第二話
ヒノモト帝国には二人の魔王がいる。西の激流魔王と東の沈黙魔王だ。魔族の代表である彼らは千年以上に渡りヒノモトの帝政を支え、人間と魔族と妖怪たちの共存に貢献してきた。
冒険者組合を作るというのも、東の沈黙魔王の発案だったそうだ。それに賛同した西の激流魔王が当時のヒノモト帝に進言し、法律やシステムを整え形にしたのが始まり――時也はそのように聞いている。
現在、組合はヒノモト東区の本部事務所を中心に動いている。組合という組織を通じて、冒険者たちはより効率的に仕事を得て、互いに情報を共有するのだ。
森を抜けると東区の居住区域を囲う石壁が目に入った。門をくぐれば、そこはもうヒノモト東区であった。
「私、兄に言われて、届け物をするところなんです。これ、急ぎらしくて」
藍葉は言った。
「さっき思いっきり投げ出しちゃったけど、大丈夫かしら……」
「急ぎと言っても箱入りのお嬢さんに預けるモノがそう扱いが難しいはずはないと思うが」
「峠さん、ひどいですよ。否定できないことを言わないでください」
「……荷物届けるだけなら冒険者に頼むだけでよくない?」
「取ってこなきゃいけない荷物もあるから……折角だし観光もしてきたらどうか、って」
「ああ、そういう……?」
そんな会話をしながら、時也は思う。
(可愛い子には旅をさせよってやつかなあ……それにしちゃ厳しい気がするけど)
東区と西区を繋ぐ街道は現在塞がっているため、確かに急ぎの用事なら遣いを出す必要はあるかもしれない。しかしながら、それが藍葉でなければならない理由には欠ける。
護衛をつけているとはいえ、中には命を落とす者もいる危険地帯を歩かせるというのは、普通年頃の娘にさせることではない。それこそ金に余裕があるなら冒険者に運ばせるといった別な方法がある。社会勉強にしてはハードな内容だし、遊び気分で通れる場所でもないのだから。
「神隠しの森は歩きにくくなかった? その、害獣抜きにしても」
害獣がいる以前に、魔力の迷宮である森だ。歩きにくいことこの上ない場所のはずである。
「私は見えますから」
「見える?」
「魔力の澱みは見えます。これでも幻術師の端くれなので」
「幻術師……というと、人間の魔法使いってやつ?」
この世界において魔法とは魔力によって引き起こされる現象の総称である。星そのものを初めとして植物にも動物にも、あらゆる自然物には魔力炉というものが備わっているといわれ、その炉で生まれた魔力を現象として変換するのである。魔族が扱う魔術も、自然に生まれた森の迷宮も、彼女の言った幻術というのも魔法というくくりに含まれることになる。
そんな大層なものじゃないですよ、と彼女は語った。
曰く、霧雪家は代々幻術師を輩出する家系で、彼女も例に漏れず幻術の訓練をしてきたため、魔力の扱いについてはそれなりに慣れているということだった。神隠しの森の歪みも魔力によるものであるから、彼女には視覚的に理解できるものなのだという。
「って、言っても私は未熟者なので、まだあまり大掛かりなことはできないんですよね」
それでは、神隠しの森を歩くのは鍛錬の意味合いもあったのだろうか。
(俺も小さい頃修行とか言って森に放り込まれたしな……)
そういう事情なら、納得できなくもないか――そんな考えを巡らせながら歩くうちに、冒険者組合事務所の建物が見えた。
「それじゃ、俺は先に解体場行ってきます。これ置いてこないと」
「ああ、わかった。さ、藍葉嬢」
茶之介にエスコートされて煉瓦造りの事務所へ入っていく藍葉を見送り、時也はリヤカーを引いて裏手へ回った。
事務所の裏は解体場になっていて、時間が遅いためまばらだが他の冒険者の姿もあった。獲物が大きいため、どうしても人の目を引く。居た堪れなさを感じながらも軽く挨拶を交わして奥へ進み、リヤカーを止めて荷台のものを降ろした。
解体用のナイフは事務所内の貸しロッカーにしまってある。依頼の報告もしなければならない。裏口のドアから中へ入る。
冒険者組合事務所は、事務所といっても実質的には会館と呼ぶのが相応しい広さがあった。
表の玄関を入ってすぐのところに、日々舞い込む仕事を管理し冒険者に振り分ける依頼管理部の窓口があり、一階のホールには連絡事項や受注者募集中の依頼についてのポスターが張り付けられた掲示板と売店があって冒険者たちがたむろしている。他にもメニューは少ないが食事処と、安っぽい宿泊施設が併設されていて、二階は集会所になっている。
これだけの施設に存在感がないわけがない。周りは瓦屋根の木造の家屋ばかりだから、尚更派手に見えるが、だからといってこの事務所が異質だというわけでもなかった。少し毛色の違う建物というだけで、存在していて当たり前の風景だった。街の区画によってはむしろこういったタイプの建物が多い場所もある。
(例えるなら明治大正的な……いや明治も大正もよく知らないけど。和洋折衷?)
言ってしまえばごちゃごちゃしているだけのような気もするが、それが変だと思わないのは前世ですっかり身についた神仏習合的な宗教観によるものなのかもしれなかったし、この世界で――というか、この国で十九年の歳月を過ごしたゆえの慣れなのかもしれなかった。
だからこそ、
「時也くんも隅に置けないわあ」
などと言ってからからと笑うブロンドの美女が黒髪の多いヒノモト人に混ざっていても、その点については驚きはしない。
「こんな可愛い子捕まえちゃって、坊やもなかなかどうしてやるじゃないの。ねえお茶くん」
「やっぱりお赤飯炊くか?」
「あ、あの、恥ずかしいです……」
「恵理さん、茶之介先輩、幼気な少女をからかうのはやめてください」
時也が言うと、彼女――恵理は大袈裟に肩を竦めた。
要恵理。冒険者組合依頼管理部に在籍している魔女である。尖った耳は魔族の証だ。人間の感覚では二十代半ばほどに見えるが、故郷の外国から移住してきたのは六十年ほど昔のことらしいので、実年齢はそれ以上ということになる。
本来別の名を持っていたところを、ヒノモトに馴染むために改名したという彼女は、輝く金髪こそ異国のものであれ、服装も態度も言葉遣いもすっかりヒノモト人そのものだった。
そして彼女こそが、時也に対害獣用の毒を与えた張本人でもある。土鈴も彼女の作だ。時也に冒険者としてやっていけるだけの知識や技術を教えたのは養父嘉一郎だったが、冒険者として最終的に形に仕上げたのは彼女と言える。そういう意味では全く頭が上がらないが、うら若き乙女が餌食になる様子は放っておけなかった。
「偶然森で出会っただけです」
「それで格好よく颯爽と助けたわけね、成る程」
「俺の話聞いてますか。大体俺みたいなのにこんな若くて可愛い子釣り合いませんって」
「俺はちょうど良いと思うが。お前も充分若いし。まだ十九だろう?」
(精神的には前世で死んだ二十代のところで止まってるからJKくらいの女の子相手なんてロリコンっぽくて困るんだとは言えねえ……!)
前世の話は誰にもしていない秘密だ。だからこそ何とも反論しがたいのだが、時也が勝手に感じている犯罪の香りなど他の誰にもわかるはずがなく、語彙力の低い彼に上手い言葉は思いつくわけがなかった。
(大体結婚とか言ったって、どう考えても吊り橋効果だもんなあ……幻想だ幻想)
恐怖からきた胸の高鳴りを恋のそれと勘違いしているだけだろう。慣れないのにあんなものに襲われては、動揺して冷静ではない判断もしてしまうものだ――と、そこまで考えても、それを説明して恵理と茶之介を納得させられるかといえば、それは不可能なことのように思えた。恵理は間違いなく色恋沙汰の話題を楽しんでいるし、茶之介が赤飯を炊こうとするのは冗談じゃなく本気だ。時也にこの状況をどうしろというのか。
しばらく三人の様子を見守っていた藍葉が、ぽつりと呟いた。
「時也さん、私可愛いですか?」
「ん?」
「その……私って、可愛いですか?」
二度目の台詞は時也の袖を引いて、彼の目を見ての質問だった。思いがけず息を飲む。
「かっ……わ、いいよ。とても」
どもってしまったがその感想は偽りではない。時也は最初に彼女の容姿を認識したときからそう感じていた。可愛いという言葉は嘘ではないのだ。
だから俺みたいな甲斐性なしじゃなくてもっと他にいい相手を見つけられるはずだ、と言葉を続けようとしたのだが、それは藍葉に阻まれた。
「私は時也さんがかっこいいと思っているので、両思いですね!」
「えっとそれは」
「私が運命的な電波を感じたのは間違いじゃなかったんだわ」
「オウフ」
(運命的な電波って何だ……!)
出会い頭に求婚してきたこともそうだが、彼女の言動は時也の想像の斜め上をいくものらしい。しかも今は外野もいる。
「お赤飯だな」
「お赤飯よねえ」
「先輩はそのネタ引っ張るのやめろくださいっていうか恵理さんも乗っかるな!」
これは本格的に収拾がつかなくなってきた、と感じたのだが、
「ふふふ。では、私はそろそろ行きますね」
「そう、それじゃお茶くん、夜も遅いんだし送ってあげて。時也くんにやらせればいいのかもしれないけど、まだ聞きたい話もあるし」
「ああ、わかっている」
「荷物のこと、よろしくお願いします」
機嫌のよい藍葉はどうやらこのままホテルへ向かうらしく、事態は収束する気配を見せた。それを恵理が呼び止める。
「明日、この子連れて行くといいわ」
時也の頭に彼女の手が乗る。
「……ん?」
「えっ、いいんですか。今冒険者組合の方々って凄く忙しいって聞きましたけど」
「忙しいのは転送の魔術を使える魔術師と、街道修復工事の護衛にあたってる冒険者だけよ。折角来たんだし、観光とかしていくんでしょ。どうせ時也くん仕事入れてないし暇だし友達もいないんだから、連れ回せばいいのよ。たまには息抜きも必要だしね」
(あれ、俺を抜きに話が進んでいる)
「朝十時に迎えに行かせるから、しっかり旅行を楽しみなさいな」
「はい、ありがとうございます! 明日が楽しみです! 時也さん、よろしくお願いします」
「寝れないなんてことのないようにな」
「峠さんは私のお母さんですか、もう」
時也が意見を挟む隙はなかった。引き攣った笑顔しか出てこないが、二人が出ていくのを見送って、そのまま首を恵理のほうに向けた。
「……俺、報告のために来たんですけど」
「うん、知ってる」
「護衛とかそういうの苦手なんですけど」
「街を案内するくらいなら問題ないでしょ。たまには無償の奉仕とか、そういう善行も必要よ」
「わざとですよね」
「当たり前じゃない」
きっぱりと言い切る恵理に対し、時也は溜め息をついた。
「時也くんも満更でもなさそうな感じだし。あ、これあの子の泊まってるホテルの場所ね」と地図を出す彼女に反論を試みても、恐らく意味はない。勝手にスケジュールを決められてしまったことについては確かに暇もあることだし仕方がない。時也は思考を切り替え報告を始める。
「でっかい害獣がいたんですよ」
「お茶くんから聞いたわ。苦戦してたらしいけど、時也くんが助けてあげたんでしょ」
結果としてはそうなる。
「それにしても珍しいわね。神隠しの森にそんなに強力な害獣がいるって話は聞いたことがなかったけど……?」
「俺だって初めて見ましたよ、あんなでかぶつ。恵理さんの毒があったんで、何とかなりましたが」
「役立ったのなら良かったわ。うん……街道の被害もそうだけど、害獣の生態系に変化があるのかしら。前はそんなに危ないものって滅多に出なかったんだけどね」
よく神隠しの森に入る時也も初めて見るものだ。単に突然変異とも取れるが、恵理の予想が正しい可能性も充分にある。
「害獣情報のデータベースも見直しが必要かもしれないわねえ。詳しくまとめて報告書にして出してくれる?」
「わかりました。後で提出しますね。あ、これから解体しますけど見ます?」
見て気持ちのいい作業ではないが、彼女は気にする質ではないし、仕事として実物を見ておきたいという気持ちもあるはずだ。誘ってみると「カメラを用意してくるわ」と言った。