夕陽のきみは美しい4
「さあてみんな、輝血のお願い聞いて?」
彩華邸で暮らす若い役者たちを集めて、輝血はぱんっと手を合わせてにっこりと微笑んだ。
「座長、それって強制っすよね」
「そうよ」
さも当然というような態度だが、実際に彼らは衣食住の面で輝血に恩がある。若者たちは仕方がないというように苦笑して、輝血の指示に従って散っていった。
彩華邸では今、大掃除が行われている。
「でもそんなに昔のことなんか調べてどうするんですか〜」
「口答えは許さないわよ」
「お芝居の稽古より厳しい!」
文句を言われても、輝血は無視した。父に秘密があることには感づいていたが、隠し子がいたことは知らなかったのだ。それはかつての父の友が既に病気などで亡くなっていたり、芝居の世界から遠のいていて、聞きだすことができなかったからだった。
劇団にいる年長のものでさえ、父の昔のことなどは知らないものばかりだった。結局父の死には謎ばかりだが、藍葉の話は気にかかった。それを確かめるのは紫道の、血が繋がらないとはいえ、娘である輝血の役割なのだ。それに、その辺りの詳しい話をこれ以上藍葉に掘り下げられるのも嫌だった。若い少女に聞かせられないような、何かドロドロとしたものがあったかもしれないのだ。
手がかりが残っているとすれば、彩華邸か帝国歌劇場のどちらかだ。紫道が亡くなった際に彼の遺したものはいくつか処分したが、気づかないまま何か残っているかもしれない。
「ああーッ」
若い男の悲鳴と共にガシャンと派手な音がした。
「ちょっと大丈夫? 怪我はしていない?」
「あ、はい、あのスミマセン、オルゴールが……」
見たところ青年は無事だが、彼のいうとおり箱型の古いオルゴールは壊れてしまっていた。何かの部品が割れている。元々古いものだが、留め金も歪んでいる。修理は難しそうだ。
「お父上の形見なのに、ごめんなさい……」
「……いいのよ、きみが怪我をしてないならね。こんなのは……モノだからね。いつか壊れるわよ。それが今日だっただけ」
「輝血さん……」
「これとももうサヨナラね。片付けないと――あら……」
割れたオルゴールの箱に、小さな手帳らしきものが挟まっている。壊れた箱に力を入れると完全にパーツがばらばらになったが、おかげで手帳は取りだすことができた。どうやら箱の底にものを隠せるような仕組みになっていたようだが、壊れてしまえばなんてことはない。
手帳はかなり使いこまれた様子で、少し擦り切れている。頁を捲ってみると、色々書き込まれているのがわかった。
「なんですかそれ」
「……きみ良い仕事したわね。今度新しい着物買ってあげる」
「は、はあ……?」
探し物は案外身近にあるものだ――これは紫道の遺品だ。
「そりゃ見つからないはずよ……」
まだ何かあるかもしれないので掃除は続けさせるが、輝血はこの手帳をじっくり読むことにした。七年も経ってようやく見つかった、新しい手掛かりだった。
それから見つかったものは他になかったが、その手帳だけで充分だった。輝血は藍葉を呼び出した。
「前はよく会ってたから久しぶりって感じがしますね。言うほど経ってるわけでもないとは思うんですけど……」
「こっちの都合で振り回して悪かったわ。今日も急に呼び出してしまって」
「いえ、そんな……そのう、しっかり調べようと思ったんですけど、こっちはあんまりうまくいかなくて……ちょっとやりきれないなあって思ってただけで」
「ふふ――あのね、魔法の勉強だけど、もういいわ」
輝血は全て、もう、理解した。魔法が自分には向いていないものだということも、そんなものがなくとも真実には辿り着けるということも。だが、そのきっかけを作ったのは、藍葉だった。
「……そうですか。わかりました。それじゃあ私にできることはもうなさそうですね」
「そうでもないわ。私きみの手を借りたいのよ」
白い手が白い手を取る。引き結ばれた唇、互いの瞳の奥に互いの姿が映っている。
「どんなことでもするわ。だからもう少しだけ付き合って」
計画があるのよ、と輝血は言った。
◆◆◆
ある日の夕暮れ時だった。夕陽に染められた橋は赤かった。
橋の欄干の傍に中年の男が立っている。身なりは綺麗に整えられていて、背筋がぴんと伸びているからか背が高く見える。誰かを待っているように、辺りを見回したり足元の石を蹴ってみたり落ち着かない様子だ。懐から煙草を取りだして火をつけて暫く、そこへ現れる人影があった。
「待たせましたわね。来てくれると思っていたわ」
華やかな顔立ちの女は、正しく輝血である。奇妙な取り合わせであったが、周囲に二人の他には誰もいないようだった。
「帝国一の歌姫と言われたあなたが、いったいこの私に何の用かな」
「わからないとは言わせないわよ。私あなたのことちゃんと調べてるの。刑務所の看守をしてることとか、歌劇のファンだったとか――そういうことをね」
「輝血殿に知ってもらっているとは光栄だな」
「詩織を殺したことも知ってるわ」
男がびくりと肩を揺らした。それを見て輝血は満足そうに頷き、大仰に言った。
「ちゃあんと覚えているようね。よかったよかった、これでお話ができるってものよね」
「……随分よく調べたようですね」
男の声は僅かに震えていた。緊張を孕んだような声色だ。それに気づかないような顔をして、輝血は話し続ける。
「そうね。昔のことを覚えてる役者仲間が全然いなくて――知り合いの知り合いの知り合いまで話を聞きにいかなきゃいけなかったわ。結局話を覚えてたのはずーっと前からのファンの妖怪や魔族くらいだった……」
「それはそれは。元より彼女のことは誰も表には出せなかったでしょうからね」
「隠し子だなんて人聞きが悪いからね。だから父は詩織のことを誰にも相談できなかった。でも愛する娘のことを忘れはしなかったんだわ――父は本当の犯人、あなたのことを突き止めてた。そして七年前、父はあなたを此処に呼び出したわね」
一歩、二歩と歩いて移動し、欄干を、その下を指さす。
するとくつくつと笑って男が煙を吐いた。
「想像はついているんだろうが、まあそれが正しいとも。勢い任せに殴りかかってきたのが悪い。少し体を捻って後ろからとんと押すだけで落ちていったがね……それで、その話を持ち出してくるということは、復讐のつもりかな……」
「物騒なことを言うのね。取引よ。昔のことだもの、もういいの。それよりバラされたくないでしょ、あなたの立場を悪くすることになるものね」
「――ハッ。あなたに何の得があるか知らないがね、私はそれに応じる義理はないんだよ。口止めなら殺すのが一番だ。紫道と同じように死ね!」
そう言って男が腕を伸ばした。輝血が怯えるような動きをしたが、男の腕は彼女の姿をすり抜けて、勢いよく倒れこんだ。
「なっ何が……!」
動揺する男の首にひたりと簪の冷たさが触れた。倒れ伏す男の周囲に足音がいくつも聞こえる。警察官だ。
「迂闊に動くと怪我じゃすまなくなるかも」
輝血の声はまるで冗談でも言うような気軽さだったが、首筋に浮き出た血管に突きつけられた鋭い簪には激しい殺気が満ちていた。
「殺人の罪で逮捕する」と手錠をかけられて、男は呻いた。
「ついでに殺人未遂の現行犯ってやつだわ。それにしても藍葉ちゃんの幻術って優秀ね。警官を隠して、私の偽物まで作ってくれたんだもの」
輝血が振り返ると、そこには彼女より少し年下の少女――藍葉が立っていた。その手には罅の入ったガラス玉が握られていた。
「輝血さんが魔術品のガラス玉を買ってくださったので。魔力を使い果たしてすっかり駄目になってしまったけど」
「きみの魔法って凄いわよ。分身を作って敵を欺くなんてクノイチみたいよね」
「前よりは上達したので。でもたぶんくのいちはこんなことしませんよ」
藍葉の幻術によって、警官たちや本物の輝血を風景の中に隠していた。そして情報を持っていると態度に示し話を聞きだそうとしたら、勝手に色々と喋ってくれたというわけだった。元より取引などするつもりはない。
「なるほど、すっかり騙されたわけだ……」
「あんな三文芝居でも引き込める人はいるってこと。あなたみたいな人をね。これが劇場だったらもっと良かった」
それが彼女の誇りでもある。父から与えられ、仲間に支えられてきたものだった。
男は連行され、これから取り調べがあるようだ。刑務所の看守をしていたものが捕まるとはお笑い種だが、その背中は哀愁を感じさせた。
「犯人逮捕のご協力感謝します、お二人とも」と警察官に声をかけられて、ようやく全てが終わったのだと、輝血は息をついた。
その隣で、藍葉も安心したような顔をしていた。
「これで悪い人は捕まったんですね。でも、どうして恋人を殺したりなんかしたんだろう」
「……さあね。それより助かったわ、藍葉ちゃん。手伝ってくれて」
「輝血さんが本当に刺さないかってちょっと心配していました」
「刺したかったのは本当だけど。うん、心配かけたわ。でも復讐は司法が代行してくれるだろうから」
今後何かあれば輝血は重要な情報を持っているから事情聴取があるかもしれないが、真実が表に出れば、法によって正しく裁かれるはずだ。そうでなければ報われない。
「藍葉ちゃん、魔法をありがとう」
色々なことを教わり、幻術の力を借りた。そして何より、長年腹の中に渦巻いていた疑問の解決に尽力してもらった。輝血は憑き物が落ちたような、そんな気分がしていた。
本当なら紫道と詩織の死の詳しい事情を伝えるべきかもしれなかったが、輝血はそれを藍葉には黙っている。
紫道の手帳のメモからわかったことだが、紫道はずっと詩織を殺したものを追っていたらしかった。そして詩織があの男に首を殴られた後胸を刺されたということを突き止めたようだった。復讐を決行しようとして失敗して死んだのだろうということは推理になるが、おそらくもう隠し通せもしないから自供があるだろう。詩織とあの男との関係については、単純な恋愛関係ばかりではなく金の絡みもあったらしく少々生臭い話になるから話しがたい。輝血は詩織の死後引き取られたが、恐らく紫道は詩織をずっと忘れられなかったのだ。きっとその姿を輝血に重ねていたに違いなかった。たったひとつの手帳が見つからなかっただけでこれだけの事実が隠れていたというのが何ともいえず時間を無駄にしてきた感覚がした。
やはりこういった事情は内緒にしておこう――輝血は心の中で藍葉に謝って、懐から二枚のチケットを取りだした。
「これは……?」
「ほんと、なんてお礼したらいいかわからないけど、とりあえず渡しておくわ。今度の公演、是非見に来て。彼氏とでも一緒にね」
「かっ」
顔が真っ赤だ。初心だなあと思いながら様子を見ていると、藍葉は少し身じろぎして、はにかみながら言った。
「楽しみにしてますね」
夕陽がゆっくりと落ちていく。世界が朱色に染まり、それがやがて暗闇の濃紺へ変わっていこうとしている。それを輝血が美しいと思うのは、実に七年ぶりのことだった。
◆◆◆
何日ぶりになるだろうか、夏目邸に時也が戻ってきたのを迎えたのは女中の音子と、そして藍葉だった。
「なんか藍葉が迎えてくれるって変な気分がするな」
「私も不思議な気分です」
本来なら既に一度西区へ戻っている予定だったのだが、最近東区の魔術師が開発した新しい魔術品だったり、魔術理論の本だったりというものを手に入れろと家族から連絡があって、結局ずるずると夏目邸に滞在している。滞在するというよりは住みついているというほうが近いかもしれないくらいの気分であった。
時也は冒険者業で忙しかったが、また近々仕事の予定が入っているという。しかし今度はそれほど長期間家を空けることはないらしい。
「お忙しいんですね」
「まあ……そんなもんだよ。近々休み貰うし。藍葉は最近何かあった?」
問われて思い浮かぶ大事件といえば輝血との交流と謎解きごっこだが、あまり言いふらすような内容でもない気がした。どう言っていいのかもよくわからない思い出である。テレビのニュースでも犯人が刑務所の看守だったということで話題になったが、それよりも他に言うことがあることに気が付いて、藍葉は懐から貰ったチケットを取りだした。
「時也さん、よかったら一緒に歌劇を見に行きませんか?」
そろそろ藍葉も東区に慣れてきている頃だった。
外伝第三弾でした。
藍葉は本編よりちょっと成長していて、兄より未熟なことには変わりませんが、なんとか色々道具を使えば幻術が使えるようになっています。
事件の真相ですが、年若い少女に聞かせるにはえぐいところがないわけでもないので、輝血は隠しました。彼女自身もわかっていない部分もありますが、痴情の縺れから詩織が殺されたこと、それをのちに突き止めた紫道も事故に見せかけて殺されたというところまでは感づいていますし、それが大体事実です。




