2、
そして、翌日も、翌々日も、徐々に規模を拡大して捜索がされたが、全くの痕跡がつかめない状態が続いたため、ついに、軍部の捜索は打ち切られた。
「……」
一番遅く打ち切りの命令を出したオーランドは執務室で表情を消して執務に打ち込んでいた。
「オーランド、いいか?」
静かなバートラムの声に、オーランドは視線を上げて、短く答えた。その声に、事務的に入ってきたバートラムをみて、オーランドは立ち上がってため息をついた。
「相当イライラしてる顔してんな」
「うるせえ。冷やかしに来たんだったらとっとと帰れ。俺は忙しい」
「そんなこと言うなよー」
いつものようなやり取りをしながら、オーランドの気配はかつてないほどとげとげしくなっていた。
不機嫌と殺気を合わせたような表情もさることながら、執務室にいるのにもかかわらずその緊張感は軍舎一帯にまで伝わってきている。
「……ついに打ち切りか」
「……ああ」
言葉少な気にうなずき、慣れた手つきで机の隣にあるサーバーから紅茶を淹れたオーランドの手を見た、バートラムは顔をしかめた。
「どうした?」
それを横目で見たオーランドがティーポットとカップを持って、いつものように応接セットのソファーに座ったバートラムにお茶を出す。
「手、手当しろよ」
「いらん」
手袋に血がにじんでいた。
握りしめて、手袋を突き破って爪が手のひらに食い込んだのだろう、痛々しい傷にバートラムは目を閉じる。
「オーランド」
「いらん。血のついた手が不愉快ならばすぐに換えるが」
静かに呟くとお茶を淹れ、終わったオーランドはポケットに入っている換えの手袋を取り出して、赤がついた白手袋をはずして、血をぬぐい、新しい手袋を身につけようとした。
「おい」
ぐい、と手首をバートラムがつかみ、一瞬オーランドとバートラムの視線が交錯した。
「……っ!」
なにが起こったのか、ほぼ同時に目を見開きさっと互いの目を見て、パッと手を離してそっぽを向いた。
「……なんだ今の」
「聞くな」
なにかを抑えるように浅く目を閉じたオーランドに、バートラムは、取り出しかけた傷薬と包帯を取り出して、彼の手のひらに置く。
「自分でできるな?」
「……ああ」
やがて低くつぶやかれた声にうなずいたオーランドは、渡された傷薬で手当てをして、手袋をはめる。心なしか、その顔色は悪く、そして、いつの間にか冷や汗がにじんでいた。
「……」
場をやり過ごすようにバートラムが出されたお茶に口をつける。
「……」
無言でしばらく二人でお茶をすすり、口火を切ったのはオーランドだった。
「で、何の用だ」
静寂を切り裂いたその低く地に這う声に、バートラムは、瞬きをして、本来の用件を思い出したのだった。
「……ああ、少し、情報を」
「あるのか?」
「得た先は聞くな。機密に触れる」
「……わかった」
オーランドは身を乗り出し、耳を貸すと、バートラムの抑えた声がこそこそと情報を告げた。
そう。
この捜索劇の裏で、バートラムも、オーランドも自身の密偵を使い、少々後ろ暗い世界のほうにも捜索の手を回していたのだ。
誘拐事件となると、報復として殺すより商品として売られるほうが多い。そういうことも考慮しての捜索だった。
しかし、オーランドの密偵は、それほど有益な情報を得ることができなかった。それを承知で、バートラムは情報を流してきたのだ。オーランドの密偵でも探れない闇の奥深くを探った情報を、だ。
「恩に着る」
「いつも世話になってる分だ。気にするな」
ふ、と笑ったバートラムにオーランドはかすかに表情を見せた。どこか痛みを隠しているような、そんなつらそうな表情だった。
その顔に、バートラムが目を奪われていると、オーランドは立ち上がり、部屋を出ようと歩き出した。
扉近くに立てかけてある普段使いの両刃剣ではない、壁にかけてある戦場で使っていた片刃剣を手に取ってバートラムを見、一度立ち止まった。
「どうした?」
「……俺に何かがあったら、ここを頼む」
遺言めいたその言葉に、がた、と立ち上がると、オーランドは背中を向けて歩き出した。
「おい!」
「……一瞬触れて、俺の過去がわかったと思う。そういうことだ」
静かな言葉に、バートラムは、先ほど手が触れた時に脳裏に流れ込んできた像を、オーランドの記憶を思い浮かべた。
「オーランド」
「なんだ……?」
「俺は、消された王子だ」
扉が開く直前、バートラムが口を開く。
その言葉に振り返って見せたオーランドは、ふっとバカにしたように笑った。
「そんなの、とっくにわかっていたよ、ベルド元王子」
そういい残したオーランドは扉を開け、飛び出すと、廊下を走り出した。
「……」
立ち上がったままのバートラムは、ぐっとこぶしを握り締めて、目をつぶって喉の奥でうなった。
「っくそ!」
そういらだたしげに言ったバートラムは、走ったオーランドの後を追って走り始めた――。