いつか魔法の効く頃には
『先生、私にも魔法をかけて!』
『どんな魔法?』
『あのね、えっとね、っそうだ!私と先生がね・・・・・』
うちの隣には魔法使いが住んでいる。
この辺りはとんでもなく田舎なので、隣といっても小高い丘を越えたその先にあるから、歩いて行けばそれなりに時間はかかる。うちから隣の家に続く道は馬車がやっと一台通れるほど、それすらもあまり使われていない所為で、雑草だらけ。
しかも丘を登った先は木々が生い茂り、けもの道のようになっていて、ここを訪れる者の少なさを物語っている。スカートの裾を小枝に引っ掛けてしまわないように慎重に進む。(あぁもう、また父さんにここらの枝を切ってもらわなきゃ)
小さな頃は気づかない内にお気に入りのスカートにかぎ裂きを作っては、泣きながら母さんに繕ってもらったものだ。右手にバスケット、左手でスカートを抑えながら、苦労してしばらく進むと、急に開けたところに出る。
そこは庭と呼べるのかどうか、色とりどりの花や、変わった葉の植物が、なんとも雑多に生えており、飼われている筈のニワトリが我が物顔で闊歩している。
その中ほど、蔦やら蔓に覆われたこんもりとしたモノが家だとわかる人が、はたしてどれくらいいるだろう。私は蔦のカーテンを脇にずらして出てきたドアを、渡されている古い鍵を使って開いた。
そのドアはあまりに重くて、女の力ではほんの少ししか開かない。隙間から滑り込むように入り、あとは重みに任せて閉めるから、それは大きな物音が玄関ホールに響く。
薄暗い玄関ホールには、先日訪れた時に片付けた筈の本が溢れて、私の背をゆうに超える程うずたかく積みあげられていた。頭の中の『今日やらなければならないことリスト』に玄関掃除を加えつつ奥に進む、するとそこはリビングとダイニングとベッドルーム、全てをだだっ広い部屋にまとめて、ごちゃまぜにしたような場所に出た。
要は壁で仕切られていないだけの真四角の広い部屋なのだが、主人のかなり変わったレイアウトのせいで、素人目にはただ混沌を極めているだけにしか見えない。
本人曰く、作業効率を考えた末の配置らしい。食べかけの食器がそのままのテーブルの横に、学術書がギッシリ詰まった本棚があったり、寛いで座るソファの前に書きかけの魔法陣やら得体のしれない術具の乗った机があったりする、とにかく乱雑な部屋の奥の奥まで、やっとの思いで辿りついた。(このあいだももちろん、私の『やることリスト』は増えるばかりだ)
壁ぎわに大きな大きなベッド、そのあちこちにクッションや枕、布団や毛布、果ては私が昔忘れていったぬいぐるみまでが転がって、そ んな中からにょっきりと人の足が見え、私はひとつため息を吐く。
人が昼ごはんを作りに来たというのに・・・この人の寝起きの悪さを身をもって知っているから、起きているだろう時間に来たのだが、この様子だと昨夜は遅くまで仕事でもしていたのだろう。
「先生、もうお昼ですよ。今日は先生の好きなシチューにしますから、早く起きて顔を洗ってきて下さい」
・・・反応なし。
「ほら起きて、外はいい天気ですよ。たまには布団も干さなきゃ病気の元です。先生も太陽にあたらないとカビがきますよ」
ユサユサ身体を揺すってみても・・・反応なし。
「もう、いい加減に起きないと怒りますよ!私は今日も、先生が汚したのを全部キレイに片づけなきゃならないので忙しいんです!これじゃいつまでたっても終わらないじゃない」
ブツブツ言って頭から被っている布団をまくってみる、すると銀色でボサボサの頭が見えた。更にまくると、こちらからは広い背中しか見えなくて、どうやら向こうをむいて丸まっているらしい。
そういえば昔はよく遊び疲れて先生のベッドで昼寝しては、いつの間にか夜になって、先生の背におぶさり、うちまで帰った。本当は道の途中で目は覚めるのだけれど、私を気づかってゆっくりと歩く先生の背中は、温かく居心地がよくて、うちに着くまで寝たふりをしたりしていた。
私は今日ふたつ目のため息を吐いて、大きな大きなベッドに上がり、先生の眠っている反対側に、膝で這って回り込んだ。
こうやってベッドに上がるのなんて何年振りだろう?顔があるであろう位置まで来ると、脇にバスケットを置いて、今度はそっと、布団をまくった。
前に回ってもやっぱりボサボサの頭、顔の上には筋張った手が乗っかっていて、ピクリともしない。
「先生、おはよう。早く起きないと襲っちゃいますよ」
腕をとって覗き込んだ。
「・・・なぁんだ、起きてるじゃないですか」
先生は起きていた。無防備に寝そべって、瞳だけがやたらとまっすぐに私を見上げている。
まくれた布団から、先生の匂いと体温を感じて。
先生の腕が伸びたのが先か、それとも私がその胸に飛び込んだのが先だろうか。
「やっぱり先生の魔法のせいですかね」
「・・・それならきっと一生とけないよ」
2人で笑いあって、初めてのキスをした。
お隣に住むのはこの国きっての大魔法使い。
だけど本当は、私だけの愛しい魔法使い。
『先生、私にも魔法をかけて!』
『どんな魔法?』
『あのね、えっとね、っそうだ!私と先生がね、いつまでもずうっと仲良くいられる魔法!』
『ずっと?』
『そう、ずっとずうっと!おじいちゃんとおばあちゃんになるまで!』