55 帰って下さい
見上げるほどの巨体で、禍々しいドラゴンみたいな姿のそいつは龍神バハムートと名乗った。
脳内にまで直接届くような、重く響くその声は、魂さえも削り取るような迫力と恐怖を俺に植え付けるには容易かった。
今起こっていることに全く頭が追いつかず、恐怖心で動けない体を必死に保ち、ただ素直に返事をするしかなかった。
「は、はい……。そ、そそそうです……」
『そうか………………』
「……はい……」
『………………』
「………………」
いや!! なんか喋って!? お願い!! 黙らないで!? 重い!! もう物理的にって言うほどに空気が重すぎるから!! 前世、初めてお見合いした時の20分間の沈黙より遥かに重い!!
なんなんだよコイツ!! 『召喚したのはお前か?』の返事してから30秒くらいたつんだとは思うんだけど、話が進まねぇ!! 短い時間なんだけど、恐怖と重い空気で体感的には1時間位にも思えてしまう!! 辛い!!
沈黙に耐えられず、そんな事を考えてたら。
『……主が名乗るのを待っておるのだ。まずは名乗るのが人族のルールなのだろう?』
「!?」
え!? 声出してた!? 喋ってないよね!? まさかこいつ!? 心を読めるのか!?
とっさに口を押さえてみるものの、俺は一切口を動かしていなかった。
『読めると言うか、我と主は濃い魔力で繋がっておるからな。人族の言葉と言う物にせずとも意思疎通ができる』
「へえ……そうなんだ……って!! いやいやいやいやいやいやいや!! やばいって!! さっきの暴言聞かれてたって事でしょ!? コイツとか言ってごめんなさい!! ごめんなさい!! 殺さないでください!! お願いします!」
素早く揺るぎのない動作で、土下座を決め込む。バハムートに土下座の概念があるかはわからんが……とにかく今は誠意を見せなければ!!
『まぁ、召喚した主を我が殺める事などせぬ……して、名はなんと申すのだ?』
「はい! ……ありがとうございます。名前はアルトと申します!」
よかった……なんとか命は繋がった……話が通じる相手で助かった。
泥だらけの顔を上げ、安堵していたら……。
『アルトか……では我を召喚した目的は何だ? 国と言う物を滅ぼすのか? 魔王との戦いか? 神の試練か?』
「……はい?」
突拍子も無い発言に思わず目を丸くしてしまう。なんですかそれ? 俺一般的な村娘ですから、そんな事しませんよ?
『ん? 違うのか? 我を召喚した者達は、戦いや試練に追われていた者達ばかりであったから、今回もそれかと思ったのだが……』
「いや……目的というか……ちょっとした間違いと言うか……その……もう終わってしまったので」
『何? もしや、目的も無く我を召喚したのか?』
はい! ……とは素直に言えないよなぁ……ソプラ助かったし、正直もう何もありません。強いて言えば、今が国ごと滅びそうな大ピンチでございます。素直におかえり頂くのが一番の望みなんだけど……。
「すいません。何もありません……多分手違いだったと思いますので、おかえり頂いただいても……大丈夫……です、はい」
『なんだと!!?』
「ヒィイイイイイイイイイ!!!!」
凄みを増したような大声が降ってきて、大きな目が更に見開かれ顔がググッと近づいてきた!!
やばい怒った!? 食われる!! 思わず頭を抱え、身をすくめてしまう! だってしょうがないじゃん! 召喚の目的ってなんも無いもん!! 俺の意思とは無関係に勝手に召喚されたんだもん!!
顔が近づくにつれ、辺りの魔力がゆっくりと渦巻き、空気がビリビリと肌を刺す! もうやだ、助けて!
助けを求めて周りを見たけど、さっきより会場の阿鼻叫喚具合はヒートアップしていた!!
崩れかけの出口に逃げる人、失神して倒れこむ人、バハムートを見たまま動かない人、命乞いで何か叫んでる人。誰も彼も自分の事で精一杯のようだ。
更に、ビオラ様や国王陛下の方を見ると。ホワイトドラゴンは尻尾を抱きしめて伏せの状態で動きもしねぇ。その姿に2人とも驚愕しているようだ。
振り返りミーシャを見たら、俺を追いかけてきてたのだろう、広場に着地したその場でバハムートを見上げて固まっているようだった。
あっ……終わった。この場に救いを求められる人いませんでした。
最後にソプラを見たら、召喚獣のニワトリが抱っこされたまま、顔を突いて起こそうとしているようだ。よく見ると、風の膜のような物が身体を覆っている……あぁ、クソジジイが詠唱してたのあれか、確か空気の防壁で体を覆う魔法だったやつ。
でも、今更どうでもいい……ごめん、ソプラ……せっかく助かったんだけど俺のせいで、ここにいる全員と言うか、国ごと消えそうです。
バハムートの顔が目の前まで近づき、禍々しい鋭い歯が開かれていく……あーやっぱり食われるのかー。また第2の人生を諦めかけたその時……。
『グァッハハハハハハハハハハハハハ!!!!』
「はえ!?」
いきなり大声で叫び笑うバハムート!
『素晴らしい!! よくぞ召喚してくれた! アルトよ!! 礼を言うぞ!!』
何やら上機嫌のバハムートは、俺の困惑をよそに、ギラつく大きな目を少し細め、口元のズラリと並ぶ鋭い歯を見せ付けながら喋り始めた。
『我の召喚には、かなりの魔力を使うようでな、戦いの為などのほんの数秒の召喚が殆どだった。毎度、召喚される度に国との争いや、魔王とか言う奴との決戦に駆り出され、お礼の一言も無く魔力が尽き、強制帰還……もう、うんざりだ。
他の長い召喚から帰還したものは、異世界での生活や武勇伝をそれは楽しげに語っていてな……正直うらやま……どんなものかと興味があったのだ。
しかし、今回の召喚は体力も魔力も十分!かなりの時間ここに存在する事ができる!!
つまり!! 我は初めて異世界での生活を満喫できると言う事だ!!』
大きな目をキラキラさせて、地獄にでも響きそうな声なのに、ワクワクしていそうな感じがひしひしと伝わってくる。
今、羨ましいって言いかけたぞ……それに意外と喋るのな……。めちゃくちゃ怖いけど、なんだか危害を与えそうな感じでは無いし……ちょっとこっちの生活を満喫してもらえたら、早々に帰還してもらえるのでは無いか?
でも、召喚獣が考える異世界生活って、どんなのを想像してるんだろう……とりあえず聞いてみるか。
「あの……バハムート様はこちらの世界での生活を満喫したいって事でいいんですか?」
『うむ、それで間違いない』
「承知致しました。あと、一応確認なんですが、ここでどんな生活をご希望なのでしょうか?」
『そうだな特に何をすると言う事はないが……帰還した奴から聞いた話だと……。少し力を見せ付ければ、人族が供物を毎日捧げてくれたり。遊びで山を平らにして、地殻を変えてみたり。気持ちよく寝てたら勇者とか言う輩が来て、返り討ちにしたとか……』
アウトー!! それ素敵な異世界生活じゃなくて、宿敵からの討伐生活にされるやつじゃないですか!! そんな事したら、あっという間に戦いまっしぐらだよ!! このままだと、召喚した俺の命も狙われて人生終了待った無しだよ!!
『!? ……いや!それは困る!!』
ん? なんかバハムートが焦りだしたぞ?
あっ……そうか、心読めるんだった……なんか、頭ごちゃごちゃしてくるなぁ。
『我は好き好んで戦っているわけでは無い、むやみな戦闘はしない。それにアルトが死んでしまえば、我もこの世界との繋がりが無くなってしまい、強制帰還になってしまう……。アルトの命は我が必ず守るから、異世界生活をさせてもらえぬか?』
眉間にしわを寄せ困り顔のつもりなんだろうが……それ、めっちゃ怖いから!! 凄み効かせてるようにしか見えませんから!! と言うか粘らないで早く帰って!!
「そ……そうは言っても、ただの村娘にそんな権限ありませんし。それに、バハムート様の存在自体が戦争の引き金にもなりかねないですから、帰られた方が賢明な判断かと思いますが……」
『そこまで言うのならば、我はこの世界で、「一切戦いを仕掛ける事はしない」と国王にでも約束しよう。……何もせず、の〜んびりと異世界生活を満喫するだけだ! どうだ!? 危険はないだろう!? なっ!? なっ!?』
かなり焦った声に、大きな目を細め、首を左右に揺らし、『我、怖くありませんよ?』アピールをするバハムート。
あれー? おかしいぞぉ? なんか思ってたんと違う……。でかいし怖いし威圧感半端ないけど、中身は異世界生活に恋い焦がれていた奴っぽい……。
龍神バハムートってこんなんでいいのか……!? なんか張り詰めていた肩の力が、一気に抜けたような気がする……敬語もなんか馬鹿らしくなってきた……。
「は……はぁ。ならいいかもしれないけど……。でも、この世界でその見た目と大きさはちょっと……」
バハムートをずっと見上げながら喋ってたので、正直首が痛くなってきた。こんなでかい奴が危険はありませんよ? って言っても全く説得力無いし。俺の側で命を守るって言ってるけど、こんなでかい奴が側にいながら生活なんて、できるわけがない。
『むうぅ……そうか……ならば、仕方ない……』
「え?」
バハムートはおもむろに漆黒の大きな翼を広げ、ひと仰ぎすると暴風を吹き荒れ、その巨体を上空へと持ち上げた!
『グォオオオオオオオオオ!!!!』
上空で雄叫びを上げ、更に翼を羽ばたかせて暗雲を纏いながらクルリと回転し、稲妻と共に一気に上昇する!
会場全体が稲妻の轟音と暴風でビリビリと振動し、あちこちで建物が崩壊していく。観客は地獄絵図を見ているかのように声にならない奇声を上げまくっている。
「うわぁああ!!」
「ひいぃいいいいい!! もう終わりだぁ!」
「世界の破滅だぁぁぁぁああ!!!」
「かあちゃーーーーーん!!!!」
もしかして異世界生活ができないから、キレてこの世界を滅ぼしにきたか!? やばい! ソプラを守らなきゃ!!
目も開けられ無いような暴風の中、なんとかソプラの元に駆け寄り、まだ目を覚まさない体をニワトリごと抱きしめた。
バハムートは濃密な魔力の暗雲に包まれ、姿も見えなくなり、雲の中で雷が轟音と共に激しく衝突しあう。
そんな今まで見たこともない巨大な雷雲が、更に激しさを増し、今にも爆発でもするのではないか?と言う程の凝縮をみせた次の瞬間!!
パァン!!
エネルギーの塊のような雷雲が破裂音と共に弾けて、今までの地獄のような気象が嘘のように晴れ渡り青空が見え、爽やかな風がふわりと頬を撫でる。
澄み渡った青空には先程まで、この世の終わりを届に来たような巨大な怪物が見る影も無く消え去ってきた。
あまりに様変わりした光景に、さっきまで耳を突くような奇声を上げていた観客達も、ピタリと動きを止めていた。
……あれ? いない? ……え? 帰った? いや、帰ってくれた方がありがたいけどさ……。でも、なんかあっさりと帰ったな……あんなに異世界生活したがってたのに……。
そう思った時、空から小さな黒い物体がこちらに向かって落ちてきて、俺の目の前でピタリと止まった。
『……ふう、待たせたな。このくらいの大きさであれば問題無いか?』
「え……ええええええええええ!!!!??」
それは、先程の禍々しさを一切感じさせ無い、デフォルメされたように可愛らしくなってしまった、ちっこいバハムートだった。




