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男装覚書  作者: ゴリエ
2/5

お泊りの夜

九月二十七日(金)

今、僕はとても混乱している。

今日はもう寝よう。ひどく疲れた。

(今現在、二十八日の深夜になってしまった。自室にて)




九月二十八日(土)

やっとお休みだ。

さて、何から書こうか。

昨日も今日も、本当に長かった。

長い長い二日間だった。

いろいろなことがありすぎて、どう筆を運ぶべきか、僕は今考えあぐねている。

いや、前置きはいい。ただ、起こった事実とその時の僕の思いだけを、書き綴っていこう。

まだ気持ちの整理はちっとも出来ていないけれど、これでもだいぶ落ち着いてきた方だと思う。

書く前からかなり長くなることが予想される。

心してかかることにする。


昨日(二十七日)、僕はエルトン君から避難するために、夕方からアシュレイ先輩の部屋にお邪魔した。

先輩は、たまたま授業が早く終わったみたいで、自室で僕を待ってくれていた。

先輩の部屋は、綺麗に教科書や家具が整理整頓されていて、さらに、甘いうっとりするような良い香りもした。

いつものように、おいしいお茶とお菓子を出してくれて、他愛もないお喋りをした。

先輩が専攻している研究の論文も見せてもらった。

僕には難しくてよくわからなかったけれど、先輩は用語の意味や切り口の論法など、僕にもわかるように丁寧に教えてくれて、本当に良い人だなあと思った。

優しくて頼りがいのある先輩のことが、本当に好きだなって、その時すごく実感した。

たぶん、このときの僕は、すごくドキドキしてた。

自分の気持ちを先輩に悟られたくなくて、だからわざと茶化すような感じで話していたと思う。

先輩はすごい。優しくてかっこいいし、頭も良いし、卒業したら女の子がほっとかないでしょうねって、あくまで冗談っぽく言ってみた。

先輩は照れくさそうに笑っていた。

先輩の笑顔は、百万個の宝石よりも価値がある。

先輩が好きだと思った。

父さんと母さんも好きだ。テリー君やニスとミシェルも好き。アップルパイも、ミルクティーも。

でも、先輩を好きな気持ちとは、どれも全部違うと思った。

「俺は君が思っているほど良いやつじゃないし、完璧な人間でもない。本当の俺は、もっと弱くて狡くて利己的なんだよ」

先輩がそう言ったのを覚えている。

あとは、なんだったかな。

「人に簡単に心を許しちゃいけない」「もっと疑った方がいい」「レトニーは、人の善意にも悪意にも素直に反応しすぎる」とか、いろいろ諭された気がする。

忠告は素直に受け止めるべきだなと思って、とりあえずお礼を言ったら、先輩はもう一度苦笑して、僕の頭を撫でた。

そして、僕の前髪を分けて、おでこにキス……をした。

先輩は、「困ったな……」って言った。

先輩の目は、本当に「困った」って感じだった。

僕は、「それはこっちの台詞だ」と思ったけれど、顔が熱くなって俯くしか出来なかった。

今思い返しても恥ずかしい。

こんなことを思い出して淡々と日記を書いている自分も、なんだか余計に恥ずかしい。

予感はとっくに出来ていた。

それなのに、あえて僕は動かなかったんだ。

先輩が、再び僕にキスをした。

今度は、おでこじゃなかった。

一度僕の顔を見て、僕と先輩の目が合って、僕が俯くと、今度は少し挑戦的に先輩が僕の顔を覗き込んできて、さらに、二回目。

それからは、もう何回キスをされたのか良く覚えていないけれど、全部優しかったことだけは記憶している。

なんせ、僕もこの時はいっぱいいっぱいだった。

ただ、恥ずかしくて仕方なかったけれど、今までのどんなことよりも、気持ちの良い行為だったのはたしかだ。

頭の芯から溶けていくような、麻薬めいた感覚で怖いとさえ思ったのに、この感覚に身をゆだねてずっと溺れていたいっていう矛盾。

自室に帰ったら、早急にこの快楽の原理を追求したい、なんて妙に真面目なことを考えた。

先輩が、「怖かったかい?」と聞いてきたので、正直に頷いたけれど、「でも、大丈夫です」とも言った。

そうしたら、先輩が抱きしめてきて、僕の耳元で「今日は泊まるんだよね? それでも大丈夫?」と言ってきたので、さすがに僕も全肯定するわけにもいかなくなった。

そこで、僕は初めて気付いた。

先輩は、僕を男だと思っているはずなのに、僕にキスをした……ということに。

「やっぱり気持ち悪い? 男にこんなことをされて」

先輩が少し悲しそうに言ったので、僕は慌てて否定した。

まったくそんな風には思っていなかった。

先輩が、思った通りの優しい人だってことがわかったから、嬉しかったと伝えた。

これは本心からそう思ったからだ。こんなに他人を優しく抱きしめることのできる人だったんだって。

それが、今思えば良くなかったのかもしれない。

先輩の変なスイッチが入っちゃったみたいで、またキスをされた。今度は、前よりも少し、激しかった。

そのまま、なし崩しにベッドに押し倒された。

びっくりして抵抗したけれど、その度に唇や頬や耳、首筋にキスをされて、僕は馬鹿みたいに全身の力が抜けてしまった。

本当に、あの時の自分は馬鹿だった。

自分がこんなにも、流されやすい人間だったなんて。

何度でも言おう。僕は大馬鹿者だ。

先輩に可愛がられて、惚けていた。

酔っ払いみたいに、夢見心地だったんだから。

先輩が、僕の胸を触って、ものすごく驚かれるまでは。

先輩のぎょっとした反応に気付いて、僕は慌ててベッドから飛び退いた。

天国から、一気に現実へ。

もう寝るだけだと油断して、さらしで押さえつけてくるのをすっかり忘れていた。

全然大きくはないけれど、これで男ですと言うには割と無理がある程度の、僕の胸。

先輩から胸のことを指摘されて、僕はしどろもどろになった。

どう言い訳を考えても、破滅の道しか思い浮かばない。

そう。そんな時に、彼が来たんだった。

こんな絶好の(?)タイミングで。

「レトニーから離れろ、この変態野郎」

そう言って、エルトン君は颯爽と現れた。(いつから部屋に居たのかはわからない)

彼が先輩の部屋で喚き散らしたことを要約すると。

・先輩のルームメイトが、今日実習で留守にしているというのは嘘。先輩が今夜僕と二人きりになるために、レポート一個で買収して、ルームメイトを実家に帰省させていた。

・その手口は、もともと先輩の常套手段。

・先輩は優しい振りをして、自分好みの後輩や同級生を攻略しては、次々に食い荒らす男色家。

・この部屋に漂う甘い香りは、先輩が研究している催淫剤の一種。

などなど。

僕はまさか、と思った。

先輩も「誤解だ」と言っていた。

それでも、エルトン君だけが何故か圧倒的自信を振りかざして、鼻を鳴らしていた。

うろたえる先輩。ふんぞり返るエルトン君。

僕はエルトン君の言ったことなんて信じたくなかったけれど、真っ向から彼に言い返さない(言い返せない?)先輩に、少しずつ不信感を持った。

エルトン君が、この時先輩に向かって言った言葉。

「レトニーを脅そうとしても無駄だ。そっちがそう出るなら、今までお前が醜い恋愛絡みで起こした公になっていない問題を、引き合いに出すまでだ」

そこで先輩の顔色が変わった。

先輩にまだ話したいことがたくさんあったのに、エルトン君が僕を引きずって、強制退去。

結局、僕らの部屋に連れ戻されてしまった。

部屋に戻ってから、エルトン君は急激に不機嫌になった。

きっと、僕がエルトン君にお礼も言わずに、ずっと先輩のことを気にかけたり、エルトン君を非難したりしたからだ。

「あんな情報どこで仕入れたの? 本当のことなの? もし間違っていたら、洒落にならないくらい先輩を侮辱したことになるんだよ」とか、今考えると、結構ひどいことを言ったかもしれない。

仮にもエルトン君は、僕のことを助けてくれたのに。

ここは、自分でも猛省するべきところだ。

「黙れ、愚か者のレトニー」から始まったエルトン君のお説教は、例によってむちゃくちゃ長かった。

覚えていることだけを書く。

・どうして俺から逃げた、馬鹿。

・そもそも、俺はこの大学の中でレトニーの唯一にして最大の味方だと、何故わからないんだ、馬鹿。

・だいたい、たった一回のキスくらいで逃げるなんて、精神面が弱すぎる。(←?)

・だいたい、自分が危うい立場だという自覚が皆無すぎて、心底馬鹿だ(これは……ごもっとも)

・今後この大学に居続けたいなら、もっと頭を使え。近づいてくるやつは警戒しろ。もっと俺を頼れ。その代わり俺を敬え。

・あと、あいつ(先輩)に何をされた?(あまりにしつこいので、ぼかしつつやんわり話したら、寮母さんが部屋に注意しにくるレベルで奇声をあげはじめたので、心底後悔した)

だいたいこんな内容だったと思う。

実際の半分以上は、途中から聞いていなかった。(限界)

先輩のことで、まだ頭の中がぐちゃぐちゃして混乱もしていたけれど、エルトン君の勢いに圧倒されて、なんだかんだ救われた部分もあるのかもしれない。

いや、実際すごく感謝している。

彼の言うとおり、エルトン君は、一応僕の味方でいてくれるらしい。

大きな貸しを作るぞ、とその意地悪な目が物語っていたけれど、今の弱った僕にとっては、この上なくありがたい申し出だった。

僕は、エルトン君が苦手だ。

それは今でも変わらない。

最初からずっとそうだった。

彼の瞳は、まっすぐでぶれない。

エルトン君は、僕が彼から目を逸らしても、無遠慮に僕の顔をじろじろ見てくるような、そんな人だから。

だからこそ、心強い味方になってくれるような気がした。

ひとまずお礼を言うと、エルトン君はすぐに機嫌が良くなった。深夜なのに、その後もすごく元気だった。何でだ。

「一緒に寝てやろうか」と言うエルトン君を無視して、僕は布団の中でいつの間にか爆睡してしまった。

とにかく疲れた。



そして、二十八日。朝を迎えた。

エルトン君と朝食を食べに行った。

彼とは何げに、初めて一緒に食事をした。

今までずっと避けられていたから。

それから、二人で部屋で課題をしていたら、アシュレイ先輩が訪ねてきた。

騒ぐエルトン君を無視して、僕は先輩を部屋へ招き入れた。

もちろん、エルトン君がそばにいてくれていなかったら、こんな大胆な行動はしない。

何にせよ、遅かれ早かれ、先輩とは話さなければいけないことがたくさんあったから。

先輩も僕と同じ考えだったらしく、話は早かった。

エルトン君は、いつの間にか、諦めて何も言わなくなっていた。

ものすごく不機嫌そうだったけれど。

先輩は、僕が口を開くより先に、僕が気になっていたことを全て話してくれた。

・先輩が男の人を好きなのは本当。今まで好きになった人は、全員男の人。

・恋愛関係で、ちょっとしたいざこざがあったことも事実。でも、全て双方合意の上でのこと。

・先輩は、性別の壁を超えて、自らの愛を貫く覚悟でいるけれど、いつも相手がその重さに耐えられなくなって、大学を去っていくということが何度かあったらしい。

・催淫剤を使ったのは悪かった。でも、言い訳をすると、あれには理性が飛ぶほどの強制力はない。一般的には、少し気分が高揚するくらいの作用。ただ、体質やその時の体調・ホルモンバランスなどによって、効き目に個人差はあるかもしれない。副作用など身体に害はないので、安心していい。

……という内容だった。

そして、最後にこう言われた。

「初めは、レトニーが後輩として可愛かった。でも、俺を頼って慕ってくる君自身がだんだん可愛く思えてきて、気がついたら好きになっていた。そして、君が女性だと知った。驚いたよ。まさか、自分が女性を好きになっていたなんてね。でも、もっと驚いたのは、今でも君が好きだってことだ。初めてなんだよ、今まで生きてきて、女性を好きになったのは。俺は、昨日からずっと考えていた。もう、今後自分の人生の中で、レトニーのような子は二度と現れないかもしれない。こんな俺だ。将来結婚をして、子どもを持つというありふれた夢も諦めていた。でも君となら、それが難なく叶えられるってことに、気付いたんだ。君と俺との出会いは、まさに運命だよ。これからは、卑怯なやり口は抜きにして、正々堂々と君を口説こうと思う。俺は女性は苦手だけれど、レトニーが言ったように、女性には一応もてるんだ。覚悟しておいて」

先輩が爽やかに去っていった後のドアに、エルトン君が枕を思い切り投げつけた。

ありふれた言葉で表現するとしたら、これを前途多難と言うのかもしれない。

手が疲れた。


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