夕陽のきみは美しい3
藍葉は輝血によく指導したが、魔力を操るのはとても難しいことだった。輝血が魔法学の本を読んでもわからなかったようなことは、藍葉にわかる部分もあれば、そうでない部分も多いのだった。
そもそも魔法を技術として扱おうとすれば魔術が一番わかりやすいものだが、その魔術は魔族のものなのだ。魔族が生まれついて理解していることを人間は研究しなければ到達できない。
二人で会うことができないときも輝血は自分の中の魔力を意識したのだが、未だよくわからない。
「そのうち魔力を認識できるようになれば、魔力を使って何かするということができるようになりますよ。魔法には必要なことですから、地道に頑張ってください」
「藍葉ちゃんには魔力がわかるの?」
「ええ。魔力の流れを見ることもできます。私が幻術を使うには他のものの魔力を借りる必要がありますし、輝血さんも多分それが必要になると思います」
「そっか……先は長そう。ねえ、藍葉ちゃんは付き合ってくれるわよね」
「ええ。そういう約束ですから」
「ふふ」
輝血がゆるりと目を細めて笑みを見せる。藍葉は輝血のそんな笑みに見惚れるのを、輝血は知っている。
「きみは優しいわね」
「友達ですから」
「そうね。友達なのよね」
年齢も立場も違うが、縁の巡り合わせが二人を友人にした。それはきっととても貴重な縁なのだろうと輝血は思った。
魔法の指南の休憩中に、藍葉はそういえば、と口を開いた。
「輝血さん、先日お借りしたファイルにチラシが入ってました。それで思ったんですけど……紫道さん以外の役者さんはだいぶ若い方が多かったんですね」
藍葉に言われて輝血は彼女の言うチラシを思い返した。七年前上演する予定だった舞台で、紫道の死によって混乱はあったが代役を立てて舞台は公演された。
「ああ……それね。彩華歌劇団は父が前にいた劇団から独立して作ったのだけど、その時集まってきたのが若い役者ばかりでね。今では私より年上の人も多いけど……七年前ならまだみんな若かったわね。私も今より子供だったわ。きみとそんなに変わらない歳だった。今では怪我なんかで引退してしまった人もいるわ……」
「それじゃあ劇団を作る前の紫道さんを知ってる人はいないんですか?」
「そうね。でも前の劇団は父が独立して暫くしてから潰れちゃったらしいのよ。事件が起こるよりも前の話よ」
「連絡はつかないんですか?」
「そうなの。すっかり離散してしまったみたいで――もしかしたらその人たちが何か知ってないかと思ったんだけどね」
その線でどうにか調べられないかと、様々な劇団やその後援者にも接触を図ったが、終ぞその行方は知れなかった。せいぜい噂で夜逃げして散り散りになってしまったというのを聞いたくらいだった。輝血も昔駆け回ったのだ――それは結局何の意味もなさなかったが。
果たして藍葉が改めてこれを調べて何か見つかるものはあるのだろうか。輝血にはわからないが、何故か友人はこれを調べることに興味があるらしい。藍葉が言った。
「輝血さんは真相がわかったら、その後はどうするんですか?」
「どう、とは」
「何もないかもしれませんけど、何か見つかったら――紫道さんを殺した誰か、だとか。そういうものが見つかったら、どうするんですか」
「……決まっているわ。受けた痛みは返すものよ」
輝血は美しい笑顔のまま、その瞳に少しだけ鋭さを覗かせた。
藍葉の調査はあまり順調ではない。
紫道が行ったというビル街に向かってはみたものの、特にそれ以上の心当たりはないのだった。会社が立ち並んでいるからどれかに用事があったのかもしれないが、圧倒的に情報量が足りなかった。
要するに、早々に行き詰まった。
「ああああああ……」
ろくなヒントが見つからない。やはり素人には探偵の真似事は無理だったのだろうか。
こちらが気にかかって幻術のほうにもほとんど手をつけられない有様だった。気分がすっきりしない。夏目邸でもそのことばかり考えてしまう。流石に気落ちする藍葉の様子が放っておけなくなったのか、音子は朝食を共にする際に「あまり無理しないでくださいましね」と藍葉に声をかけた。
「音子さん……」
「お悩みがあるのでしょう?」
「……はい。調べものがあまり上手くいってなくて――あの、音子さんは歌劇に興味はありますか?」
「歌劇ですか。だいぶ昔の話になりますけど、お友達と見に行ったことがありますわ。もう三十年以上前のことになるでしょうか……とても歌が上手い女優がいたと思うのですが」
音子は猫だが妖怪である。豊かな魔力を持ち長寿で、四百年近く生きている。藍葉よりずっと長く生きている彼女は、過去を懐かしむように目を閉じた。
「時が経つのは速いですね。長年夏目家にお仕えしてきましたが、出会いと別れの繰り返しでした」
「音子さんは……亡くなった人のことを、思い出すことはありますか?」
「あまりないですわね。生きている人のほうが大事ですから――でも、本当に大切な人のことは、ずっと覚えているものですわ」
音子が穏やかに微笑んだ。
「さて、歌劇のことでしたが、残念ながらわたくしは詳しくありません。でも、確か冒険者組合の恵理さんがお好きだったと思います。ご興味がおありなら、聞いてみてはいかがでしょうか」
「恵理さんが?」
恵理といえば、冒険者組合の事務員をしている女性だ。以前藍葉も世話になったことがある。
どうせ手がかりも何もないし、息抜きにもなるかもしれない。ここは音子のアドバイスに従って恵理に会いに行くことにしようか。
「それじゃあ行ってきます、音子さん!」
「はい、行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
音子が優しい声で見送ってくれる。その声を聞くと、安心して此処へ帰ってこられるような気がする。
冒険者組合事務所は藍葉は何度も訪れている。というのも、冒険者組合では魔法の素材なども取り扱っているから、魔術市場で簡単に手に入らないものを融通してもらうのだった。西区にも冒険者組合の施設はあるが、東区を訪ねるほうが手に入りやすいものもあるのだ。
藍葉が少し辺りを見回してみると、目的の恵理の姿が見えた。外国の出身の魔女で、魔族らしい尖った耳と金髪がよく目立つ。誰か他の客の相手をしているようだ。暫くしてその客が帰っていくのを見計らって、近づいて声をかける。
「こんにちは」
「あら、藍葉ちゃんじゃない。今日はどうしたの? 何か依頼かしら?」
「いえ、少し聞きたいことがあって――今お時間よろしいですか?」
「ええ、大丈夫よ。何かしら」
「それでは――」
今までの経緯を簡単に説明する。訳あって彩華歌劇団の前の座長彩華紫道のことを調べていると話すと、恵理は「何か探偵みたいなことしてるのねえ」と言った。全くそのとおりである。
「彩華紫道ねえ。懐かしいわ。よく見に行ったわよ。でも私、その娘のほうが好きだったのよ」
「娘って、輝血さん……のことですか?」
「ああ、違う違う。実はね、ほとんど知ってる人はいないと思うんだけど、紫道って隠し子がいたのよ。ここだけの話」
「かっ……隠し子?」
「そ。その子も役者やってたの。後ろ暗いことがあったのか、体裁が悪いって言って劇団の連中にも親子関係だってことは隠していたみたいよ。だけど三十年くらい前だったかしらね、彼女殺されちゃったのよ」
なんてことはない世間話。恵理はさらりと言ったが、藍葉にとっては簡単に流していい話ではなかった。紫道に隠し子なんて話は輝血からは聞いていない。
「詩織ちゃんって名前だったんだけどねー……歌が上手くて可愛かったから応援してたんだけど。まだ若かったのに」
「そうなんですか……恵理さんなんでそんなこと知ってるんです?」
「友達が詩織ちゃんの友達だったの。それでこっそり教えてもらったってわけよ。本当に一握りの人しか知らなかったんじゃないかしらね。あんまりゴシップ記事に騒がれたらアレだし」
恵理も魔族であり、若く見えるが藍葉よりはずっと長く生きている。その分人付き合いも色々あるようだ。思わぬところから思わぬ話を聞いた。
「詩織さんは殺されたんですよね。犯人はちゃんと捕まったんです?」
「一応ネ。その頃変な宗教が流行ってて……その信者が連続殺人事件を起こしてたのよ。たぶんそいつが犯人なんじゃないかって」
「ソレはっきりしてないんですか?」
「殺しの手口が一緒だったみたいだから、そいつがクロだと思うけどね。昔のことだからあんまり詳しくは覚えてないけど、なんかナイフで刺したんだったかな。でも、本当に残念なことになったものだわ……結婚の約束をした相手がいたって話だったのに。可哀想よね」
「……結婚相手。それじゃ随分仲良しさんだったんですね。悲しいことです」
「喧嘩も多かったみたいだけどネ……藍葉ちゃんそんなこと調べてどうするのよ。あんまり変なことに首突っ込んでるんじゃないでしょうね?」
藍葉はぎくりとして「あは」とぎこちなく笑って誤魔化した。調べた後のことなんてまだ考えていないのだ。輝血のためになると思って調査をしているが、それが正しいかどうかの答えなどない。迷いながらも何もしないままではいられないからこうして調査をしているのだ。
「さ、最後に一つだけ! その結婚相手の方は今何をしていらっしゃるかわかるでしょうか」
「さあ、そこまではネ。でも刑務所で働いてるとか言ってたような……まともな人だったはずだわ。仕事をやめてなければ、今も同じでしょうよ」
「そうですか。貴重なお話をありがとうございました」
礼を言って冒険者組合を後にする。向こうは仕事中だしあまり長居もできない。それに意外な話を聞いた。
紫道の隠し子詩織。この辺りの話は、紫道と関係の深い輝血に聞いてみるべきことだろうか。込み入った話になるので少々聞きづらいことではあるが――どうにも、詩織の死にも隠された謎があるような気がする。それは確信ではないが、直感的な何かがあった。
「……あれ、これって調べること増えたの? まさか」
数日後、藍葉と輝血が会う約束をしている日がやってきた。いつもどおりに彩華邸を訪ねるが、どうやって話を切りだしたらいいのか悩んで藍葉が挙動不審になっているのに輝血が気が付かないはずもなかった。
「何か私に聞きたいことがあるんじゃないかしら」
「うう……そうです。あの、お気を悪くされたら悪いなって思うんですけど」
「構わないわ、言ってみなさい。私ときみの仲だし、今更何か言われて怒ることはないわよ」
「それじゃあ言いますけど……詩織さんのことです」
「詩織……?」
「三十年ほど前に亡くなった、紫道さんの娘さんのことです。紫道さんのことを調べていたら知りました」
連続殺人事件に巻き込まれて死んだとされている詩織だが、それもまた謎めいた死のような感覚が藍葉にはある。紫道も詩織も、親子そろって天寿を全うできなかったというのは、悲しくも不思議な運命を辿ったものだ。
藍葉が調べたことを話すと、輝血は少し眉を寄せた。
「あの、輝血さん……」
「父が昔やんちゃしてたとは聞いたことがあったけど――こうしてしっかり話を聞かせてもらったのは初めてかもしれないわね。みんなそういう話はしないんだもん……そういうこと……父が黙っていたことは、娘なら暴いても許されるかしら」
口許に手を当てて、わざとらしい口調で言った。企み事をする顔だが、芝居がかった仕草が堂に入って優雅で、藍葉は輝血に見惚れてしまった。




