第五話
ずらりと並ぶ土産物屋は、根付などの小物を売っているところから饅頭だの煎餅だのといった菓子を扱うところまで様々であった。
滞在予定はまだ日にちがあるので日持ちのしない食べ物関連は避けて雑貨を見ることにする。藍葉は並んだ妖怪ぬいぐるみを見つめていたが、時也が欲しいのかと尋ねると「いえ、嵩張るものは邪魔だからいらないです」と切り捨てた辺り、わりとしっかりしている。堅実な面もあるようだ。
とはいえ、此処にあるものは彼女の目にはどれも新鮮に映るのか、興味を持つものは多いようだ。あれやこれやと目移りしている様子も窺えた。
歴史ある由緒正しい神社のお膝元という意識が強いため、この辺りで法外な値段をふっかけてくるような悪徳商店はない。無邪気に目を輝かせて、どれを選ぼうかと大いに悩む藍葉のことは然程心配しなくて良さそうだ。
ただ彼女の買い物を待つだけというのも味気ないので、時也も店棚を眺める。彼にとっては今更珍しくもなければ面白みもないものばかりだが、ひとつだけ目に止まったものがあった。
編んだ革ひもに小さな赤い石飾りをあしらった、安物のブレスレッドだった。
自分でつけたいと思ったのではない。時也は元々装飾品に頓着はしないたちだ。けれど、たったひとつだけ棚に置かれたその赤は藍葉に似合うような気がしたのだ。不思議とそれから目が離せなくて、手を伸ばす――。
「あ」
「おや」
……と、もう一本別の白い腕が伸びてきたので、ものを取る前に手が止まった。そして深く考えずに横を見て、時也は息を呑んだ。
白い白いと思った肌は、正しく一級品の白磁であった。肩につくかつかないかといった長さの髪はさらりとした栗毛で、瞳は透き通る琥珀そのものだ。女性――いや、男性だろうか? 性別の区別がつかない中性的な顔は、それこそ遠い異国の妖精のように麗しい。
恵理のように成熟した女性らしい艶やかさではない。藍葉のように瑞々しい少女の可憐さとも違う。けれど、その美はぞっとするほど格別だ。着ている無地の赤の着物が男物なので仮に彼と呼ぶことにするが、目立つはずのその色すらも彼の前には霞んでしまうほどであった。
そして、時也はその顔を知っている。以前テレビのニュースか何かで見た覚えがあった。
「魔王様……!?」
東ヒノモトの魔族の長にして、東区の行政全てを司る魔王城の主――妖精の血を引くと言われる美貌の魔族、沈黙魔王その人であった。
思わず声を上げた時也に、彼はしーっと唇の前に人差し指を立てながら苦笑して言った。
「今はただの日暮日次だ。できれば日次と呼んでくれると嬉しいな」
今はちょっと休憩中だから、と彼は言った。よく見ればどこかで買い物でもしてきたのか、左手に手提げバッグのように結んだ風呂敷を持っていた。中身は不明だが膨らんでいる。
今日はお忍びということだろうか。日暮日次というのは聞いたことのない名前だったが、このまま再び魔王と呼ぶと機嫌を損ねてしまいそうだったので、無難なところで本人の希望通り名前で呼んでみる。
「日次さん……?」
すると、沈黙魔王――日次は満足げに頷いた。
「名前で呼ばれるというのは気分が良いね。普段はあまり呼んでもらえないんだよ。ほとんど皆私のことは沈黙とか魔王とか、記号のような呼び方をする」
いかにも不満だといわんばかりに脹れ面をする様子がどうにも子供っぽく、時也は何だか面食らった。
目の前にいるのは時也の何倍生きているか知れないほどの長寿の魔族であり、この東区で最も高い身分を持つ人物なのである。本人の持つ端麗すぎる容姿の印象や、テレビや新聞で伝えられるような偉大な魔王のイメージとは違って、随分と親しみやすさを感じる。
それは決して安っぽいだとか、品がないということではない。ただ気取らないというか、打ち解けやすいというか、壁というものを感じさせないのだ。あまりにも完璧すぎる外見のせいで現実味はなかったが。
「日次……って、ええと、ご本名なんですか?」
「うん。きみは何という名かな。聞いても?」
「夏目時也です」
「夏目……夏目か。もしかして、きみ、嘉一郎の……?」
「父を知っているんですか」
意外なところで養父の名を聞き驚いて問い返す。日次は「夏目嘉一郎、彼のことはよく知っている。個人的に付き合いがあるよ。それに東区で夏目といったら、彼は結構有名人だ……きみの話もよく聞いたよ」と語った。
(一体あの人何を喋ったんだ……)
幼い頃は冒険者修行のために苦労した記憶しかない。ろくな思い出がないし、自分自身大したことのない人間だと思っている。何を語られたのか想像しても、褒められているところは思い浮かばなかった。
自分の評価も気にかかるところではあったが、それ以上に夏目嘉一郎という存在に疑問が増えた。実際時也が暮らす夏目邸は古い屋敷であり、嘉一郎には金がある。気ままな旅人だからか顔も広いようだが、魔王まで知り合いとは顔が広いにも程がある。何者なのだろうか。彼に育てられていながら、(実際はほとんど音子に世話されていたとはいってもだ)時也は嘉一郎のことは詳しくなかった。
日次は時也が考えていることについては、悟っているのかそうではないのか、何も言わなかった。顎に指を添えながら、
「それにしても……時也か。良い名前だ」
そう言って、彼はにっこりと微笑んだ。その美しさに見惚れながら、ころころと表情の変わる人だ、と時也はぼんやりと思った。
「これはきみがつけるのかい」
そう声をかけられて、時也はようやく本来の目的を思い出した。
「いえ、その、人にあげようかと思って」
「恋人かな?」
「違います」
決して恋人という関係ではないはずである。いくら今やっていることがデートのようなことであっても、あくまでもこれは時也にとっては観光案内であり、彼女からの想いに応えたわけでもない。
「……けど、これがあの子に似合うような気がして」
呟いたとき、無意識に藍葉がいるほうを見ていた。時也たちとは少し離れた場所で、商品を見比べている彼女の後ろ姿を、日次も時也の視線を追って見ていた。
「そう、ではプレゼントということだね」
「日次さんは、ご自分でつけようと?」
その質問の答えは肯定だった。「私は赤が好きなんだ」と言う、赤の着物を着こなす彼にそれが似合わないはずもない。
(やめよう)
プレゼントといったって、絶対にこれを贈らなければならない理由はないのだ。元よりプレゼントに義務はない。ただ、気が向いただけなのだから。それくらいなら、他に欲しい人がいるならその人が買うべきだ。それも東区の頂点に立つ人物が相手では、張り合おうという気も起きない。
時也がそう考えて辞退しようとすると、日次はその手を掴んで止めた。
「これはきみが買うと良い」
「えっ、でも」
いいんですか、と問う前に商品を手の中に握らされ、店主の前に突き出された。ここまでくれば後にも引けないので、そのブレスレッドを購入する。一応プレゼントなので包んでもらおうとすると、その前に、と日次が割り込んだ。
「一つまじないをあげる」
悪いことから身を守るためのおまじない、と言って日次が石を撫でると、一瞬石が淡い光を放ったように見えた。その煌めきが収まると、改めて桃色の紙袋に包んでもらって、時也はそれを受け取った。
「ありがとうございます……その、わざわざ魔術まで」
「私は派手な魔術は下手だけれど、これくらいなら簡単だからね」
(あれ、今魔王らしからぬ台詞を聞いたような)
魔族の中で優れているからこそ魔王は魔王だというのに、魔術が下手だとでもいうのか。まさかそれはありえないだろう。日次の冗談だろうか。時也に魔族流のジョークは少しばかり難しかった。
「自分がつけるのも良いけど、人が身に着けているのを見るのも悪くない」
店内に飾られた時計をちらりと確認して、もうこんな時間か、と日次が呟いた。
「もう行くよ。いい加減に戻らないと……それじゃあね、時也。縁があったら、またね」
軽く手を振って、彼は店を出ていった。まるで一陣の風だ。嵐のような勢いがあったわけではないが、そよ風と呼ぶには鮮やかすぎた。ただ後に残るのは優れた芸術作品を鑑賞したときの感動に似た不思議な余韻であった。
――美しかった。
本当に美しかった。テレビの画面越しに見るのとはわけが違う。あれが男なのか女なのか未だに区別はつかないけれども、吃驚するほど綺麗だった。幻でも見ていたかのような気分がするが、手の中にある紙袋が現実であることを訴えている。
その背が完全に見えなくなるような頃、藍葉の買い物も決着したらしく、何か袋を抱えて時也のもとへやってきた。
「すみませんっ、お待たせしちゃって」
「いや、いいよ。何か良いものあった?」
「はい。お香とか手拭いとか、手頃でしたから」
気に入ったものがあったのならそれで良い。店を練り歩いただけの価値はあった。
「時也さんも何か買ったんですか?」
「ああ、うん、まあ……」
(やばい、これすっげえ恥ずかしくないか)
何も考えずに買ったはいいが、いざ渡すとなるとかなり気恥ずかしい。いざその場面になると、一気に頭が冷えていった。冷静になって考えてみれば、前世でも異性に贈り物などしたことがないというのに何故こんな行動に走ろうとしているのか、時也は己に疑問しかわかなかった。しかも色んな意味で墓穴を掘っているとしか思えない。
だからといって、魔王の加護までもらったこれを渡さないままでは道理外れもいいところだ。何と言って渡すかなどこれっぽっちも考えていなかったがさっさと渡してしまわなければ。
「あの、時也さん?」
「あげる」
「へっ」
「いいから!」
必死になって脳をフル回転させたところで特に思いつく言葉もないので、半ば押し付けるような形になってしまう。
藍葉は戸惑っていたようだが、躊躇いがちに包みを開けて破顔した。
「これ……!」
「……よかったらつけてほしい。さっき魔王様がおまじないしてくれたやつだし……」
「魔王様って、ここは東区だから、えっと」
「沈黙魔王」
「そう、えっ、沈黙魔王様がいらしたんですか!?」
彼女が驚愕するのも無理はない。時也も驚いたくらいなのだ。引き留めておけばよかったのかもしれないが、生憎そんなことは頭の端にも浮かばなかったのでしょうがない。思考が麻痺するほど魅了されていたわけだが、そのことは言いづらいので黙っておく。
藍葉は左手にブレスレッドをつけて、時也に見せた。
「どうでしょう、似合ってますか?」
「うん、とても」
思ったとおりだ。やはり藍葉によく似合う。時也の眼鏡は間違っていなかったのだ。
「これ、大切にしますね」
「魔王様のおまじないもあるしね」
「そう……ですね。ありがたいことです。でも、折角時也さんから貰ったんだから、何だって大事にします」
「あ……そう、ありがとう……」
思わぬ切り替えしに、顔に熱が集まる。
(駄目だ、ストレートすぎてつらい)
好意を示されるのは苦手なのだ。家族愛や友愛ならばわかる。けれど恋愛は知らない。時也はその受け取り方を知らない。前世でも今生でも経験がないからだ。前世の記憶がある時点で精神的にはただれているといえなくもないが、それでいて恋愛経験の一つもないのだから、この場で役に立つ気配もない。
時也は照れ隠しに走った。
「あー……ええと、うん。次行こうか」
「はい!」
観光はまだ続く。
結局その後もうしばらく土産物屋を物色して、繁華街で買い食いしながら歩き、陽が暮れてから彼女をホテルまで送って別れた。藍葉の頼みを断り切れず、次の日も観光案内する約束を取り付けられることとなり、時也は今家路についている。
(俺のうっかり迂闊の浅はか阿呆!)
彼女の押しが強いというのはあるが、時也が押しに弱すぎるのも問題であった。どんどん深みにはまり、抜け出せる様子がない。
(また明日の観光コース……)
約束してしまったものは仕方がないので、また新たに行く場所を考えておかなければならない。
「うん、やっぱりね。アナタなら間違いなく送り羊してくると思った」
頭を捻って明日のことを考えていたとき、そんな声が聞こえて立ち止まる。振り返るとそこに立っていたのは、
「今、時間あるわよね?」
「恵理さん」
「少しお話ししましょうか」
ブロンドの髪に簪をさした、小股が切れ上がった小粋な魔女であった。