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妖語り~胡蝶の夢~  作者: 九尾ルカ
4章:真実の代価
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真実の代価

 後輩の手を引いて物陰に隠れたのは、つい先程の事だった。


 対策室を出た後、商店街で華火と出会ったのも束の間、挨拶を交わしている最中に黄金色の髪を靡かせて人の合間を歩く女を視界の隅に捉えたのだ。

 間違いようもあるまい。


 あれは、アゲハだ。


 咄嗟に体を引っ張られ、口元を塞がれた華火は目を丸くしていた。

 申し訳ないとは思うが、指一本で静かにしてほしい旨をジェスチャーで伝えると、訳も分からないだろうに静かに頷いてくれる。


 できた後輩だ。


 逃走を考えもしたが、アゲハにはツクヨミがある。

 本来存在できない場所に存在できると聞いたあの力は、どの程度まで応用が効くのか定かではないものの、瞬間移動まがいの事はできると思っておくべきだろう。


 ともすれば、僅かにでも不審に思われたらアウト。


 そしてこちらに歩いてくるアゲハとの距離が詰まれば詰まるほど、発見のリスクは高くなる。

 そんな状況で騒がないように華火を説得しながら逃げるという選択はあまりにリスキーだ。

 なにせ、華火もアゲハに顔を知られているのだから。



「あらぁ? あららぁ? 八方に一匹ずつ青い蝶……困ったわぁ……これじゃあ何処に居るか絞れないわねぇ……」



 現在地ではなくアゲハを中心に八匹の蝶を放ったは良いのだが、アゲハがそれを見付けたのがよりにもよって隠れている室外器を挟んで目と鼻の先になってから。


 わざとらしく声を出しているのは、余裕の表れだろう。

 さて、これはもう見付かっていると考えるべきなのだろうか。


 ……否。


 きっと、あの女は見付けていようがいまいがああするだろう。

 なにせ、その言葉に何かが少しでも揺らげば即座に確認できるのだから。



「ごめん、もう少し我慢して」



 華火を抱く手に力が籠る。


 腕の中、あまりに華奢な後輩は無言のまま小さく頷く。

 黒い髪がふわりと揺れ、どこか花のような香りがした。


 震えはない。

 彼女が以前に言っていた事を思い出す。



 --私は、きっともう何かを怖がる事ができません。縛られたんじゃなくて、壊れちゃったんだと思うんです--



 何かを恨むことすら今のムラサキには難しいが、それでも……ただ哀れだった。

 本当なら、こんな状況はきっと怖くてたまらないだろうに。


 この子は、初めて自分に手を差し伸べてくれた後輩は、そんな当たり前の事すらできないのだ。

 せめて、その事を知っている自分だけはそれを悔やんでやりたいと思った。



「ざぁんねん……近くには居なさそうねぇ」



 普通、ただ一人の足音なんて雑踏に紛れて消えてしまうのだろうに、どうしても硬い靴が地面を叩く音が耳に響く。

 感情の呪縛が無ければ、きっと華火に心臓の早鐘を聞かせていたのだろう。


 少しずつ、アゲハから感じる威圧感と足音が遠ざかって行く。

 念の為、蝶は各方向に飛び立たせた後に消した。

 この場を離れた瞬間に姿が見えなくなっては、居場所を伝えるような物だろうから。



「ごめん華火。驚かせちゃって」



 ゆっくりと立ち上がり、ムラサキは華火から手を離した。



「あ、いえ、大丈夫です。先輩の立場は理解していますから」



 解放された華火は心なしか少し寂しそうにも見えた。

 まあ、ムラサキとしても好意と言える感情を抱いている相手だけに、そんな風に考えたくなるのかもしれない。


 他の相手ならば悟られようもないだろうが、華火相手では油断ならない。

 無表情。その上で平静をさらに装うというのも、正直どんな状況か分からないが、現在のムラサキはまさにそんな状態だ。



「あれ? 着信?」



 ポケットから伝わる振動に気付き、ムラサキは携帯を取り出した。

 画面には八備翔人の名前と番号。

 ちらっと華火に視線を遣る。



「あ、私は居ないって事にして話してください。すぐに行くつもりですから」



 泣き出しそうな、あるいは困ったようないつもの笑顔。

 ムラサキは無言で頷き、端末を耳に当てた。



「はい。オオムラサキです」


「桜斑咲君。今何処にいる? 一人か?」



 何故だろうか。

 いつもと変わらない声色なのに、その言葉にはどこか焦りを感じる。



「一人です。対策室に行ったのに留守だったので、そこから出て商店街を歩いていました」


「それはすまなかった。調べ事をし出払っていたんだ。……それで、一つ早急に君の耳に入れておかねばならない事ができてな」


「キイロアゲハの事ですか?」


「いや」



 短い否定の言葉は予想外だった。

 現状、翔人が自主的に動き、調べ、そしてムラサキに伝えなくてはならない事など、あの黄色の妖蝶の事以外にあると思ってはいなかった。



「っ……夢路華火という少女の事だ」



 電話の先、翔人は一瞬だけ言い淀んだ後、しかしはっきりと告げた。


 夢路華火。


 ムラサキは思わず後ろを振り向く。

 件の彼女は頭に疑問符を浮かべながら、小首を傾げていた。



「あの子が、どうかしたんですか?」


「死んでいるんだよ」


「え?」



 何を言われたのか理解ができなかった。



「夢路華火という少女は第八神霊災害で死亡しているはずなんだ」



 感情を縛られているはずだというのに、まるで心臓を握られたような感覚を覚える。

 全身の血の気が引き、目の焦点が定まらない。


 では、すぐ隣に居るこの子は……



「君は、誰と一緒に居たんだ?」


「僕は……--ッ!?」


「どうした? 何かあったのか?」



 手から滑り落ちた携帯から、翔人の声が聞こえる。

 何かあったのか? と聞かれていた。

 ああ、あったとも。

 たった今、華火に背後から胸を貫かれたのだから。



「そろそろ、バレちゃうとは思ってました」


「華……火……」



 華火が足元にあった携帯を踏み潰す。

 時々握った、その白く細い手はムラサキの血で赤く汚れてしまっている。

 ふと、ムラサキはキイロアゲハの持つツクヨミの力を思い出していた。

 存在できない場所に存在できる能力。



 --それは例えば、自分自身の目の前に現れることもできたのではないだろうか?




「キイ……ロ……アゲハ……」


「あらぁ? あららぁ? よく分かりましたねぇ、せんぱぁい」



 声は普段聞く華火のまま、口調だけがキイロアゲハの物になっていた。


 ああ、騙されていたのか。


 ずっと。

 ……ずっと。


 最初から、アゲハは夢路華火として、オオムラサキを一番近くで見続けてきたのか。



「本当は、夢路華火のアタシはずぅっと隣に居てあげようかと思ってたんだけどねぇ?」


「ぐっ……ぅぅ……!」


「バレちゃったならぁ、離れられる前に欲しいものだけは貰わないとねぇ!」



 華火……いや、アゲハは勢いよく突き刺していた腕を引き抜いた。

 体の芯を貫いていた物が無くなる感覚は激痛を伴いながら。

 そして同時に、背中から何かを引きちぎられたような感覚もあった。


 いや、何かではない。

 羽だ。


 暴走したカブトの攻撃からミナモを庇った際に、片羽を失った。


 そして、残る片羽もたった今奪われた。

 僅か残っていた力すらも体から抜け落ちてしまい、ムラサキは前のめりに地面へ倒れた。



「ふっ……ふふふ……あっははははは!」



 ムラサキの耳に、聞き慣れた後輩の、聞いたこともない狂気的な笑い声が届く。

 いまだ、理解が追い付いていない。


 華火なのにアゲハで、アゲハなのに華火で。


 最も大切な人が、最も憎い相手で。



 一番信じていた相手に裏切られた。



「これがぁ……第九の力ぁ……!」


「華……火……」


「うーん?」



 意識すら朦朧とする中、ムラサキは黄色に青い筋が入った羽を広げる後輩の姿を見ていた。

 もう言いたいことを考える体力すら残っていない。

 見下すような視線をこちらへ向け、アゲハは歪んだ笑みを浮かべている。



「綺麗だね……」


「--ッ!?」



 一瞬だけ目を見開いたアゲハに、腹を蹴られた。


 痛かった。

 痛かったけども、もっと痛い所があるせいでよく分からなかった。


 襟首を掴まれ、力も入らない半身を無理やり起こされる。



「アタシはぁ、君を騙してたのよぉ? 恨み言の一つも言ってみなさいよ!」



 そうだ。


 ここまで酷い仕打ちを受けたのだ。


 抵抗する気力すら残ってはいないが、せめて、呪詛の一つでも吐いてやりたい。


 ふと、脳裏にいつぞやカブトと話していた時の光景が、走馬灯のように浮かぶ。



 --息苦しいだろ? 本当の自分隠して仲良しこよし、でも万一ボロが出て素が知れたら、そいつは離れないでいてくれるのか? そんな事に怯えながらの生活なんて、俺はゴメンだね--



 そんな言葉を、今さら思い出してしまう。


 本当の自分を隠して、いつかバレる事に怯えながら息苦しい生活を送る。

 まさに、そんな状況ではないか。

 負け惜しみではあるが、せめてそれを嘲り嗤ってやろう。



「…………ね……」


「ん? なぁに? 死ねとでも言ったぁ?」



 残る力を手に込め、アゲハの頭を掴んで引き寄せる。

 聞こえなかったのなら、聞こえる距離に寄せるまでだ。



「あらぁ? あららぁ? 先輩にしては積極的じゃない」


「……アゲ……ハ……!」


「なぁに?」


「ごめん……ね……」



 泣くことすらできないはずなのに、無機質な瞳からは涙が零れていた。


 華火の目に写る自分の顔は、見たこともないほどに優しく、裏切ったはずの彼女を恨むこともできなかったのだと、それを見て自覚してしまった。

 掴んでいた手を離され、ムラサキは再び地面に、そして自身の血沼に沈む。



「…………なんでよ……」



 吐き捨てるようなアゲハの言葉が聞こえたのを最後に、ムラサキは意識を手放した。

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