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折れろ! 俺の死亡フラグ  作者: 味醂味林檎
外伝

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運命の子供2

「わたくしはわたくしの価値を知っている」というのが灯子の口癖だった。汲出が覚えている限りでは、彼女がそれを最初に言ったのは五年前のある日のことで、汲出が皇族への挨拶に来た日だった。彼女は護衛の一人も連れず外へ出ようとしていて、汲出はそれを止めようとして、失敗したのだ。なんとか止めようと「何かあったら」とか「お一人では駄目だ」とか説得を並べたが、それは全く無意味に終わった。

「ではお前が来ればよいのです」

 灯子は輝かしいほどの満面の笑みで言ったのだ。

「わたくしはわたくしの価値を知っている。お前はわたくしを放っておけないはず!」

 そして予想外に素早く駆けていったお転婆な少女を、汲出が無視できるはずもなかった。見失う前にすぐに追いつきはしたが、他に人を呼ぶ余裕はなかった。そのまま護衛としてついていくことにしたのだ。彼女は言っても聞かないという態度だったし、無理矢理連れ戻そうとしてまた逃げられたら困る。そして万が一のことがあってはいけない。完全に彼女のペースに乗せられていた。

 屋敷の外に出ても幼い少女の足取りではさして広い行動範囲であるというわけもなかった。しかし子供には子供の世界というものがあって、普段誰も意識しないような建物と建物の隙間を通り抜けて、特区の一番端の海岸まで辿り着くのだった。思いがけない道ばかりで、汲出は途中自分の魔力の象徴とも言える雄大な尾をひっかけてしまった。よくこんな道を知っているものだといっそ感心してしまうくらいだったが、彼女はそれを曖昧な笑顔で誤魔化した。恐らくは何度も抜け出してきているに違いなかった。

 海岸から見えるのは西区の平民たちが暮らす居住区に繋がる巨大な橋、その先の建物が並ぶ大地だった。灯子はそれを食い入るように見つめながら言った。

「ヒノモトはすてきね。ここからでもわかります。街が生きている」

「民が繋いできたものだ」

「お前も頑張っているんでしょ」

 浜辺の潮風が二人の間を通り抜けていく。少女の長い黒髪がふわりと靡いた。

「……そろそろ帰りましょう、灯子様」

「この景色ももう見納めかもしれません。周りがうるさくて出歩けないんだもの。今のうちに目に焼き付けておきたいの」

「此処から見るよりも、実際にあの街を歩けばよろしい」

 汲出が言うと、灯子は驚いた。本当に考えもしなかったという顔で、まじまじと汲出のことを見つめる。

「わたくしは自由に出歩けないことになっています」

「俺がお連れすると言っている。それでは不満ですかな」

「――できない約束はしてはいけないのよ」

 そうは言いながらも元来た道を戻ろうとする足取りは軽やかで、一度汲出を振り返って、とても嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。

「楽しみにしています」

 それからだ。汲出と灯子の個人的な交流が増えた。暫くして西区での催事にかこつけて彼女を案内したのは、汲出が約束を果たそうと考えたからで、当然ながら護衛や供を引き連れてというのはひどく目立つことにはなったが灯子はそれも面白かったようだった。ほとんど特区から出ることのない彼女にとっては西区の街並みはどこを見渡しても新鮮で興味深かったに違いない。

「お前はわたくしの我儘をけっこう聞いてくれるから好きよ」

「お楽しみいただけたようで」

「おかげさまで」




 灯子は人の活気を好んだ。ヒノモトの色々な場所を何かと理由をつけて訪問するたびに、そこから様々なものを学び取ろうとしているようだった。好奇心が旺盛で、狭い場所に閉じこもっているよりは出かけるほうが好きらしかった。そうやって行く先々で人々を観察し、その中で決して綺麗なものばかり見たわけでもないはずだったが、彼女はヒノモトを愛していると言った。自分も皇族としてヒノモトのために尽くしたいと言って、有能な政治家たちに教えを請うのが彼女の日常だった。

 そんな彼女だが、皇族の姫君とはいえ直接の跡取りではないはずだった彼女が女帝となったとき、彼女は僅かながらに動揺した顔を見せた。

「わたくしはわたくしの価値を知っている」と少しだけ震えたような声で、彼女は言った。

「わたくしは皇子が大人になるまでの代繋ぎなのです。わたくしの子が後を継げるというわけでもありません。賢いものはわたくしを振り返ることもなく、皇子のもとへ行きました」

 あまりにも急なことだったが、それゆえに人の動きも激しかった。生まれたばかりの皇子に利を見出した、彼女とあまり親しくないものたちは灯子への態度がぞんざいになっていった。女帝を蔑ろにするなどもってのほかだ。が、戴冠したばかりの灯子には他にやることが多すぎて、利のために離れていくものを引き留める術はなかった。

「けれどわたくしのことを支えてくれるものがまだ沢山いるのです。ありがたいことだけれど、とても不思議だわ。皆どうしてわたくしによくしてくれるのでしょう。わたくしが返せるものは決して多くはないのに」

 そういった心境を汲出に打ち明けたのは、それまでに積み重ねてきた信頼からだろう。汲出は彼女の言葉を訂正した。

「貴女はヒノモトのために欠かせない方だ」

「わたくしが女帝だから?」

 それも確かにある。だがそれだけではない。お転婆なところはあったが、学びに関して貪欲で敏い彼女のことを彼女と本当に近しくなったものは皆知っている。美しく気高い姫君が国のために尽力しようと行動してきたことを知っているのだ。

 貴重な才能の塊のような少女なのだ。物心ついてしばらくの頃から国を愛すことを知り、自ら学ぶことを望み、そして人を見ることを知っていた。周りの音を聞こうとし、何ができるか思考する。力になってくれる相手を見つけ出して口説き落とし味方につけるのは彼女が感じていた寂しさが生み出した技能だっただろうが、それによって彼女のもとに力のある人物が集まったのも事実である。汲出はそんな彼女にこそリーダーの資質を垣間見たのだ。

 返せるものは少ないというが、そんなことはない。国をよりよく導いていくために、彼女は必ず力を発揮するはずだ――そんな予感が確かにあった。この少女なら代役などでなくとも、本当に国を導いていける――そんな予感が。

「皆貴女を好いている。俺が筆頭だ」

 それに皇子の世話役は必要だが、利を見てそちらへいったものは決してよいものではない。自分の立場を確保するぶんには賢いかもしれないが、それは大局を見ているとは言い難い。自分の利を見て動いても、国の利までは見えないものだ。

 汲出が言葉を並べれば、灯子はおかしそうに笑った。

「お前が言うと、本当のことのような気がしてくるわ」

 これからもわたくしを助けてね――と言ってしなだれかかる灯子に「もちろん」と答えて、汲出は彼女の背を撫でた。

 汲出が一番、彼女の近くにいた。ヒノモトのために、そしていつか成長した従弟に帝位を譲り渡すために帝位を守る彼女のために生きていた。彼女がもしも先代の皇帝の子供で、男子だったなら――そう考えずにはいられない。彼女を女帝と仰いでいられるのがほんの僅かな期間でしかないことを、もったいなく思う。尤も、彼女が正統な後継者であったとしても、あと百年もしないうちに汲出を置いていくことには変わりはないのだけれど。そしていずれは皇帝となった他の誰かをまた、見守っていくのだ。

 そうして一年が経過した。




「そうだわ、わたくしからもお前に話があったの」

「何でしょう」

天景てんけい山脈に鉄道を通す計画について」

 彼女が幼い頃からずっと汲出は傍にいた。成長するにつれてお転婆な少女はその可憐さの中にあった儚さを捨てて、代わりに苛烈さを身に着けていった。

 灯子は常々西区と東区を繋ぐ交通事情に疑問を呈していた。陸路が公共街道しかないのだ。実際にはバスやトラックが通れる道路のほか、鉄道も整備されているが、この道しかない。万が一何らかのトラブルが起きた場合、完全に交通がストップしてしまうのである。霊地神隠しの森を行くものも少なからずいるが、害獣が蔓延るそこを通っていくのは冒険者のように戦う技術を持ったものがほとんどで、それをまともな道として扱うわけにもいかない。

 海に囲まれた島国であるので海運も発達はしているが、陸路の不便は重要な問題であった。ヒノモト帝国には霊地が多く、その保全にばかり目を向けた結果、都合の良い道を作ることが捗らなかったのだ。西区の内部、東区の内部ではそれぞれ居住区の中を行き来するのに便利な手段が開発されていたが、東西を結ぶ道が少なすぎるのだった。

 この一年の間に、灯子が最も積極的に取り組んできた事業はそれだった。新たな道を作る。それによって東西の交流をより盛んにする――というのが目的である。多すぎる霊地のために簡単にはいかなかったが、彼女の巧みな人心掌握術によって賛成派を増やしていた。また、彼女はこれが絶対に必要なものだと信じていて、反対派が言いくるめようとしてくるのを、逆に追い詰めていくのだった。一つを言えば百より多く、その上品な唇から激しい言葉が返ってくる――誰も灯子を論破できず、徐々に反対派は立場を弱くしていった。

「議会のものたちがようやく皆認めてくれました。先日の害獣被害があまりにもひどかったものですから」

 既に使われている街道と神隠しの森は隣接している。先日恐らく水津が差し向けたと思われる害獣によって公共街道が破壊され、復旧に時間をとられた。このことから一つだけの道に拘り続けるわけにはいかなくなってしまったのだ。

「これから着工に向けてまた考えることも多くありますが、天景山脈は崖も多く、まだほとんど開発されていないのが現状です。これは日次にも伝えることですが、工事の際には安全確保や効率のことを考え、魔術師にも携わってほしいと思っているの」

「魔術師か……効率とは?」

「きっと多くの資材を運ぶことになります。でも、山登りは大変だわ。魔術師は転送の魔術によってモノを遠くへ送り届けられると聞きます。この辺りのことも議会と相談しなければなりませんが……」

「ああ、成る程。そういうことならば、冒険者組合を使って声をかければ人は集まるでしょう。俺からも議会に口添えをしておこう」

 灯子が満足そうに頷いた。

 この笑顔が何よりの褒美のように思えた。こうして彼女から全幅の信頼を寄せられることは心地良い。

 遠い昔に彼女の祖先が人間の傍で生きることを汲出に教えた。汲出に血の繋がった子はいないが、まるで自分の子供を見守るかのような気持ちを抱いて、生まれてから死ぬまで皇族たちと寄り添ってきたのだ。

 魔族は長く生きるが、人間と違って子供ができにくい。それは命の維持に必要な以上に魔力を持つためにその影響を受けやすく、強すぎる影響が逆に毒になるかもしれないという特性があるからだ。全く子供ができないわけではないからこそ種族として成り立っているが、命のバトンを次へ渡す経験が、人間とは比べ物にならないほど少ない。特定の相手も未だいない汲出は、一生自分の子を得ることはないかもしれない。

 かつての皇帝は、もしかしたら、とても貴重なものを汲出にくれたのかもしれなかった。長寿であり特に強い魔力を持つ魔王にとって、得難い運命を貰ったのだ。

「――汲出はわたくしが変わっていくと言いましたね」

「ああ、言った」

「わたくしが変わっていくとすれば、それはわたくしが若いからだわ。若さは変動そのものですもの。ねえ、お前が全部見ているというのなら、お前が思うよりずっと忙しいわよ。だけど、一つだけ」

 灯子が汲出の手を取った。灯子の柔らかく小さな手に比べれば、汲出の手は大きく角ばっている。共通するのはどちらも血が通って熱を持っているということだけだ。

「覚えておいてね。わたくしはお前のことを父を愛するように愛しているわ。それはずっと、変わらないことよ」

「俺も貴女を、娘を愛するように愛している」

 汲出が小さな手を握ると、その手が握り返した。温かい手だ。生きている人の手だ。

 この小さな手がいつかしなやかな女性の手になり、汲出ではない他の誰か、信頼のおける男の手を取るようになるまでは、こうして手を握っていよう――どうやら汲出は灯子に父のように愛されているようだから。

 汲出は灯子のことを、娘を愛するように愛している。

外伝第二弾でしたがいかがでしたでしょうか。

激流魔王汲出とヒノモト女帝灯子の信頼関係は特別なものです。本編で女帝を出す隙が特に無かったのでこういう形になりました。楽しんでいただければ幸いです。

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