とある執事の回想
そして、ジャックが目を覚ましたのは三日も後のことだった。
「なんだ。そのままくたばらなかったのか」
どこかで聞いたことのある言葉。目だけ動かすと、白衣をきた少年が、手を洗っていたらしい。清潔なタオルで手を拭いて、水気をきってから、ジャックの体にかけられていたシーツをはがした。
「よくこんなケガで死ななかったな。生んでくれた親に感謝することだ」
「……」
皮肉る言葉に鼻を鳴らしてジャックはそっぽを向いた。両方の二の腕に深い切創。それと、首を狙って避けた時についた肩口から鎖骨、そして胸の表面に入った切創。そして、服を脱がせて気づいた、脇腹の刺創の消毒と、いたるところにある青あざに軟膏の塗布を慣れた手つきで行いながらオーランドは、最後にジャックの額に手を当てた。
「なんだよ」
「熱を診てる。まだ、少し高いな。寝てろよ。今薬を持ってくる」
そういって、オーランドは白衣を翻して背を向けると、扉から出ていき、薄い紙に包まれた粉と、水を持ってきた。
「……」
水をじっと、見ているジャックに、オーランドは、ああ、とうめいてから一口飲んで見せた。
「これで心配はないか?」
「……てめえ、なにもんだ」
水を差しだしてみせたオーランドにジャックはすっとにらんだ。ガキらしくなくてかわいくねえといったジャックにオーランドは、粉をジャックに差し出した。
「俺の自己紹介は後ででいいだろうが。とりあえず、ピッチャーに水汲んでくるから、その間にこの粉飲んでろ。熱冷ましだ」
そういってオーランドは、また、部屋から出ていってピッチャーに水を汲んでジャックが寝ているベッドの脇のテーブルに置いた。
「まだ飲んでなかったのか。苦いのは嫌いなお子様か?」
「うるせえな。どうやって飲むか教えろ。クソガキ」
オーランドが帰ってくるまでの間で匂いを嗅いで、煎じ薬として使われる草の匂いであることはわかっていて、体に毒ではないとは判断できた。だが、この粉をどう飲めばいいかわからない。
素直にジャックが言うのに、オーランドは目を見開いてジャックを見て、ふっと申し訳なさそうに苦笑した。
「そりゃすまんかったな。粉を口の中に、ああ、舌の裏に粉を仕込んで」
「こおか?」
「そうだ。んで水を流し込んで口の中でなじませてから一気に飲み込め。馴染ませないとむせるぞ」
「んっ」
いわれたように飲むと、苦さが舌の奥に差し込むように感じられて眉を寄せた。それでも飲み込むと、オーランドの表情は少しだけ緩まった。それでも子供らしくない表情である。言うならば、子供を見ているようないつくしみのある表情だ。
「いい子だ。あと、好きなだけ水飲んでおけ。三日間眠りっぱなしで、体も水を欲しているだろう」
ピッチャーに直接口をつけて毒味をして見せるオーランドにジャックは、コップを置いてピッチャーごと飲み干すのだった。
「おかわりいるか?」
「いらん。で、クソガキ。どこのガキだ」
油断なく見てくるジャックにオーランドは鼻を鳴らして肩をすくめた。
「お前がぶっ倒れていたところは、バルシュテインの土地だ。俺は、オーランド・バルシュテイン。確かにただのガキだが、一応貴族の嫡男ということで世間一般にはそれなりに名のあるケツの青いクソガキだ」
「……」
乱暴な自己紹介をしてくれるオーランドに、ジャックは何とも言えない顔をして舌打ちをした。
「てめえの素性は一切聞かねえ。面倒事になりそうだからな。自分の始末も自分でできねえクソガキは、せいぜいてめえの傷を治す医者代わりにしか使えねえ。だからとっとと治してとっとと出てってくれ」
皮肉るようにそういったオーランドは、また部屋を出ていって、深皿と食器を持ってきてテーブルに置いた。
「食欲があるなら食っとけ。……あまり邸宅を留守にすると親父がうるさいからな。俺は帰る。二日後にまた来るから、傷を清潔にして寝てろ」
「……なんでそこまで」
「寝覚めわりいからに決まってんだろ。おっさん」
それだけ言うとオーランドは部屋から出ていったきり帰ってこなかった。外からは馬車の音が聞こえてそれが遠ざかっていく。
「……」
ガキの情けかよ、と舌打ちをしながら、食欲には勝てずに用意されていたらしいスープを平らげて、おとなしくベッドに寝そべって目を閉じる。もともとや住むことに慣れていない体は落ち着かなかったが、それでも清潔なベッドと、きちんとした手当て、そして、味のある食事に、満足したようだった。
夕暮れが過ぎるころには、ジャックは眠りに落ちて、翌朝一人で目を覚ました彼は、しばらく呆然としていた。
注:このころのジャックはおっさんじゃありません(笑)