第二話 日常
事故の記憶は、自宅についてからも戻ることはなかった。
しかし、それは生活を送る上でなんの支障もなく、普通に風呂に入り、普通に夕飯を食べ、明日の授業の課題をやり、ゲームを0時までやって、就寝といういつもの日々のスタイルそのままだった。
なんだか、とんでもないことが今日は自分の身の上に起きたにも関わらず、こんなにいつもの感じで一日を終えていいものだろうかと思ったけれど、なんせ記憶がないから事故に対してなんの自覚も興味もないわけで。
ひとまず、改めて無事でよかったと思いなおし、俺は安心して床についた。
翌朝は、蓮より早く、もう一人の幼馴染である杉崎 敦が、迎えに来ていた。
「壮! おはよう! お前昨日事故に合ったってマジ?? しかもひでぇ事故だったのに無傷だったとか・・・。」
敦が、心配そうに声をかけてきた。
「うんうん。どうやらそうらしいんだわ。俺事故のときの記憶全くなくてさ。
蓮をかばって、変わりに撥ねられたそうな。かなり吹っ飛んだらしいのに、無傷とかマジ奇跡っすわ!」
「お前にしては、珍しく運があったな。にしも受験を控えて、大事な運をここで使ってしまうとは・・・。」
敦が呆れながら笑っていた。
「うるせー!! 死んでもうたら受験もへったくれもねー!!
というか俺はそもそも北高はあきらめてるよ。敦や蓮とは中学でお別れだぜ。
進学じゃなくて、商業高校か工業高校かどっちか行って、さっさと手に職つけて働く人生なんだぜ。きっと。」
俺はちと投げやりになりながら愚痴った。
敦はサッカー部のキーパーでキャプテンをこなしながらも成績も非常に優秀で、市内一の進学校である北高合格は確実だ。
蓮は部活は入ってないものの自分でランニングやらで体を鍛えつつ、とんでもない読書家で、暇な時間のほとんどを読書に費やしており、あまり勉強してる風には見えないけれどいつも余裕でぶっちぎりの学年一位の成績を誇っている。ほとんどノートは取らず、授業をただ聞いてるだけだ。
逆に俺はというと、必死でノートも取るし、ちゃんと真面目に課題もやるし、一生懸命自分なりに勉強しているはずだけどテストはほぼ平均点以下。テスト範囲がさだまってない実力テストになるとさらにひどい絶望的結果になる。
いい加減自分の頭の悪さに反吐が出そうになっている今日この頃である。
「まあまあ、そう言うなって。俺も8月で部活なくなるし、時間できるからよ。
勉強教えっから、北高行こうぜ。大学も行ける環境なら今の時代一応行っておいたがいいと思うぜ。」
「んー、そりゃ心の底からわかってますけれどもねー。俺の頭の出来の悪さときたら・・・。」
とぼやいている最中に蓮が合流した。
「おはよ。壮君体大丈夫?どこか変な処ない?」
蓮も敦と同様心配そうに声をかけてきた。
「ああ、大丈夫大丈夫! 記憶は戻ってないけど、なんの問題もなし!!!
できることなら頭とか打って、打ちどころ良くて、いきなり天才とかなってくれたらよかったわ。」
「んな、都合のいいこと起こるわけねーだろ。おめー、無事だっただけ感謝しろよ。」
敦があきれ果てていた。
そんな敦と俺を見て蓮が笑う。
いつも俺たちはこんな感じ。
俺の発言に突っ込む敦と笑いながら見守る蓮。
物心ついたときからずっとこの構図が続いており、この関係が日常そのものだった。
「おい、蓮。壮がよー、北高行かずに商業か工業行く気らしいぞ。
お前頭いいんだからよー、ちょっと壮の勉強みてやってさ、3人で北高行こうぜ~。」
敦の頼みに、壮が悩ましそうに首を傾けながら
「んー・・・。勉強教えるのは全然かまわないんだけど、壮君にその気もないのに嫌な勉強を無理にさせるのはかわいそうかなって思うんだよな~。人にはやっぱり向き不向きあるし。」
「なあ、壮。お前別に勉強が嫌いとか絶対やりたくないとかなわけじゃないだろ??
結構真面目に授業受けてるし、課題も忘れずやってるし。進学高行きたくないわけじゃないだろ?」
敦の質問に俺は当たり前だろと言わんばかりの勢いで、
「そりゃーできればみんなと一緒に北高いけたら一番いいとは思ってるよ!
でもテストの点数悪すぎなんだよ。勉強ちゃんとしてるつもりなのに、平均点以下なんだぜ?なんでこんなに悪いのか自分でもわからん。やっぱ頭の出来が悪いんじゃないかと思ってしまう。だから勉強しても無駄なのかなとか。」
自暴自棄になりかけてる俺に敦が割り込む。
「いやいや、俺はお前と話してて頭悪いやつとは思わんけどな。
だいたい、5分も話せば頭の良し悪しはわかるもんだぜ。お前はちゃんとまともに受け答えできるし、返しも面白いし。まあかなり天然だけど。要は勉強の仕方っつーか、要領が悪いだけなんじゃね? な? 蓮もそう思わね? 」
しばらく黙って聞いていた蓮が口を開く。
「うん・・・。実は昔から思ってたことだけど、あんまり人のやり方に口出しするのは好きじゃなくて言えなかったことがあるんだ。やっぱり、物事の理解の仕方とか暗記の仕方って人それぞれで、その人に合ったやり方があるはずなんだよね。壮君の場合、3年くらい前中学入って英語習いたてのときに、確か一緒に勉強したことがあったんだけど、ひたすら単語をノートに書き殴ってたんだなー。あの光景見たとき、あれで本当に理解して覚えられてたのかなーって思ったんだよね。壮君はよく授業中も必死でノート取ってるけど、先生の話を聞いてるんだろうかって実はいつも不思議に思ってて。」
俺は蓮が何を言わんとしているのかだんだんわかってきた。
「ひたすら書くことに満足してしまって、書いたことで理解した気になってるんじゃないかと思うんだな。そして、書いたことで覚えた気になってる。でも実際は、何も理解できてないし、記憶にも残ってない。その不毛な作業を壮君は、毎日繰り返してしまってるのかもしれないよ。勉強で一番大事なのは、まず「理解」だよ。なるほどって自分の中で納得いくことだよ。そのあと、理解した情報が知識となって、最終的に「記憶」として定着するんだよ。その一連の作業が勉強なんだ。」
蓮の核心を突きまくった冷静な分析に、俺はノックアウト状態で何も言えずにいたところを敦がフォローしてくれた。
「いやーさすが蓮様。よくわかっていらっしゃる。不毛な作業って!!!ひどいがな。アハハ」
敦が大笑いしながら俺の肩に手を回し、ポンポンと叩く。
「まあまあ、壮。何にも反論できないだろうよ。人は本当のことを言われると腹立つものかもしれないけど、真正面からそれを受け止めるってのは大事だぞ。逃げずによけずに受け止めろ!
この2年間よくぞ不毛な作業を毎日がんばりました!
でも残りまだ一年ある!俺たちの3年は始まったばかりだ! まだ間に合うぜ!
勉強のやり方を根本から見直して、がんばろうーぜ!」
俺は、今までの自分の勉強に対する姿勢をことごとく否定され、今までの努力が無駄だったことを思い知らされて、かなりなショックを受けつつも苦言を呈してくれた蓮に感謝した。
「うん・・・。もう蓮君の言う通りすぎて。俺、なんも言えねーっす。
あと一年で・・・巻き返せるかな。」
「だいじょーぶっしょ!!! 俺と蓮がついてるから!!」
敦が能天気に豪快に笑い、蓮は苦笑している。
そんなこんなで、3人で話していたら学校の門が見えてきた。
中学3年の4月。校門から校舎への桜並木の桜も若干散り始めている。
もしかしたら、こうして3人でたわいのない話をしながら通学するのもこの一年が最後かもしれない。
と思うと異常に寂しさと虚しさが湧いてきたので、やっぱりなんとしても二人と一緒に北高に行きたいと思いが湧いてきた。
校門をくぐる。
一日が始まる。