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第九羽:少女魔臣

 白い部屋で目覚めて2時間が経過した。

 ロザリア・D・ロンバルドが部屋を出てから40分程度といったところか。

 完全に、完璧に歩けるようになった僕は白い部屋を出ることにした。というか、いつまでここにいさせるんだって話でもある。

 部屋を出る前に僕は右足の爪先で軽く床を叩いた。

 とん、とん、とん、三度。

 ここはどこだ? というのが僕の疑問。

 大地の気配がないのだ。僕はどんな建物の中にいても――それこそ魔王城の中ですら――地下深くにある地脈の中を、その地脈内に流れる大地の力『大地力』を遠くの川のせせらぎや潮の香のように感じることが出来たのだ。

 今までこんなことは一度もなかった。地面の上に世界が成り立っている以上、『大地力』を全く感じないということはありえないはずなのだ。

 これでは『大地力』を動力とする『魔神技(D arts)』が使えない。僕は武器を一つ失ったことになる。

 僕が武器を必要としたのには一つの理由がある。 

 僕は再度、右足の爪先で床を小突いた。足指から足裏にかけては神経が集中しており、足に感じる刺激は靭帯から神経、脊髄を伝わって大脳に至る。大脳の外側面にある中心後回という脳部位は体の各部位から体性感覚の入力を受け取る領域であるが、天使細胞の肉体最適化作用によって僕のそれはさらに発達している。普通の人間でも訓練すれば足音などで人の気配やその距離をある程度推測することが出来るが、僕の場合、地面を伝播する振動を用いて潜水艦のソナーのように周囲の物体をかなり正確に捜索、探知、測距することが出来るのだ。

 僕はすでに気づいていた。

 白い部屋の出口、その扉の向こうに何かがいた。そいつは微動だにせず、ずっと外の扉の前に立っているらしかった。そいつはおそらく身長160センチ前後で体重は80キロから90キロ。それだけではない。僕はそいつから独特の異音を感じ取っていた。

 機械の駆動音。

 魔臣(Machine)だ。

 僕は海老とユリ根の粥を運んできた少女型の魔臣を思い出した。おそらくあいつが外で待ち伏せしているのだ。

 何故? 

 理由が分からない。

 ただ、僕もこの部屋で足止めされることには結構うんざりしていた。

 僕は思い切って扉を開けた。

 扉の外は真っ白な通路になっていた。通路は果てしなく続いていた。通路の左右には扉がずらっと並んでいた。通路の奥はどうなっているのかは分からない。合わせ鏡の世界みたいに、無限に通路が続いているように見えた。

 予想通り、出口のすぐそばには少女型の魔臣が控えていた。整い過ぎていて人形ぽく見える顔。最適解とでもいいたげな顔の輪郭と鼻梁のライン。筆でさっと刷いたような細くて黒い眉、蝶の羽のような大仰な黒い睫、大きく広げたまま瞬きひとつしない黒瞳、黒のボブカット、陶器の破片のような薄くて鋭い唇に塗られた黒いルージュ――上等な白い皿のような顔に盛られた顔パーツは可能な限り、黒で統一されていた。彼女の顔には白と黒しかない。それ以外の色彩は省かれていた。陶磁器に描かれた水墨画のような、端正だがどこか寒々しい、無機質的な顔だ、と思った。

 僕はこの魔臣に違和感を覚えた。

 服装だ。魔臣はメイド服を着ていたが、そのデザインが最初に会った時と違うのだ。

 以前の少女魔臣は濃紺のワンピースの上にフリルのついた白エプロンといった、割とベーシックと言っていいのだろうか、メイド服と言われてたいていの人がぱっとイメージするようなものを着ていたと思う。

 でも眼前の魔臣は肩や背中がむき出しの、グラビアアイドルが着るような黒地に白のフリルがついた、メイド服風ベビードールといった感じのものを身に着けていた(ほとんど裸エプロンみたいな恰好だ)。首元の白いフリルは幾重にも折り重なって、まるで白い薔薇の花弁のよう。スカートの丈もマイクロミニで、そこから伸びる、まだ子供っぽさの残った細くて白い足は大人っぽいデザインの黒いガーターとストッキングに脅かされていて、どこか禁忌的な艶めかしさを醸し出していた。

 正直言うと僕は等身大エロフィギュアみたいなこの魔臣をもう少し鑑賞していたかった。

――が、どうにもそういうわけにはいかないらしかった。

「うぃーん、がちゃ」

 と言って少女魔臣は機械的な挙動で首をグリンと回して僕の顔を見た。大きく見開かれた目には細かな光の繊維が走っていた。その光の流れが怪しく瞬いた時、僕は身構え、またいつでも逃げられるよう壁際から通路側へすり足で移動した。

 少女魔臣は時間をかけて、ゆっくりと身体を捻っていった。背中や腕に捻りを加える度にゴキキ、という異音が聞こえた。重い歯車同士が擦れ合うような音だ。少女魔臣は頭をこちらに向けたまま大きく背を仰け反らせ、爪先立ちをし、捻りの入った右腕を天井に向けて高く伸ばし、逆に左腕は床へ、左指先は軽く地面についている。前衛芸術のモデルみたいな体勢。もし作品名をつけるとするならばさしずめ『歪み』といったところか。この体勢で一端固定。ギリギリという音。ギリギリギリギリ、力を蓄えているようなイメージ。パチンコのゴムを力いっぱい引っ張っている、そのゴムの緊張感。

――蓄えられた力は放出される。

 僕はほとんど反射的に後ろへ大きく下がったが、それは正解だった。後ろへ下がったと同時に重い風を伴った衝撃が僕の鼻先を掠めた。砲丸投げの砲丸がほんのすぐ目の前を通り過ぎていったような感触。

 蹴りだ。魔臣が僕の顔面めがけて回し蹴りを放ってきたのだ。少女魔臣が蹴上げた瞬間、短いスカートが花びらみたいにふわっと巻き上がって下着が見えそうになったが、それをしっかり視界に納める余裕は、当然ながらなかった。

 少女魔臣はバレエダンサーみたいにクルクル回転しながら連続で蹴りを放ってきた。

 ローキック、ミドルキック、ハイキック。ロー、ロー、ハイ、ハイ、ミドル、ハイ、ミドル、ロー、ハイ、ハイ・・・・・・。僕はその全てを回避した、というより回避するより手段がなかった。まともに受ければ骨折は免れない。それくらい重い攻撃なのだ。まだ身体が本調子ではないし、ちょっとのことで重傷を負ってしまう。

 僕は少女魔臣の蹴りを回避する度に少しずつ後ろへ下がっていた。

 ヒタリ、気がつくと背中に壁があった。通路はそんなに広くないし、僕自身、警戒していたとはいえ、突然攻撃されてやはり動揺していたのだ、簡単に追いつめられてしまった。

 逃げ場はなかった。まるで運命のように。

 少女魔臣のハイキック。僕はそれを倒れこむように回避。僕の顔面に命中するはずだった爪先は壁に着弾した。一瞬、通路が揺れた。やはり人間の頭なんか、簡単に砕けそうなほどの威力を持った蹴りだ。

 大きくバランスを崩した僕は四つんばいになって少女魔臣の背後に回った。少女魔臣はしばらく足を大きく上げて爪先を壁に接地した体勢でいた。短いスカートがめくれあがって白い足とお尻が見えた。生地の少ない下着を着けているらしく、お尻がほとんど丸見えである。

「うぃーん」

 と少女魔臣が言った。目だけをこちらに向けた。

 たいして運動していないにも関わらず、僕の呼吸は粗くなっていた。まずは落ち着かなくては、と思った僕は大きく深呼吸した。そして大丈夫、と自分に言い聞かせた。敵の攻撃は重いが、そこまで早くないし、挙動も大きい、何より単調で、落ち着いていれば回避も、そしてそこからの反撃も容易だ。

 発条の弾けるような、非人間的な音がした。少女魔臣の蹴りが再び飛んできた。

 少女魔臣のミドルキック、腰を引いて回避。ローキック、小さく飛び跳ねて回避。ミドル、ロー、ミドル、ミドル、そしてここで大きく振りかぶってのハイキック。姿勢を低くしてこれも回避。

 このタイミングだ、と僕は思った。少女魔臣の足が僕の登頂を軽く撫でて通り過ぎた。この時、少女魔臣の上半身はほぼ無防備だった。

 僕は右手で左手の小指と薬指を掴んだ。天使細胞の恩恵で再生するとはいえ、正直、これはやりたくなかった。でも武器がない以上、やはり仕方なかったのだ。

 僕はバナナを房からもぐように左手の小指と薬指をもぎとった。

 一応、脳内麻薬を分泌させて痛覚を鈍磨させたはずだったが、それでも痺れるような痛みはあった。失った小指と薬指はどのくらいで再生するだろう。勇者として活躍している、一番ピーク時のときで2、3時間はかかったはずだから、今ならばもっと時間がかかるだろう。

 右手の中で僕の左小指と左薬指がどろりと溶けた。血と肉のゾル。ゾルからゲルへ。僕は手の中でこんにゃくほどの固さになった自らの血肉を強く握りこんだ。肉は手の平で潰れ、握りこぶしの隙間からどびゅっと飛び出した。人差し指の隙間からはみ出した血肉は平たく伸びて、ナイフの切っ先のようになって、刀身が白く濁って、そしてそこで完全に、完璧に固まった。金属の輝き。刃物の剣呑さ。僕は自らの血肉でナイフを成形したのだ。天使細胞の武装化は勇者戦術の一つ。ナイフの形状が羽のように見えることから『天使(Angel)刃根(divide)』とも呼ばれる。

 魔臣の弱点は天使細胞である。天使細胞は敵の外側を覆うD細胞を腐食させ、また敵内部に侵入した場合、魔臣の内部を循環するD組織溶液を汚損することで内部機構に多大なダメージを与えることもできる。

 僕は『天使(Angel)刃根(divide)』を少女魔臣の脇腹に突き入れようとした。少女魔臣はハイキックの勢いを活かしたスピンジャンプで後方へ逃れた。フィギュアスケートのジャンプみたい。とても器用な動きのする奴だ。

 もちろん逃がさない。ナイフの柄を強く握りこんだ。まるで弾道ナイフのように、ナイフを握った手から刀身が射出された。刀身の着弾とジャンプした魔臣の着地はほぼ同時に思われた。

 だが魔臣に着弾する直前で刀身が黒く濁ると、バラバラに砕けて消えてしまった。

 僕は手のひらを見た。手の平にも『天使(Angel)刃根(divide)』の残骸があった。黒ずんで、そして枯葉を握りこんだみたいにバラバラに砕けていた。

 天使細胞の壊死だ。

 何故?

 右手甲が微かに光っていたので手の平を裏返して確認してみた。手の甲にある死水晶。魔王の力が宿った結晶。魔王の力。魔力が天使細胞を殺したのだ。

 僕は愕然とした。羽をもがれた鳥のような気分だ。まばたき数回分くらいの時間、無防備だったと思う。でも気が付いた時には魔臣はすでに僕の眼前にいた。少女魔臣は上方で両手を組んで今にも振り下ろそうとしていた。

「そこまででいいわ。だいたいわかったから」

 背後で声が聞こえた。聞き覚えのある声だけど、うまく思い出せなかった。

「ガガ、ピー、ガガ」

 そう言って少女魔臣は両手を上に掲げたまま停止した。

 僕は振り向いた。

 いつからそこにいたのか知らないが、僕の背後のちょっと離れた場所にロザリア・D・ロンバルドがいた。彼女は壁に背をつき、本を読んでいた。。黒い革製のブックカヴァーをしているので本のタイトルはわからない。彼女は本から目を離すと不機嫌そうに僕を睨んで、

「おはよう、こんにちわ、こんばんわ」

 と言った。

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