表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
折れろ! 俺の死亡フラグ  作者: 味醂味林檎
第三章 西区

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/39

第二十話

 まるで研究室だ、と時也は思った。水槽の円柱、その中にある標本の妖怪たち。狐や貉らしき姿が並んでいる。その中に化け猫だったものと思われる死体を見て、時也は嫌悪感を覚えた。

 決して明るい部屋ではなかったので最初は気づかなかったが、水槽の中身は妖怪だけではなかった。妖怪というよりも害獣に近いような怪物的な外見の獣もこの展示の中に存在していた。趣味の悪いインテリアだと思ったそのとき、人のかたちをしたものを見つけて、今度こそ吐き気を覚えた。胃の奥底から何かこみ上げてくるような――それを無理やり我慢しようとする。口の中に感じた酸味を、唾液ごと飲み込んだ。喉の奥がじわりと焼けるような感じがした。

(本当に、趣味が悪いや)

 部屋の中は水槽がある他は、さまざまな本が無造作に並べられている棚があり、時也にはよくわからない実験器具が置かれていた。間違いなく此処は研究室と呼べる状態にあった。あまり長い間放置されている様子はない。誰かが頻繁に此処に出入りしているのだろう。それならばどこかに出口があるはずだ。時也が部屋の中を探していると、部屋の奥のテーブルの上に研究資料と思われる紙束があるのを発見した。それから、頁の端が擦り切れた分厚いノートが一冊。

「これは……」

 惹きつけられるようにレポートの表紙を捲ってみる。害獣を操る手段について記されているらしかったが、びっしりと書き込まれた複雑な魔術式は時也の理解できる範囲のものではなかった。そもそも魔術師でもなければ魔法に対する学も専門的に勉強していないので不十分である。時也はこの世界に生まれてからは基礎的な教育しか受けていない。

 しばらく目を通したが、やはり内容を把握しきれないので、今度はノートのほうを開く。こちらも研究について書かれたもののようだったが、日記のような書かれ方をしていた。日付は間隔がまちまちだが、数年前から始まっている。思いついたときに書きこんでいたのか――こちらなら読めなくもなさそうだ。時也は惹きつけられるようにそのノートを頁に手をかけた。



 ぺらり。――魔力を制御しきれず怪物化したものが害獣だが、その力は非常に大きい。これを利用する手はないだろうか。彼らを意のままに操ることができれば、それは魔族の発展に繋がることだろう。とはいえ、解決しなければならない問題は多い。短命すぎることもそうだし、躾けられるほど頭がよくないことも課題だ。


 ぺらり。――暗示の魔術をかける実験を行う。結果としては失敗だ。暗示は意思を操る魔術である。思いのまま動かすには、害獣は頭が悪すぎる。強すぎる魔力によって思考が阻害されているために、あれらは意思というものをほとんど持っていない。逆に暗示が効きにくい状況になっているようだ。害獣が魔力炉に異常を起こしたもののなれの果てであるなら、それを人工的に調整して作りだせないだろうか。


 ぺらり。――怪我で弱った化け狐を発見した。息は長くない様子だったので、実験台として使うことにした。魔力を注ぐと体質に変化が現れ、毛皮が硬化した。その後一日で死亡したが、死ぬまで意識はあったようだ。この方法なら、理想とするものが作りだせるかもしれない。正常な生物と、害獣の境目を取り払うのだ。



 頁を捲りながら、時也は禁断の書を読んでいるかのような気分にかられた。知ってはいけない事実がそこに隠されていることを悟っていた。それでも、そのノートから目を離せない。息をするのも忘れるほどに、それに魅せられている。



 ぺらり。ぺらり。ぺらり。

 頁を捲る。害獣を操るための研究。正常な生物と、害獣の境界を曖昧にする研究。命令を理解するだけの最低限の知能を持った、生きた兵器を生み出すための。命だけがあり、その炎が尽きるまで操られて暴れるだけのそれを生きていると呼べるのかどうかも怪しい。真っ当な生物の尊厳を穢し、死せる体すら暴き、あらゆるものを利用し尽くして作り上げる研究の記録が、そこに記されていた。



「随分夢中になっているんだね」

 すぐ背後から声がした。

 ――背筋が凍り付く。時也は動けなくなった。ひく、と震える喉元に添えられた冷たい指先が、その鋭い爪が食い込む。ピリ、とした痛みがある――首の皮が切れたところから血が滲んだ。

 一体いつから。近づいてくるその気配が察知できなかった。体から冷や汗が噴き出す。後ろに立っている男は、それをわかっているのかいないのか、ひどく楽しそうな声色をしている。

「お前は何匹も私の研究成果を殺してくれたが、まあ、それは甘んじて許そう。お前のほうが価値が高い。ようやく我が手の中に戻ってきたというわけだ」

(こいつは一体何を言っているんだろう)

 戻るも何も、時也は誰のものにもなった覚えはない。耳元で囁きながら首を絞めてくる男を知らない。否――誰であるのか想像はついている。けれども面識はなかったはずだ。少なくとも、直接は。

 背後にいるその人物に聞こえるように、絞り出すような声で言った。

「……俺は、あんたを、知らないけど。――水津一月、か?」

「名前がわかるならそれは充分知っているということだよ、夏目時也」

 首に触れていた手が離れた瞬間、反射的に振り返る。男は――水津は仮面を被っていて、その表情を知ることはできない。ただ、色素の薄い腰まで届くような長い髪と、先程まで時也の首に触れていた手を覆う緑色の鱗が目についた。

(こいつが――水津一月)

 激流魔王の敵であり、魔王城を奪い西区を転覆させようとしている男。式神を操り、時也と藍葉に死の危険を突きつけた男。暗示の魔術を巧みに操る強力な魔術師。つやりとした鱗の指、その爪が灯りを反射して煌めいた。

「それともそれ以上に知りたいことがあるのかな。お前が好奇心旺盛な気質だとは知らなかった。覚えておこう」

 それは研究対象を観察する科学者のような物言いであった。まるで蛇に睨まれた蛙のような気分がする――体が強張り、思ったように行動できない。だが思考を停止してはいけない。何か言わなければ。そう思った時、口は勝手に動いていた。

「……あんた、此処で何の実験をしていたんだ」

「何、なんてことはない動物実験だよ。使えるものをより有効に使うためのね。これらはそのための土壌というわけだ……完成された魔術が完璧であるわけではないからな。工夫をしなければならない」

 水津の指の腹がそうっと彼のすぐ傍にあった水槽を撫でた。その手つきは優しげであるのに、全く穏やかな感じを受けない。中の妖怪だったであろうモノの濁った瞳と目が合った。

「こいつらは、妖怪と、人だろう……」

「妖怪と人間だ」

 ちっちっと指を振りながら水津が訂正した。妖怪と人間――魔族とは違うものたちだけであるとでも言いたいのだろうか。水津は人間を排除したがっていると激流魔王が言っていたが、この男にとって人間というのは人として扱うものですらないらしい。それだけではなく、妖怪を軽んじている。少なくとも魔法に親しいという意味では人間よりも魔族に近い存在であるはずなのに、この場ではただの実験動物としてしか扱われていない。このヒノモトでは、ずっと昔から人と妖怪が共存してきたのにも関わらず。水津は至極当たり前の、まるで常識を語るかのように言葉を紡ぐ。

「何も私とて無差別に実験を行ってきたわけではない。この人間もそうだ。これは虚弱な体質だった。治りもしない病に脅かされ、病院のベッドでろくな食事もとれないままただ弱り死んでいくよりも、とても有意義な使い方をしたつもりなのだが。お前もそう思わないか?」

 言葉尻こそ問いかけのようであっても、そもそも時也とまともに対話するつもりはないようであった。答えを求めているわけではないらしく、「ああ――この中には害獣に変質したものも混ざっているけど」水津はその仮面の下でくつくつと笑っている。

「此処にいるやつらは、あんたが浚ってきたってことか……?」

「わかりやすく言えば、そうなるな。人間は身元の割れにくいものを選ぶのはなかなか難しかったが……誤魔化しは効くものだ。私も魔王城の役人だからな。比べて妖怪は集めやすかった。何しろ獣だ、人と近しいところにいても、人の理から外れているものも多いのでね」

 時也の記憶の中で、音子の声が聞こえる――此処数年で失踪事件が増えているんですって――妖怪とか、人とか、関係なしです。失踪の理由はよくわかりませんけど――あの日彼女が言った言葉は、つまり、そういうことだったのだ。ここ数年の間に行われた水津の研究。数年の間に増えた失踪者。妖怪の間で噂になったのは、その理由は、それが特に妖怪を狙った事件だったからなのだ――この男の研究のために、犠牲が生まれたからに他ならない。激流魔王への反抗に必要な準備は、ずっと昔から進められていたのだ。

「あんたは命を何だと思ってるんだ」

「未来への礎――というところか。劣るものたちが踏み台となり優れたものは未来へ進むことができる。世の中はなかなか上手くできているよ」

 時也は心底気に入らないやつだと思った。時也自身もエゴで動いている部分はある。自覚もある。あるが、それにしても、この水津という男は確定的に薄気味悪く、暴力的におぞましく、致命的に分かり合えない。

 水津が何かに反応して天井を見上げた。式神や害獣たちの戦況全てを、魔術による繋がりが彼に伝えているらしかった。

「――ふむ、外の騒ぎのほうはさして問題とはならないだろうが……どうも激流魔王たちは派手に暴れているようだな。お前という特別ゲストもいることだ。早急にけりをつけようか」

 時也は咄嗟に刀を抜こうとした。だがその腕は素早く抑え込まれる。鍛えていないわけではないのに、細く見えるその腕を振り払えない。彼に触れられている部分だけでなく、もっと広い範囲で重石を乗せられているかのように体が重たく感じる。何か魔術的な要素で押さえつけられている――そうわかっても人間である時也にはそれに逆らうことは難しかった。

「そう暴れるなよ。ちゃんとゲスト席は用意してある。特別にね」

「ゲスト、席だって……?」

「そうとも。新たなる魔界の夜明けのためには、お前という存在が不可欠だ」

「……俺は、人間なんだけど」

 時也が言った。魔族だけの幸福を追求しようとする水津にとっては、決して受け入れるべき存在ではないもののはずだ。時也は冒険者をやっているだけのただの人間であり、魔族の血も混じっていなければ、幻術師の霧雪親子のように魔法に対して親しみ深いわけでもない。そういうものがあると知っているだけだ。全く相容れない。そんな意味を込めて睨むと、一瞬だけ水津の力が弱まったが、すぐに先程よりも強い力で圧迫される。

「うぐっ」

「――そうだ、お前は人間の器に入れられた。魔族として生まれてくるべきだったのに」

(……入れられた?)

 聞き捨てならない台詞を聞いた気がした。まるで本来は別の体に、魔族の体に入るはずだったとでもいうような。思わず瞬きして水津の言葉に耳を澄ませた。水津はあまり抑揚のない声で告げた。



「夏目時也。お前が人間として生まれたのは、二十年前――夏目喜久子がお前を私から奪い取り、人間の体に植え付けたからなのだ」



 呆然としながら、頭の中でその言葉を反芻する。聞いたことのない、しかし耳に馴染む名前。夏目喜久子。時也の出自に関わる女性の名。「さあ、行こうか」と水津に腕を引かれた。魔術によって不本意に縛られた体では、抵抗はできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ