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オーランド・バルシュテインの改心  作者: 真川紅美
序章:拾い物
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序章

はい、R-15は念のためです。

 おぼろな夕日色に曇り空が染まるとある日、降りしきる雨に打たれている一人の少女がいた。


 霧の立ち込める、王都の街角。


 突然の雨に慌てふためく雑踏の片隅。


 一人の少女が、濡れ鼠になっている。


「……」


 軒下に、ぼろぼろの服を身にまとい膝を抱えてうつむいていた。


 浮浪の少女だ。


 帰る家もなく、住む家もなく、その日暮らしに過ごし、残飯の中の少ない食べ物で飢えをしのぐ、孤児。


 ざあ、と音を立てて、視界すら煙らせて降る雨の中、遠くから、ゆっくりとした歩幅で歩く、重い、男の足音が少女に近づいてきているのが聞こえた。


 この道を通勤に使う、とある軍人の足音。


 とある貴族の一人息子にして、嫡男。恵まれた生活ができるはずなのに、親から自立し、一つの屋敷を自分で買い、メイドも何もかも自分で手配した、風変わりな男。


 そんな噂を、彼女は知る由もなく、それでも、孤児の彼女がこうやって軒下にうずくまっているのは、彼にとって、いや、この町の誰もの日常の風景のはずだった。


 そして、その目の前を、傘を差した男が通り過ぎ、日が暮れ、そして、朝日が昇るころ、また凍えた彼女の目の前を通る。


 そんな日常の風景を、飽きるほど過ごしてきた。今日もそのはずだった。


「……」


 通り過ぎるはずの足音が、ぴたりと、目の前に止まったのを感じて少女は少しだけ顔を上げた。


 少しだけ開いた視界に見えたのは、雨が降らなければ、きれいに磨かれていただろう、今は、泥が撥ねた、まだ硬さの残る革靴。


「家がないのか」


 男の低い声が、少女に降り注ぐ。


 顔を上げた少女が、ひとつ、こくんと頷いた。


 大きい黒い傘が、夜闇のように彼の上を覆っているのが見えた。


 まだ、日は完全に落ち切っていないこのおぼろな空にはどこか浮いた、漆黒の空が彼の真上に広がっている。


「……。うちに来るか」


 静かな、感情すら読み取りずらい声が、彼女に尋ねる。眉を寄せて、彼女は言葉の意味を考える。


 つまりはそういう意味だろうか。


 勘ぐっていると、焦れたように男はため息をついて、裾が汚れるのもいとわずにしゃがみこみ彼女の目線に合わせた。だが、うつむく少女との視線は交わらない。


「給料は月銀貨二枚。働きによっては三枚に増額してもいい。住み込みのメイドをやるか?」


 幾分噛み砕いた言葉ではっきりといった彼に、彼女は眉を寄せた。


「夜伽も、じゃない、んですか?」


 渇いたのどから漏れた言葉は微妙につっかえて、彼の耳に届く。


「俺はそんな下種ではない」


 低い声がそう紡ぐのを聞いて、少女はようやく青年と目を合わせた。


「っ!」


 わずかな街の明かりに透ける、明るい茶色の瞳は、強く鋭い光を宿している。


 まだ、二十代前半と思える若い面立ちは、一切の甘さはなく、それでも、整ったものだった。ワシやタカのような、鋭い双眸が印象的な男だ。悪い言い方をすれば、目つきが壊滅的に悪く、軍服でなければ、その手の男と間違われてもおかしくないぐらいの目つき。


 それでも、軍服を着ていて違和感がないのは、潔癖なぐらいの清潔感を彼がまとっているからだろうか。染み一つない白手袋をはめ、ぴしりと糊の利いた軍服を着こなす彼は、近づかないとわからないぐらいだが、かすかにさわやかな香りを身にまとっている。


 香水よりは香草の香り。


 少女は懐かしいような香りを嗅ぎ取ってぽかんとした顔をして男を見上げていた。


「来るか、来ないかだ」


 ざあ、と音を立てて降りしきる雨。


 往来は、座り込む彼をいぶかしげに見て、少女を見ようともしない。彼女はいないものとされていた。

 そこらじゅうに座り込んでいる浮浪の子供など、日常の風景の一部にすぎないのだ。


「表に出たいか?」


 口数は多くない印象を受けるのに、彼は、さらに言葉をつづける。


「一生ここでのたれているか。それとも、少し厳しくともまともな収入を得られるように、俺のところに来るか。どちらがいいんだ?」


 低く、どちらかといえばぶっきらぼうな口調を聞きながら少女はポツリとつぶやく。


「どうして……」


 静かな声に、そうのどが漏らしていた。かじかんだ足先や指先の感覚はすでに無く、寒さに唇がわなないている。


「人手が足りていないだけだ」


 少しだけ目線をそらしてそういった男は立ち上がって少女に傘を傾ける。


「行くなら行くぞ」


 白い手袋に包まれた手を差し出して首を傾げた彼に、少女は唖然と男を見て、しばらくすると自分の手を見て、ぼろぼろの服でぬぐってからその手を伸ばした。


「靴は?」

「……」


 ふるふると首を横に振る少女に、男は深くため息をついて傘を少女に押し付けると、少女の腰に腕を回してぐっと抱き上げた。

 ひょい、と音がしそうなほど軽々持ち上げられて、少女は慌てて暴れるが、それをも封じる強い腕の力に、少女は動きを止めて男を見下ろした。


「黙ってろ」


 そのまま、男は下ろす気配もなくて、少女は、無駄な抵抗をするのをやめて、持たされた傘で、せめて彼が濡れないように傾けていた。


「……いい子だ」


 静かな声に、ぴくと肩を震わせた彼女は、何も言わずに、彼の腕の中、首にしがみついていた。


 往来は、汚い少女とそれを抱き上げた軍服の男を見て、好奇の視線を送る。


「あの……」

「気にするな。どうせ、バカどもだ。説明しても聞かない」


 そう耳打ちする彼は鋭すぎる目で、往来をにらみつけ、目をそらさせると屋敷へ足早に引き上げていく――。



「お帰りなさいませ、旦那様」

「住み込みのメイドだ。仕込んどけ」


 やがてついた屋敷の玄関で、メイドと、執事の出迎えを受け、男は少女をおろし、手前にいたメイドに言いつけていた。そして、一人、男と少し年上ぐらいの執事を伴って、少女を置いて屋敷の奥へと入って行った。


「……あ、あの……」

「こちらにいらっしゃい」


 柔らかな笑みを浮かべた、年かさのメイドが少女を手招きする。


「でも……」

「掃除をすればいいわ。これは汚すために敷いているものですからね」


 自分が通った跡が残るカーペットを気にする少女に穏やかに言ったメイドは、忙しく働き始めた執事、メイドをよそに、少女に目線を合わせるようにしゃがみこんで、にこりと笑った。


「いらっしゃいませ、新入りさん。ようこそ、オーランド様のお屋敷へ」


 そういって、彼女は少女の手を取ると、一階の空いた一室へ彼女を案内する。

 そして、風呂と服、十分な食事を与えて人心地つかせた後、彼の詳しい素性と、仕事の内容を噛み砕いた言葉で、説明し始めたのだった。



「オーランド、様……」


 初めてあてがわれた部屋の中、一人でポツリとつぶやく。


 ベッドと小さな机だけが置かれた狭い部屋だが、今まで路上で生活していた少女からすれば、雨風しのげるだけで十分すぎる部屋だった。


 ぼう、と机に向かって揺れるランプの炎を見つめていたが、部屋の中がランプの明かりだけでは照らせないほど闇が深くなったのに気づいて、少女はランプの明かりを絞って消すと、ベッドに入った。


 さっそく翌日から見習いとして働いてもらう。と言い含められたのだ。


 働くということは、少し長い路上生活で見つめていた。お金を得るために、ないがしろにできない。


 そして、静かな部屋の中、まだ実感はわかないものの彼女はいつの間にか浅い眠りについた。


「……」


 そして、しばらくして、部屋にのそりと音を立てずに入ってくる影があった。


 すうすうと寝息を立てる彼女をそっと抱き起こして、形の良い桃色の唇に、そっとガラスのコップを押し当てた。


「んぅ……?」


 うめく彼女の口にそっとコップを傾けた彼は、素直にこくこくとのどを鳴らして飲み始めた少女に、少しだけ表情を緩めた。


「ゆっくり、休め」


 低く、思わずといったように漏れたその声は、いつになく優しい。


 夢うつつの彼女を、そっとベッドに横たわらせて、掛布団を戻してやった。そして、その寝顔をしばらく見つめてから彼は、静かに部屋を出て、そしてため息をついた。


「どうです?」

「落ち着いているようだ。……おそらく、明日明後日は熱が出て寝込むだろう。きちんとマスクをして処置するように」

「はい」


 てきぱきと指示を飛ばして、彼は、何事もなかったようにコップを外に控えていたメイドの一人に渡して、私室へ戻る。


 彼が彼女を拾ったにはきちんと理由があった。


 だが、それを彼女が知るのは、この日から、四年もたったある日のことであった。

壊滅的に目つきの悪いご主人様を得たメイドちゃん(笑)

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