代わり…」
間髪入れずに返ってきた返答に恐る恐る顔を上げると、ケルヴィンはイタズラを思いついたような顔で意味深に笑っていた。何を言うつもりだとまた身を固くする。
「僕と付き合ってくれないかな」
爆弾発言もいいところである。やはり愛人候補になったようだった。ケルヴィン以外の3人が目を剥いて凝視する中、ケルヴィンはケラケラと笑いながら、冗談だと言った。当たり前だろうと胸を撫で下ろすのは私だけで、クリスとレイは困惑を隠しきれない表情でケルヴィンを見ている。
「お兄様、そのような冗談は…」
「お前本当に変わったな…」
2人からの呟きを聞いて笑うのをやめると、咳払いをしてから、今度は穏やかな笑みを私に向けてきた。そして妹の背に手を添えて、少し前に促す。
「本当にすまない。さっきの冗談については謝るよ。ただ、妹とはこれからも友達として仲良くしてやってほしい。昨日から浮かれていてね」
「お、お兄様…!」
クリスが赤面するのにも構わずケルヴィンは続ける。
「昨日の夕食の時から妙にソワソワしていたから、どうしたのかと聞いても教えてくれない。仕方ないから、クリスの侍女に聞いたんだよ。最初は頑なに口を噤んでいたけれど、妹のことが心配だと言えば、口を割ってくれたよ。まさか、一人で護衛も付けず外に出た挙句、15歳なのに騎士選抜試験に参加するなんてね。今日も朝から一人でここに来ようとしていたから、一緒に来ることにしたんだ」
目を剥いた私とは対照的に、レイは苦笑しただけだった。
「バレたらまずいんだと思って黙ってたけど、結局こうなるなら昨日の内に城まで報告しに行くべきだったかな」
そういえば昨日、レイはクリスのことを知り合いの妹だと言っていた。クリスが王女殿下だと知っていた上に、未成年ということも知っていたのだとすると、昨日クリスの話になると話しずらそうにしていたのに妙に納得してしまった。
ケルヴィンはレイの言葉を笑って否定する。
「父上と母上はこのことを知らないよ。二人が知ったらクリスの監視が厳しくなるだろうしね。それはあまりにもクリスが可哀想だ。今回は騎士選抜試験の視察という名目で来ている。僕の公務に妹が着いていくなら、ということで外出許可が出たんだ。君が黙っていたのは結果的に妹のためになったよ」
王族も大変なんだなぁと他人事のように思った。
「さて、そろそろ帰らないと、母上に怒られてしまうな。母上は心配性だから。じゃあ、君たちが騎士になるのを楽しみにしてるよ」
「そうですね。カーラさん、レイ様、またお会いしましょうね。ごきげんよう」
ケルヴィンは最後に王子様スマイルを浮かべて、クリスは人懐こそうな笑顔を浮かべて、一緒に去って行った。
嵐とは突然やってきて突然去っていくものである。