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折れろ! 俺の死亡フラグ  作者: 味醂味林檎
第三章 西区

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第十九話

 時也と藍葉は走っている。理由は単純だ。後ろから追手が来る。走らざるを得ない。

 そして走りながら考えるのだ。この場をどうやって生き延び、なおかつ水津に近づけばよいのだろう。時也は自分をさして強い生き物ではないと分類している。そして強くない時也が生き残るためには思考こそが至高の手段だった。そうするのが癖になっているともいう。思考しなくなった瞬間死亡するような気がしている。

「侵入者!」

「いきなり出てくんなどけ!」

 ――とはいえ時也の頭が特別優秀ということはないので、あれこれ悩めるほどの容量もない。罪悪感に苛まれる余裕もないまま勢いを殺すこともなく太刀の鞘で殴りつける。重みがある分威力は大きい。そのまま後ろへ仰け反る相手をさらに踏みつけて藍葉と共に駆けていく。特に藍葉のブーツの底は痛かろう――蛙が潰れるような呻きがするのを無視して、ただひたすらに生存のための知恵を絞る。切羽詰まった状況では敵にまで気を配り手心を加えるといったことは不可能だった。そういった容赦のなさについては時也は藍葉のことをとやかく言えなかった。

「……!」

「よ……妖怪……?」

 ふらり、曲がり角の陰から何かが現れる。獣だ。それはよく街中で見かけるような妖狐に似ていた。だがそれにしては妖怪らしい冷静さが見えない。牙を剥く獣を、危険だと本能が囁いている。この生き物を、知っている感覚がする。時也は使い慣れた脇差のほうに触れて、その鯉口を切った。

「違う――時也さん、そいつ……害獣です!」

 藍葉が叫んだ。それとほぼ同時、飛び跳ねるように床を蹴って向かってくるその害獣の牙と、時也の抜いた刃がぶつかった。そのまま弾かれた獣はすぐに体勢を立て直して時也の腕に噛みつこうとし、時也は体を捻ってその背に馬乗りになる。

「なっ……式神ッ!?」

 害獣の背には式神の軸となる人形の紙が張り付いていた。それごと斬ってしまおうと刀を害獣に突き刺したが、するりとすり抜けて式神が人のかたちを取る。害獣の返り血で濡れたままの手が時也の首を絞めるように掴んだ。

「時也さんッ!」

 藍葉の悲鳴が聞こえる。後ろから追手が迫る。息が苦しい。何が変わるわけでもないとわかっていながらも、時也は式神を睨みつけた。人の見た目をしていながら人ではないそれは、時也を軽々と投げ飛ばした。そしてその手が壁に触れたかと思うと、ガク、と足場が揺れた。

「――ッ、藍葉、誰にも捕まるな!」

 咄嗟に藍葉を安定した場所へ突き飛ばす。彼女ははっとした顔で時也に手を伸ばした。時也も体勢を立て直しその手を取ろうとする――が、追ってきたものが時也の足首を掴み、引き離す。床板が動いて穴が開く――先程藍葉が使ったのと同じ仕掛けが此処にもあったのだ。

 式神は藍葉の命も狙っている。時也を罠に突き落した式神は今度は藍葉へと向かっていた。重力に逆らえないまま、時也は彼女に伝わるようにと叫んだ。

「惜しむな、藍葉!」

 落下しながら、開いた床がまた閉じていくのを見届ける。その数秒後、何かが爆発する音がした。恐らく藍葉が花火花の種を使ったに違いない――時也の言葉はきっと届いた。そう信じたい。当然ながら重力に逆らえるはずもなく数秒も経たないうちにどさりと地面にぶつかった。何とか受け身を取ろうともがいたためか大した怪我はしていない。一方で追ってきたものたちは打った場所が悪かったのか意識はないらしかった。

「……よくない状況だ」

 藍葉を守るため、そして激流魔王からの依頼によって此処へ来たが、彼女とはぐれてしまったわけだ。向こうの状況もわからない。一応手元に別行動している班との連絡を取るためのトランシーバーがあるが、藍葉と話せないので今は意味がないだろう。時也たちが襲われたのなら他の仲間たちも襲われているだろうということは想像できる。恐らく通信しようとしても繋がらない可能性のほうが高かった。さて、これからどうするか。

「ウ……私は……」

 のそり、と背後で人が起き上がるのがわかった。一人が覚めたらしい。明かりも何もないうえ、まだ頭を打った衝撃があるのかハッキリと時也を認識してはいないようだ。時也は容赦しないことにした。



「御免!」



 ゴスッ。そっと彼の傍に近づき、刀の鞘で力いっぱいその頭部を殴ると、少し重たい音がした。「ガッ……」と何か呻いて倒れ込む。今度こそ確実に寝た。操られているのか元から水津の手下だったか判別はつかないが危険因子は今は排除しておきたかった。たぶん死んではいないだろうが、もしかしたら強く殴りすぎたかもしれない。

「……アンタがただ操られてるだけだったら、きっと労災が下りると思うよ」

 此処で死ぬわけにはいかない。一刻も早くまた藍葉と合流し、任務に戻らなければならない。時也も必死である。

 あまりにも暗すぎて周りがはっきりと見えない。時也は持っていたマッチを擦った。周りは壁に囲まれているが、一か所だけ奥へ続く道があるようだった。ちょうどランプがかけてある。此処も恐らく激流魔王が作った隠し通路に違いなかった。罠の仕掛けとどこか別の場所を繋いでいるのだ。

「今は進むしかないか……」

 ランプを拝借し、少しばかり細いその道を行く。元の仕掛けを登って上がれない以上、行ける場所は限られているのだ。

(藍葉は無事だといいけど)

 この穴の中に何があるのかわからなかったこともあり、藍葉が巻き込まれないよう彼女を突き飛ばしたが、果たしてそれは正しい選択だったのか。あの場には式神がいたのだから、不用意に彼女を危険に晒しただけだったかもしれない。だが式神は燃えるものだ。あの爆発の音を聞く限り、恐らくは式神も燃えたはずだ。

 そもそもわざわざ式神が城の仕掛けを使ってまで時也たちを此処へ落とす理由は何だったのだろう。あれは真正面からぶつかれば、時也を殺めることは容易かったはずである。時也は英雄ではない。人ではないものの力には勝てないのだ。殺すつもりならあのままもうしばらく喉を絞め続ければよかったし、そうでなければ魔術的な武器でも作りだして刺してもよかった。そうされなかったのはどうしてか。

(少なくとも、まだ)

 まだ、殺すときではない――水津がそう考えている、そう捉えるべきだろうか。時也か藍葉か、そのどちらかをということだが、時也は彼が殺したくないのは自分なのではないかと思っている。勘である。

(やつは俺を異質と呼んだ、俺の何を知ってるんだ)

 何かを知っているのは間違いない、と感覚が告げている。時也は水津の顔もろくに知らないが、何故かずっと前から知っているかのような、不思議な胸のざわつきがある。不快である。出会う前からその存在そのものに嫌悪感を抱いている。その理由は、式神や害獣のようなものに殺されかけたからということに起因しているのとは、何となくだが違うような気がしていた。もっと別のもので、そして根深い。

 歩みを進めた先に、腐りかけの木の扉があった。鍵はかかっていない。ギシリと音を立てて開かれた扉の先にあるものを見て、時也は息をのんだ。

 ――広い空間に、液体で満たされた円柱状の水槽がいくつも並べられている。その一つ一つに何かが入っている。

(気持ち、悪い、な)

 背筋がぞわりとする。薄暗い照明の下、その水槽に浮かんでいるものは。そこに保存されているものは。時也はそれが何なのか、正確に理解していた。


「妖怪の、標本だ……」




◆◆◆




 時也へ伸ばした手は届かなかった。いや、届いていても藍葉も共に落ちただけだっただろう。取り残された彼女は、彼が言い残したとおりに、何も惜しまないことにした。兄に持たされた花火花の種――武器はそれしかない。

 式神に向かって投げつけると、爆発を起こしてその熱で焼き尽くした。距離が近すぎたせいで少し手を火傷した。ひりひりとした痛みがあるが、この際その程度のことを気にしてはいられない。早く冷やすべきとはいえ、この場においてはそう簡単な話でもなかった。

「時也さん……」

 此処の仕掛けのことは藍葉もよく知らなかった。元々全てを把握しているのは激流魔王ただ一人であって、藍葉は西区の中では秘密に精通しているほうではあるけれども、網羅しているわけではなかった。これはそんなトラップだったというわけだ。そして激流魔王が教えたのか彼自身が見つけたのか、水津はこれを利用できるものに数えていたのだった。

 彼は果たして無事でいてくれているだろうか。この城の仕掛けが安全なものだけでないことは藍葉もわかっている。きっと大丈夫だと信じたいが、不安はある。

「……ううん、私は私にできることをしなくちゃ」

 時也を西区まで連れてくることになったのは藍葉だ。時也を巻き込んだことに責任を感じないわけではない。だが藍葉は、時也が頼れる冒険者であると信じている。出会ったそのときに助けられ、その後も害獣や式神の恐怖から助けてくれた――決して長い時間を共に過ごしたとは言えなくても、彼女が時也を信じることに理由が不足することはない。彼女にとって、時也は信頼すべき素晴らしい冒険者なのだ。

 追ってきたものたちは時也と一緒に罠の底だ。時也ならそれを上手く切り抜けているだろう。此処に残った式神は燃やした。爆発の騒ぎを聞きつけて――あるいは式神が燃やされたことに感づいた水津が誰か寄越すかもしれないが、藍葉は今誰にも追われていない。誰にも見られていない今だからこそできることは何があるだろう。歩きながら考える。

「霧雪の娘!」

「やだ見つかった!」

 あっさりと水津の手下に発見されてしまった。花火花の種が手元に残りわずかあるだけだが――惜しまない。何も惜しむなと時也は言った。ならば使えるものはどこまでも使わなくてはならない。使えるものはどこまでも使い抜け――それは霧雪家の家訓でもあるのだから。

 派手な音を立てて炸裂する花火花の種は、ちょうど相手に直撃した。強い衝撃を受けて脳震盪でも起こしているのか、意識を失くしたようでそのまま倒れた。花火花の種の危険性を改めて感じるが、そのおかげで助かったようだ。

「ふう……あ」

 ひとつ大きく息をつき、ふと上を見て、思わず声が出た。そうだ、何故それを思いつかなかったのだろう、戦えなくても切り抜けられるいい方法があるじゃないか。

 通気口。ここからダクトを通れば、城中のどこへでも行けるのではないだろうか。おおよその構造はわかっているから、直感に頼ることにはなるが、ある程度移動できるはずだ。花火花の種を使い果たし武器になるものがない今、少なくとも無防備なまま廊下をひた走るよりは安全でもある。きっとこの中にまで誰かが待ち受けているということはない。

「――よし」

 倒れた追手を引きずって、それを踏み台にすると、ちょうど手が届いた。通気口をふさいでいる網目状の板を外す。狭い。狭いが、これなら藍葉の体格であればどうにか通れそうだ。壁をよじ登り、通気口に侵入する。それから体をよじりつつ、通気口の蓋を元に戻し、改めて前に向き直った。匍匐で前進し始めた頃、誰かの走ってくる音が聞こえたが、どうやら通気口のほうには気が付いていないようだ。今のうちだ。

 藍葉は、時也にもらった赤い石のブレスレッドを、そっと撫でた。

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