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折れろ! 俺の死亡フラグ  作者: 味醂味林檎
外伝

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運命の子供1

 ヒノモト帝国の西の居住区には、特区と呼ばれる場所がある。

 特区は人間の皇族と彼らに仕える臣下たちだけが住まう特殊な島だ。豊かな魔力が湧きだす霊地でもあり、天灯媛大神アメノアカリヒメノオオカミが祀られ、皇族たちは旧い時代から神に最も近しい者たちとしてヒノモトを動かす実権を握ってきた。そこに出入りできるのは特別に許された者だけであり、激流魔王である海堂汲出はその独自の空間に足を踏み入れるときは少しばかり息が詰まるような思いがする。

 それも仕方のない話ではある。今彼が訪れているのは、この国で最も高貴な存在――この国で唯一汲出に命令できる存在である、ヒノモト女帝の屋敷なのだから。

 洗練された官女たちを侍らせ、一流の調度品に囲まれて、彼女はいた。

 煌びやかな金細工の冠の下に、彼女のあどけない顔がある。

 歳の頃は十二を過ぎた辺りか――肌は瑞々しく、円らな瞳は小動物のような愛らしさだ。豊かな黒髪は柔らかそうで、優しげな桜色で染められた質の良い着物の袖から覗く手首は折れそうなほど細かった。

 幼いが、しかし、気品溢れる乙女である。千年以上もその血を絶やすことなく受け継いできた、旧き血の女帝――それが彼女、灯子あかりこであった。

「お久しぶりです、灯子様」

「そう緊張せずともよい。誰が見ているわけでもないのです」

 鈴を転がすような声でそう言って、灯子は周りにいた女官を退室させた。確かにこれで余計な目はない。女帝と魔王の二人きりだ。

「もっとこちらへいらっしゃい。お前の顔をよく見たいわ」

 汲出のほうが圧倒的な力を持っているけれど、この場を支配するのは灯子のほうだった。謁見というには近すぎる距離だ――と思わないでもないが、ゆるりと手招きをされて汲出に拒めるはずもない。うるさくならないよう足音を立てないように近寄れば、彼女は品の良い唇を綻ばせた。そして優しげな手つきで、労わるように汲出の持つ尾を撫でた。

「怪我をしたと聞きました。もうよいのですか?」

「ああ――別に何とも。もう知っておいでか」

「噂を聞きかじっただけです。わたくしには聞かれたくなかったかしら」

「いや、そんなことはない」

 今日汲出が此処へ訪れたのはその話をするためだ。水津に西区を――国を転覆させられるところだった。それを隠しているわけにもいかなかった。彼の研究が生み出した害獣や式神は危険因子だ。今後似たようなことが起こらないように、また万が一起きてしまった場合の対策はどうするか、予め考えておかなければならない。これは汲出だけの危険ではないからだ。尤も、魔王自体が国を守るためのシステムであり、彼女を守るために特区があるのだが、要するに改めて気を引き締めなければということだ。

 世間には具体的なところまでは公表されていないが、事件の後、汲出の選出した憲兵による調査が行われている。そこで彼の遺した日記や研究記録から、西区の外れにある冬知らずの森の害獣を捕獲して研究材料としたり、巨大な害獣を森の中に隠したり、必要に応じて転送魔術によって神隠しの森や様々な場所に送り出していたことが発覚していた。

 汲出自身は自殺してしまい確かめようもないが、恐らくはここ最近の害獣被害も彼の研究の一部だったに違いない。彼は信念を掲げて行動し続けていたが、その信念は随分と人道から外れてしまっていたのだ。魔族の繁栄を願うのであれば、少なくとも、魔族にも襲い掛かるような害獣を作ってはいけなかった。彼の中の根本的などこかで、とうの昔に間違っていたのである。目指すべき場所も、そのための手段ですらも。

「随分大変な目に遭ったようですね。心配していましたが、お前の様子を見る限り、もうすっかり落ち着いたようね」

 だからこそ彼女のもとへ参じることができたのだ。水津の反逆によって西の魔王城は一時的に機能停止することとなり、その後の後始末まで西区の行政にも支障が出た。西区を任されている汲出が忙しくないはずもなく、こうして此処へ訪れるまでにはだいぶ時間がかかってしまった。

「待たせてしまったか」

「ええ、とっても。わたくし、汲出が来てくれるのを心待ちにしていたの」

 そうやってはにかむ灯子は少女らしい無邪気な美しさに満ちていた。だが、彼女がそれだけの人間ではないことを、汲出はよく知っていた。




 ヒノモト帝国で、人間と魔族が手を取り合うようになったのは汲出が生まれるよりもさらに昔の話だ。その頃から魔王は二人で、魔界は二つあったが、かつては覇権をかけて争っていたという。しかしそのために民は傷つき、土地は荒れ果て、魔王たちですら滅びかけた。そこで中立の立場にいたある人間が仲裁に入り、今のヒノモト帝国の基になった――それが伝え聞くこの国の歴史である。今の皇族は、その争いを治めた人間の子孫だ。

 汲出が西区の魔王になる頃には、国内に大きな諍いはなかった。似たような頃に東区の魔王も日次に交代したが、互いに傷つけ合わねばならない理由もなかったし、人間たちとも上手くやっていくほうが魔族のためになるからだった。人間たちは旧い時代から妖怪と慣れ親しみ、魔法と身近に生きていた。彼らが魔術を軽んじることはなかったし、魔族たちからしても人間の技術に助けられることが多かったのだ。

 争うべき相手は国の外にいた。魔力の豊かな土地というのは重要な資源だ。魔力こそが命の源であり、そこに存在しているという証である以上、それを求めないものはいない。皇帝と魔王たちに求められたのは押し寄せる外国からの脅威への対抗だった。

 当時の皇帝は決して強い人間ではなかった。争いに心を痛める気弱な彼を上手に支えたのは人との交流が上手い日次で、汲出の役割は違った。海に囲まれたヒノモトにおいては激流の名を冠する水の繰り手の汲出は最大の兵器だった。その力は国を守り、敬意を集め、恐れられもした。

 民の暮らしを守るために戦い続けた。幾度となく繰り返される戦争の中で流れた血はどれほどだっただろうかわからない。勇敢な英雄たちは皆汲出より先に散っていったし、そうでなくとも寿命という理によって死んでいった。魔族はより魔力が豊富なものほど強く逞しく長く生きるが、それゆえに汲出と関わる者は日次の他は誰もが汲出を置いて逝った。

 そしてついに皇帝が心労から病に倒れたとき、彼は汲出に言ったのだ。

「お前の強さにずっと憧れていたんだよ……」

 汲出は彼の隣に立ったことはなかった。いつだって彼の前を行き、背中ばかりしか見せなかったはずだ。日次のように話すのが特別上手いということもなかったけれど、皇帝にとってはそれは大きな問題ではなかったのだ。

「私の子が道を違えないように、見守ってくれないか。日次と共に」

「貴方は……俺を信用しているのか」

「信用――こういうのはね、信頼というんだよ」

 皇帝は強い人間ではなかったが、しかし、ただ弱いだけでもなかった――と汲出は思っている。彼は汲出を置いて逝きはしたが子孫を見守るという新たな役割を与えもした。

 それがなければ汲出は今ほど人間と親しくならなかったかもしれない。人間の親が子に未来を託すことを知らなければ。霧雪一族と友好的に深く関わるようになったのも、皇帝に人間と寄り添う生き方を教えられたからなのだ。寿命が違っても、体のつくりが違っても、共に生きていけるということを。

 彼の子が後を継ぎ、さらにその子孫が後を継ぎ――そして現在へと至る。脆く弱い人間の中でもヒノモトを守り導くため奮闘する彼らは眩しく、そして美しかった。

 当代の灯子は、歴代の中でも特に幼いうちから皇帝の冠を被っている。汲出は彼女が生まれたときから知っているが、本当なら彼女が女帝となることはないはずだった。一生を皇族の姫として暮らし、たとえ政治に関わったとしても、国の全てを背負う必要はないはずだった。

 そんな彼女が女帝とならざるをえなかったのは、先代の皇帝と、その本来の跡継ぎとなるはずだった皇子が流行り病にかかって亡くなったからだ。それは突然のことだった。

 ヒノモト皇帝は男児が優先して受け継いできたが、皇族にちょうどよい年頃の男児は他にいなかった。国中に広がった病は皇族も蝕み、多くの血族が亡くなってしまったからだ。

 ちょうど皇妃が身籠っていた子は男児と言われていたが、その誕生を待っていては遅すぎるし、身重の彼女を表に立たせるわけにもいかなかった。せめてもの代繋ぎとして先代皇帝の姉の娘である灯子が選ばれ、女帝として戴冠したのだ。




「水津一月のことは残念でした。人というのは難しいものですね。人間も魔族も皆この国では妖怪と共に生き、魔法の息づく土地で暮らしているのに」

 灯子が目を伏せた。長い睫が影を落とす。

 水津の反乱は、水津だけの意思ではなかった。彼に与するものもいて、だからこそ大事になった。それはつまり、人間と生きることに反感を持つ魔族がいるということだ。当然事件の首謀者たちは粛清したが、表に現れていないだけで、人間を嫌う魔族がもういないとは限らない。

 大多数は人間と共存することに異論は持っていない。それを嫌がるもののほうが多いのなら、ヒノモトの治安は種族同士の諍いからもっと荒れているだろうし、魔王にとって代わろうとするものは数えきれないほど現れるはずだからだ。

 一方で人間のほうも多くは魔族を嫌ってはいないのだ。互いに認め合うところがあるからこそ冒険者組合のようなシステムも成り立つ。いくら在り方に違いはあっても同じ人である以上、友情も生まれれば中には恋をして結ばれるものもいる。そこに壁はないのだ。壁を取り払って、皇族はその後の調和を守るために代を繋いできた。平和を愛する多くの民のために存在している。

「……誰とでもわかりあえるわけではない。魔族同士ですらわからないこともある。腹の中に抱えたものを曝け出すのも覗き込むのも容易ではないものだ」

「人間同士でもそうなの」

 実感が籠った台詞だった。すっかり腹の探り合いを覚えたものの言葉だ。

「わたくしはわたくしの正しいと思ったことをやるだけですが、どうやっても全ては掬い上げられないのだと思うと、少しばかり切ないですね」

「万能なものなどいない。貴女はよくやっている。できすぎているくらいだとも」

「そう信じたいわ」

「俺がそう信じている」

「汲出はわたくしに優しいわね」

 灯子が言った。それから窓の外へ視線をやった。

「――お前や日次が訪ねてこない間は、此処はとても寂しいのよ」

 良い庭師がいるのだろう、よく手入れされた庭園が広がっている。静けさの中で水の音だけが聞こえてくる。鮮やかな緑は生命の力強さを感じさせた。自然との調和がそこにある。

「わたくし、一人で見る庭は嫌いです。此処から見える景色は綺麗だけれど、それを語らえる人がいなければ何の意味もありません。お前が無事でよかったわ――本当に」

「貴女より先には死なない」

「そう……そうよね。わたくしはわたくしの価値を知っている。わたくしが大事だから、お前はわたくしを放っておけないのよね」

 なよやかなようでいて、灯子は凛々しかった。彼女が女帝となってからもうしばらくで一年経つが、幼い少女の外見が嘘のような強かさを、灯子は持っていた。

 年の割に物知りで、聡明で、それから抜け目がなかった。発言力の強い政治家を抱き込むのが上手で、世話役に気に入られるのが上手で、甘えた子供のふりをしながら誰よりも人を動かすのが上手かった。そして多くの人を虜にしながら、いつもその陰に微かな寂しさを滲ませていた。

 汲出がじっと見ていると、灯子が首を傾げた。ちょうど汲出を上目遣いに見るような角度で、大層可愛らしく見える。

「なあに、汲出、わたくしの顔はそんなにも面白いかしら?」

 まるで計算され尽くしたような愛らしさで、その予感は恐らく間違っていなかった。誰に対してどう振る舞えば気を引けるのか灯子は熟知しているのだった。人の心が見えないと言いながら、人の心に器用に入りこむのだ。それは灯子の才能で、まるで魔性のようだった。

「――今の貴女をよく覚えておこうと思うのだ。私は貴女と出会ってから、貴女がどんどん変わっていくのを見てきた。その一瞬一瞬を覚えておきたい」

「……それは大変そうですね」

 ふふ、と控えめな笑い声が漏れた。今度は計算ではないらしかったが、灯子はどこまでも可憐で、眩い乙女だった。


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