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折れろ! 俺の死亡フラグ  作者: 味醂味林檎
エピローグ

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エピローグ1

「エッなんですかこの惨状は」

「お前らが不甲斐ないせいなんだがそれわかっているのか」

「記憶にありません!」

「そうだろうな。操られていたんだからな……」

 水津の暗示から解放された職員たちは城中のひどい有様に驚愕していた。激流魔王はいちいち彼らに必要な説明をしながら、その反応に溜息をついた。自分の意思で動いていなかった者たちは自分がどんなことをさせられていたのか記憶がさっぱり抜け落ちているのだった。その中には人間のみならず魔族や妖怪も紛れている。魔力が豊かでも対抗できる魔術ではない、高度な精神束縛だったのだ。全く迷惑な魔術の被害であった。

 操られていたものたちはまだいいとしても、本心から水津に従っていたものたちはきっちりと炙り出さなければならなかった。今後似たような事件が起きることになっては敵わないということもあるし、そもそも反逆に加担したものをのさばらせておくわけにはいかないのだ。激流魔王の仕事は多い。西区はまだ忙しなさが続く。

「けど、全部……終わったんですね」

「ああ、そうみたいだ」

 命を脅かすものがなくなって、ようやく肩の荷が下りたようだった。怖いものはもうないのだ。後片付けは無事だった西区の職員がやらされることになるという。大変な掃除になるだろう。

「水津の研究室の――……あれはどうなるんですか」

「何を見た」

「……妖怪たちの、標本とか」

 思い出したくない、気味悪くも切ない死体のことが気にかかった。隠し部屋の中で見たあれはこれからどうなるのだろう。時也が疑問を言うと、激流魔王は「――正しく葬る」と答えた。その言葉に、時也は安心した。あの痛ましいものたちは、あるべきところへ行くだろう。

「藍葉、無事か!」

「兄上! 父上もご無事でしたか」

「妖怪たちが手助けしてくれたんだ」

 彼らと共に来た貉が一礼した。魔王たちは彼ら妖怪と積もる話があるようで、恐らくそれは時也が踏み込んでいくところではなかった。ぼんやりしていると、人や妖怪の影から嘉一郎が顔を出して、時也を見つけて駆け寄ってくる。

「時也、怪我はしてないか」

「大きな怪我はないです。嘉一郎さんも平気そうですね」

「冒険者としちゃ年季が違うからなア」

 そんなことを言いながら、心底安心したというように目を細め、時也の肩を叩いた。手加減しない勢いに体がぐらりと揺らされた。

(ああ、今、生きている)

 真夜中の冒険は幕を閉じる。空は既に白み始めていた。太陽が大地を照らし、健やかな朝が訪れる。

「時也さん、あの、泣いているんですか」

 言われて初めて自分が涙を流していると気づく。色々なことがありすぎて様々な感情が綯い交ぜになって、彼自身もよくわからないことだったが、涙腺が言うことを聞かないようだ。時也は少し乱暴にそれを拭って、藍葉に笑いかけた。

「明るさが目に染みたんだよ」




◆◆◆




 西区が転覆するところだった事件は、国民のほとんどに知られることなく収束した。藍葉たちの厚意で霧雪家で体を休め、街道の工事が終わってからそちらを通って東区へ戻った。神隠しの森を通るのはできるだけ避けたい。暫くは害獣自体見たくない。

 意味の分からない事件だったと、冒険の報告書をまとめながら時也は思う。気が付いたら自分から巻き込まれに行っていた。時也としてはひどく大変な事件だったと感じているのだが、全て終結した後はテレビにも新聞にも西区の職員が死んだと水津の起こした事件のことはかなり曖昧に誤魔化されて報道されただけだった。一応事の顛末については女帝の耳にも伝わったらしいのだが、国民の中では歴史の一頁になるかならないかというほど扱いが小さいものとなったのだった。時也は政治の闇を垣間見た気がした。

 水津は時也の前世を殺した男である。そして激流魔王の魔界を転覆させようとし、数多くの妖怪や人間を犠牲にして魔術で操れる害獣という生物兵器を作りだした。式神や暗示の魔術を駆使して一度は激流魔王を蹴落とし、しかしながら目論見は上手くいかず、自ら命を絶った。

(悪人だった、間違いなく)

 時也はそれを生理的に受け付けられないと感じていたし、水津が死んでしまった今も、彼のやったこと、やろうとしたことはひどく気味が悪かったと思っている。魔族の未来に憂いを抱いていたことは本当のことだっただろうが、やり方が悪すぎたのだ。時也が生まれ変わったように、彼の魂にも輪廻転生があるのなら、次は道を外さないようにしてほしい――時也はそんなことを考えている。自分を殺した相手に復讐ができなかったことは少しばかり残念ではあるが、それにこだわる理由はないのだ。とりあえず生きている。それだけで充分である。時也は復讐のために生きてきたのではなく、天寿を全うするために生きているのだ。

 危険な目にはあったが特に大きな怪我をすることもなく、恐怖で寿命が縮まる思いはしたものの、時也は様々なものを得ることとなった。例えばそれは自分の出生の秘密、魔術に関する知識であったり、人の縁であったりした。

「私のために働いてみない?」

 日次のそんな誘いもあった。茶之介は日次のお気に入りであるというし、嘉一郎も全く同様にというわけではないが冒険者として贔屓にされているということだった。完全な飼い犬とそうでないものの違いということだろうか。茶之介が日次の直接の指示で行動していた一方で、嘉一郎はここ数年は喜久子のことや妖怪の行方不明者たちについて調査するため飛び回っていたらしい。様々なところへ出かけてはなかなか帰ってこないのは、そういうわけだったのだ。

 これからは少し時間ができるという。寂しがっていた音子も嘉一郎が戻ってきて喜んでいた。ろくに連絡を寄越さなかったことについては多少罪悪感があったらしく、珍しく狼狽える嘉一郎を見たので時也は満足している。

 茶之介も暫くは冒険を休むという。必要な書類を提出した後は「妹に癒されたい」と言って冒険者組合事務所を出ていった。

「ああいう兄がいたらろくな恋愛ができなさそうよね」

「恵理さん……それは言いすぎじゃ……」

「でもきっと過保護よ」

 そう言われてみると妹を目に入れても痛くないというように猫可愛がりする茶之介を容易に想像できてしまって、時也は「……そうですね」としか答えられなかった。話にしか聞いたことのない妹だが、恐らく兄である茶之介が美形であるので、妹も美人に違いない。例え彼女が本当に美人だったとしても、時也には関係のない話ではあるが。

「それにしても、時也くん、アナタここ最近すごく忙しかったわね。なかなかできない経験だったんじゃないの?」

「ええ、まあ、本当に……」

「若いうちの苦労は買ってでもとか言うけど、苦労した分そのうち何かに役立つわよ――たぶん。ところで、アナタ何か呪われてるとか、そういうことないわよね?」

 恵理が冗談っぽく笑ったが、生まれからして魔術が関わっているらしいと知ってしまった今となっては完全に否定できる話でもなかった。時也は苦笑した。

「ああ、そうそう、時也くん、今回のことでアナタのこと評判になってるのよ。暫くは休めるように都合つけてあげるけど、休み明けから忙しくなりそうよ。アナタを指名したい依頼者が増えたのよね」

「何故に。俺大して何もしてないんですけど……寧ろ俺がいた意味とかあったのかな……」

「でも沈黙魔王様からお声がかかったんでしょ。みんなもう知ってるのよ」

「もう噂になってるんですかソレ」

「あの方が此処へいらしたのよ。あんまり綺麗なものだから凄い騒ぎになったのよ――ちょっとした挨拶ってことみたいだけど――ご贔屓にしてくださるお客様は大事にしないといけないわよねえ」

「まじですかよ」

 思わず変な言葉遣いになってしまう時也だった。

 きっと仕事の幅が広がるわよ、と恵理は言った。果たしてそれが良いことなのか悪いことなのか今のところ判断はつかないが、死ぬことを恐れながらもリヤカーを引き罠を使って的確に害獣だけを狩っていた比較的平和な冒険者生活にはもう戻れないようだ。

(何故俺に関わる人たちはまず外堀から埋めようとするんだ……)

 完全に流れそのものすら調整されている感覚である。それも、時也本人の力ではどうしようもないほど強い力で操られているかのような不思議さであった。彼自身がそれを嫌なことだとは感じておらず、その流れに逆らうつもりが欠片もないからこそ、特に遮るものもなく流されることになるのだが。そもそも日次は沈黙魔王であり、ヒノモトにとってとても重要な人物である。そんな相手から誘いを受けて断れるはずもないのだ。身の丈に合っているかどうかはともかくとして、これほど名誉なことはなかなかない。

 細々とした事務処理などを終えて、挨拶もそこそこに帰宅すると、柔らかな黒い毛並みの音子が迎えてくれた。

「ただいま、音子さん。何かいいことあったの?」

「猫魔会のお友達からお手紙が届いたのです。嘉一郎さんと違って筆まめな方なのですわ。外国の魔界貴族の方なんですよ」

「そんな立派な猫と知り合いなんだ……音子さん凄いね。外国語わかるの?」

「人の言葉はヒノモト語だけしか存じませんが、猫の言葉は万国共通ですわ。ご覧になります?」

 音子が見せてくれたのは一通の手紙で、文通仲間からのものであるらしかった。内容については猫の言葉だそうで、何やら便箋に汚れのようなものが見えるが、それが彼ら猫の文字なのだろう。人間である時也には全く読み取れないし、彼も勉強する気はない。「とっても情熱的な方みたいなんです。一度お会いしてみたいわ……」という音子の言葉から察するに、これはラブレターか何かなのだろうか。随分と嬉しそうにしている音子に「よかったね」と声をかけて部屋に向かうと、嘉一郎が何やら難しい顔をしていてぎょっとする。それに気づいた嘉一郎が時也をすぐそばに呼び寄せ、こっそりと耳打ちする。

「……なあ、音子のことなんだが、あれはもしかすると彼氏とかそういうものなのかなア」

「嘉一郎さん、年頃の娘を心配する父親じゃないんですからそういう詮索やめましょうよ。音子さんがどういうお付き合いをしてたっていいじゃないですか。文通にまで目くじらたてなくても」

「いや、でも、うちの可愛い音子が変なやつに引っかかったら大変だろ?」

「音子さんは確かに可愛いですけど、あんたの何倍も年上だってこと忘れてませんか」

「音子は寿命の長い魔物だから精神年齢を考えるとさほどでもない」

「それを考慮してもあんたとそう変わらねえよ」

 色恋の行く末についてあれこれ心配しなければならないような年頃ではない。音子は立派な大人の女性なのだ。そんなことは好きにさせておくのが一番だろう。それでも落ち着かない様子の嘉一郎に、時也は呆れて肩をすくめた。

 そのままそこの畳に腰を落ち着けて、一つゆっくりと息をした。肺の中身を入れ替えてしまうようなつもりの深呼吸だ。それから、時也は嘉一郎に聞きたかったことを聞いた。

「俺の両親ってどんなだった?」

 水津との対話の中で、時也は自分の出生について知った。知ってしまった。自分が前世で殺されたこと、そして魔術によって誕生することになったということを、水津から直接聞いてしまったのだ。最早ずっと目を背けているわけにはいかなかった。背けていられるほど、時也の心は凪いでいない。

 嘉一郎は少し迷うような素振りを見せた。しかし、その迷いを振りきるようにくっと笑った。

「……魔法学者だった。二人とも――そうだ。よくある職場恋愛だ。母親のほうは俺のいとこだったからよく知っている。喜久子は……気が強くて行動的な女だった。あと、感性が人とズレていたなア」

 嘉一郎が言った。時也にとって、初めて嘉一郎から聞く、自分の素性に纏わる話である。きっかけもないまま、今になるまで聞けなかった話だ。時也は静かに耳を傾けた。


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