とある執事の回想
ジャックが現れたのはとある酒場だった。
「頭領」
静かな声に、店の奥で飲んでいたらしい深いフードをかぶった男が驚いたように振り向いた。その眼前に首を突きつけると、顔をひきつらせた。
「これはずいぶん新鮮な手土産だな。どうした?」
顔をひきつらせたとしても、なんだこれは、とは言わずに、茶化すように言う彼に、さすがなものだ、と声に出さずに思いながら、ジャックは静かに報告をする。
「貴族殺しをやってた」
「……なに?」
「オーランド・バルシュテイン。貴族でもがき殺しを許可するぐらいあんたは腐ったのかと思ってな」
「そんなことは命令していないぞ」
声音を変えてそういう言葉に、ジャックはやけに重たく深くため息をついた。動けなくなるのは時間の問題だな、と思いながらも、フードの男に生首を投げつけて目を細め、動きを待つ。
その背中から、いつ負ったものだろうか。血が滴り、酒場の床を濡らしていた。
「バルシュテインか」
「いろいろごたごたがあると聞いたが、国がらみじゃあねえだろ」
「ああ。ただのお家騒動のはずだ」
この生首になってしまった哀れな暗殺者は、ジャックの同業者だ。つまり、国の影の一人。それが、貴族の嫡男でもあるオーランドを狙い始末しようとしたのだ。これが公になれば、国としての汚点になりかねない。
それに、影とは秘匿されるべき存在であり、めったやらに表のごたごたには手を貸さないと、公言しているのだ。こうして、手を出してしまったらその力を求める貴族は後を絶たなくなる。
「じゃあ、この糞野郎のしりぬぐいでもするんだな」
「案内しろ」
金を置いて、生首を放り投げた頭領と呼んだ男にうなずいて、ジャックはその手を取り、オーランドの別邸に一瞬で移動する。魔術の瞬間移動だ。
「何者!」
「オーランドのお付きのおっさんよ。大丈夫だ。診せてくれ」
「……っ」
ぐったりとしたオーランドを抱きしめた状態で、オーランドの従者が抜こうとするのにジャックがそうたしなめ、フードをかぶった男は何も言わずに、オーランドに手をかざして、目を細めた。
「……」
それから無言で、横に手を滑らせると、オーランドの胸からどす黒い血のような液体がにじんで外に出ていく。
ジャックやフードの男、その他、国の影がよく使う特別製の毒だ。万が一、仕留め損ねても、すぐに息の根を止める強い、即効性の毒。
この毒の解毒を行えるのは調合を行うこの男だけだ。だからこそ、ジャックは彼を呼んだのだ。
「オーランド様!」
ぐったりと侍従の胸に伏せたオーランドの青い顔色がさっと赤みがさして、詰まらせたようにせき込んで呼吸を再開させる。そのまま、ごほごほと、咳き込んで血の塊を吐き出したオーランドがふっと瞼を開けた。
ようやく見られた子供らしい表情が、痛みと毒で意識が混濁したぼう、とした表情だとは、とジャックは眉を寄せていた。
「オーランド様? わかりますか!」
「ギル……?」
かすれた声に、侍従の顔がゆがんで、ぎゅっとその細い体を抱きしめた。
それに、背中が痛んだのか、くっと細くうめくのに、侍従が慌てて腕をほどいて謝る。その声に、オーランドが目を閉じながらも、苦笑を浮かべて気にするなと首を横に振るのをジャックは見ていた。
「……」
その姿に、ジャックは我知らずに詰めていた息を吐き出して、背中に走った痛みに顔をしかめてかすかに体を折った。
「お前、このガキ助けるために傷移したな?」
「……」
やるなと言っているだろうに、といった頭領という男はジャックの血のにじんだ背中に手を当ててとりあえず命にかかわる深い傷を癒した。