4話 『豚小屋』にて(2)
*
「うまっ! このホタテのソテーすっごくおいしいです!」
「ホツテのメテー焼き、な」
「甘辛いのがたまりませんねぇ! エビチリってこの世界にもあったんだ……!」
「イリチーリ、だぞ。まったく、クァコは田舎もんだなあ!」
ニコル料理長の賄いは豪勢でとってもおいしかった。お腹が減っているのも加わって、涙が出るほど美味だった。
やっぱりメニューの名前や食材は聞いたことのないものばかりだったけれど、見たことのある具材も多くて安心して食べられた。コックさんたちはあたしが山奥から出稼ぎにきたこどもだと思ったらしく、最初こそ物珍しげにあたしの様子を見ていたけれど、次第に孫をかわいがるおじいちゃんのような表情で親身に接してくれるようになった。
ただ、唯一の問題がある。あたしの名前、『かこ』の発音ができないことだ。
「わたし、村崎佳子です」
と名乗るや、オヤジさんは眉間にしわをよせ、
「ムラシャークァンコ? 変わった名前だなぁ」
とのたまった。
びっくりした。なんだ、その異星人――結果的にそうなのかもしれないけれど――みたいな名前は!
「いえ。村崎佳子です。ムラサキ、カコ」
「ムラシャー・クァンコ?」
どうしよう。オヤジさんの眉間にはしわが深く刻まれている。なにが違うのかわからないみたい。
よし、とりあえず名前だけでも憶えてもらおう!
「えっと、カ・コです。カ、コ」
「クァンコ?」
「カコ」
「クァ……クァコ!」
お、おしい! でもちょっと『カ』に力入れすぎですよ! 文字通りくわっと目を見開いて叫ばなくても大丈夫です!
脳内でツッコミしつつ幾度か繰り返しても、きちんと「カコ」と呼んでもらうまでには時間がかかった。オヤジさんはなんかと「カッコ」と呼べるようになったけれど、他の店員さんたちはまだ「クァコ」状態である。他には「クコ」とか「ココ」とか「ホコ」とか……
ううん、これはきっと時間が解決してくれるだろう。長期戦でいこうと心に決めた。
「お腹いっぱい! ごちそうさまでした」
たらふく食ったら自然と眠気が襲ってくる。昨日はあまりのことに充分な休息もとれなかった。
あたしはツイている。だって、もし、これが夢ではなく現実に起こっていることなら――ぶるり、と震える。
空腹の時は頭に糖分が回らずよく考えられなかったけれど、こうしてみると『夢』という可能性は限りなくゼロに近い。なにがどうして、こうなったのかなんて……わからないけれど、むざむざ死ぬのはごめんだ。たとえ夢でも。
幸運なことに、職と住処は手に入れた。当分のたれ死ぬこともないだろう。
「クコは眠くなったみたいだな~」
「仕事まで時間あるし、寝てろよ。こどもは寝て育つんだぜ」
うとうとしはじめたあたしに、周囲のコックとウェイターもといオジサンたちは口々に言う。「こどもじゃない」と否定したいところだが、迂闊に否定して住処を奪われるのはごめんだ。この人たち、あたしがまだこどもだからよくしてくれている節がある。
騙すのは忍びないけど……勝手に向こうが勘違いしたってことで、ごめんなさい!
食欲が満たされ、あたしは次いで睡眠の欲を満たすために目をとじた。
+ * +
これは夢だ、と思った。
ぼんやり霞みがかった世界で、あたしはのっそりと起き上がる。寝ぼけまなこをこすっても、どこかぼんやりしたままだ。
花畑のなかにいた。すぐそばには湖が顔をのぞかせている。
目を細め、身を乗り出して湖のなかをのぞきこんだ。すると、不思議なことに水面に映ったのはあたしではなく知らない男の人だった。
「そこでなにをしているの」
夢のなかのあたしは動揺することなく口をひらく。会話を楽しもうとしたのだ。
男の人はこてんと首を傾げ、ゆるりと笑った。
『君こそ、どうしてそんなところにいるの』
「あなたはだれ?」
とりあえずあたしは己の疑問を解消したかったのだ。
白銀の髪が湖のなかでゆらめく。翠の瞳が柔らかくなった。
『そっか。君はまだ目醒めていないんだね』
「なあに。意味がわかんないわ」
『いずれわかるよ』
にっこりきれいに笑って言うものだから、それきりあたしは追及する術を失った。
ああ、それにしても眠い。ここは夢のなかなのに、あたしは猛烈に眠かった。
頭はすっきりしないし、欠伸がとまらない。次第にぼやけてきた視界では、少年が困ったように微苦笑している。
『僕は君に会いたいな』
「じゃあ、あなたが出てくればいいのに。あなたこそ、どうしてそんなところにいるの」
『僕たちにとってはここが存在世界だからね。まあ、君はどちらにしろ異物だから……いや、いい。どうせ今の会話も、忘れてしまうだろう』
少年はどこか寂しげにほほえんだ。
あたしはよくわからなくて、肩をすくめる。
眠い。眠すぎる。鈍った頭ではなにも考えられそうにない。
よし、一眠りして、それから彼の悩みを聞いてあげよう。そうしよう。
「大丈夫、忘れないよ」
だからちょっと眠らせてね。
+ * +
肩を揺すぶられ目が覚める。仕事が再開するらしい。
レストラン『豚小屋』は朝食と夕食を提供するお店だ。ランチタイムがいちばん儲かるんじゃなかろうかと聞いてみたけれど、店主のオヤジさんは怪訝な顔をして首を捻る。曰く、この世界ではお昼は愛妻弁当または母の味が当たり前なのだとか。『豚小屋』のように飲食店を営むところでは例外もあるらしい。賄いがあるものね。
さて、午後もめいいっぱい働くつもりでウェイトレスに励んでいたところ、夕暮れ時になるとオヤジさんに「もう上がれ」と言われた。店を閉めるにははやい時間ではないかと問うたところ、「こどもはさっさと寝ろ!」らしい。いったいオヤジさんはあたしを何歳だと思っているんだろう……怖くて聞けない。
結局、慣れない仕事で疲れた自覚もあったのでさっさと上がらせてもらうことにした。
あたしの住まいはレストラン『豚小屋』の二階。全部で七部屋あるうちのひとつを借りられた。
文字通り一文無しで、もちろん着替えだとかは論外。お風呂に入りたいと強く思いつつ、だれかが用意してくれたベッドにダイブすれば自然と瞼が降りてくる。
たぶん、あたしはあたしが自覚していた以上に疲労していたのだろう。
……そういえば。
『豚小屋』で見た夢はなんだったんだろう。不思議な夢だった気がする。
「ふ、ざまあみろ」
自分でもなにが「ざまあみろ」なのかわからないが、自然と笑みがこぼれた。
でもきっと、たぶん……夢を忘れていなかったことを、誇らしく思えたんだ。
* * *
翌日、幸運なことに定休日ということで、あたしはオヤジさんの奥さんに連れられて買い物に向かった。この奥さま、見た目は二十代後半くらいなのに実年齢はオヤジさんより上という。姉女房素敵です。
茶色い髪を縦ロールにしてまとめ、中世貴族のかぶるような帽子をかぶり着飾った奥さんとエプロン姿のオヤジさん……とてもじゃないけど、夫婦には見えませんでした。
ちなみに、オヤジさんの名前はグッグ・ベイグーさんで、奥さんがミチェル・ベイグーさん。ベイグー夫妻は従業員からオヤジさんと姉御と呼ばれていると知ったときは、思わず遠い目をして笑ってしまった。オヤジさんだって、笑えば若く見えるのに!
そんなこんなでお買いもの。オヤジさんは給料前払いしてくれる太っ腹だった。
奥さんおすすめのお店『小鹿の首』に行って服も靴も下着もすべて取り揃えてくれた。ここの世界の服装は中世というのだろうか、とにかくファンタジー世界にありがちなものだ。あたしが買った――といっても選んだのはほとんど奥さんだ――服は、淡い黄色のチュニックやピンクのレトロワンピース、紅蓮のスカートに白いシャツなどなど。利便性からいえばズボンとか欲しいなぁとつぶやいたところ、奥さんは目を見開き、やがて「あなたも嗜むのね」とおっしゃった。
……絶対なんか勘違いしていたけれど、それ以上なにか言うと余計ややこしいことになりそうだったからお口にチャックした。
奥さんはやさしくて面白い人だ。「わたくし、娘とお買いものするのが夢だったのよ! 息子なんて大きくなったら離れていくものなんだから……!」と言って、母子というより姉妹のように気さくに接してくれる。また、『小鹿の首』は奥さんの幼馴染が経営しているらしく、ちょっとオマケしてもらえたこともうれしかった。
「まあまあ! 久しぶりねえ! あら、そちらのカワイイお嬢さんは?」
「相変わらずだこと! この子はわたくしの娘よ! クッコと言うの! うふっ」
「クッコ? 変わった名前ねぇ。でも、あなたの娘ならどんな名前でも配下にしちゃいそうね」
「そうでしょう、そうでしょう?!」
幼馴染さんも強烈で、ついで会話の内容がまったく理解できなかった。
だが、どうやらあたしの耳は進化したらしいということはわかった。なぜなら、めちゃくちゃ近づけば相手がこちらに意識を向けていなくとも言葉を理解できるのだから。そう――たとえば、ふたりの奥方美女に挟まれ至近距離で会話されれば、ね。
さて、現在『豚小屋』で寝泊まりしている従業員はあたし含め五人だ。ふつうは部屋だけ貸す形だが、「クッコは特別にお風呂も貸してあげるわ。そうね、今日から一緒にご飯も食べましょう!」という奥さまの鶴の一声で、あたしはまるでオヤジさん夫婦の養子になった気分だった。
仕事はウェイトレス。相変わらず、『豚小屋』は朝と夕方に混むというレストラン。大忙しのてんてこ舞いだけれど、三日目ころには徐々に慣れてきた。メニューも三回に一回間違うくらいに上達したのだ!
よって、オヤジさんのげんこつ回数も大幅に激減だ!
同僚となった仕事仲間にも、「おまえ、すごいなぁ。その年でこれだけ働けりゃあ充分さ」とか「読み書きができないなら教えてやろうか。ほら、クァコはがんばっているからな。ご褒美だ」とか「俺がもう三十歳若ければ嫁に欲しいくらいの働きっぷりだな」などと言われた。
どういうわけか、あたしの年齢はかなり若く見られているらしい。日本人顏のせいだろうか。でもこの世界の人だって、そんなに彫りが深いわけじゃ……いや、たしかにあたしと比べると、お客のメディーちゃん十二歳のほうが色気もあるような……
また、あたしは数か月前に起こった『イズガの大嵐』による災害に遭い、山奥から出稼ぎに出てきたおのぼりさんだと思われているらしい。
年かさの料理人マイクは「ココはいい子だなぁ。ほら、これでおいしいものでもお食べ」とお小遣いをくれるくらいだ。オヤジさんからの破格の待遇などを考慮して、やはりあたしはかなり、同情されているみたい。
普段ならば、「こどもじゃないわ」と文句のひとつやふたつも言いたくなるだろうけれど、現状を鑑みれば己がどれだけ恵まれているのかがわかる。もらえるものはもらっとけ、精神が根付いた。幸運すぎる自分の現状にちょっぴり怖くなったのは秘密だ。