第十七話
秘密になっていただけあって城の警備の目は届かないらしい。確かに知らなければ使えない道だ。藍葉に案内され、彼女が激流魔王から教わったという隠し扉から城の中へ入る。トランシーバーから通信が入った。
『作戦を開始する』
騒ぎを起こす幻術担当の碧柳たちが動きだしたようだ。この間に時也たちと、激流魔王たちがそれぞれ中に入って水津を目指すわけだ。
(尤も俺と藍葉じゃほぼ戦力にならない気がするけどな……なんか変な死亡フラグ的な何かを感じるが)
だが、本当に、何か運がよくことが運べば水津をどうにかできる可能性がないわけではないのだ。冒険者である時也はそれなりに戦い方を知っているし、藍葉にも一応最低限に自衛できる程度とはいえ攻撃手段として花火花の種がある。明るい未来を想像できないところを、無理矢理暗い考えを打ち消して藍葉についていく。
「この先は魔王様の私物の物置に繋がってるんです」
出口はどんでん返しになっていて、知っていなければわからないように他の壁と変わらないような見た目をしていた。
(忍者屋敷……いや城だけど)
西区は秘密の通路だらけだ。これも激流魔王の趣味だろうか。そんな感想を抱きながら周囲を確認する。埃っぽい。音を立てないように慎重に体を動かして壁に耳を近づけて外の様子を窺う。ばたばたといくつもの足音が騒がしい。それにうるさいくらいに警報が鳴り響いている。どうやら幻術作戦は成功しているようだ。
外の様子を窺おうとする時也の袖を引いて、藍葉が言った。「私が見ます」
彼女がそっと扉を開けて外を窺う。人はいないようで、するりと体を外へ出す。
「あれ、霧雪さんの妹じゃないか?」
「っ! こ、こんばんはっ」
藍葉が慌てて扉を閉めたので、時也は耳を扉に近づけて音を聞くしかできない。やや震えたような緊張した声が聞こえるが、見つかるわけにはいかないので、藍葉の無事を祈るしかない。いつでも出て行けるように体勢だけは整えておく。どうやら顔見知りであるらしい。
「どうしてこんな時間にこんなとこにいるんだい。しかも土足って。病気で休んでる霧雪はどうしたんだ。だいたい今は非常の警報が鳴ってて避難命令が出ているってのに」
「ああ、ええと、そのう、兄上は今は落ち着いているので――それと違うんです、私その警報のことで此処へ来たんです。魔王様に急いで魔法の鏡を取ってきなさいって言われて――」
「鏡? もしかしてこの物置の中か?」
(!?)
話の流れが思わぬ方向に流れている。ドキリとしながら刀に手をかけ、警戒を強くする。心臓の動きが早くなったような気分がする。じわりと汗が噴き出すようだ。藍葉の声がする。
「そう! そうなんです、私はよく此処の整理をしてますから! 魔王様にお願いされているので」
「だからって土足で来るほど慌てるのはよくねえと思うが――何なら運ぶのを手伝おうか?」
「いえいえ、私の仕事ですし、そんなに重いものでもありませんから。あまり大事にしちゃいけないって言われてますし――私もすぐに行きますから、あなたは先に避難してください」
それならいいが早く来いよ――その言葉を最後に、足音が遠ざかっていく。どうやら行ったらしい。藍葉が扉を開けて時也を外へ導いた。
「今のうちです。こっちの道から行きましょう」
「ああ。演技派女優がいて助かったよ」
いくら西区の危機のためとはいえ罪もないものを攻撃しなければならないのは精神的にくるものがある。扉一枚向こう側で何も知らない男をその場しのぎのでまかせで騙しきった藍葉を称賛して、彼女の指示に従って走る。草履のまま走っているから床は汚れてしまうが、この際細かいことは気にしないでおく。汚れたものは後から掃除すればいいだけだ。
(それにしてもさっきの人――)
走りながら藍葉が騙した相手を思い返す。顔は見ていないが、恐らく彼は暗示を受けていなかった。暗示を受けているのなら、式神と同じように水津に都合のよいように動くはずである。藍葉を黙って見逃すはずがないのだ。
(全員を完全に操るってのはできないわけだな)
とりあえず最低限詳しい事情を知っているものさえ上手く洗脳してしまえば、周りもそれを正しいと思い込み、間違いがわからなくなってしまうという理屈だろう。水津は暗示をかける相手を選んでいるのだ。水津の魔術の限界ともいえるが、選んで暗示をかけているなら選ばれたものは優秀なものが多いかもしれない。手強い相手になりそうだ。
(やっぱどうにかして逃げなきゃならんのじゃないか)
必要以上の危険はできるだけ避ける。避けたい。可能であれば。危険を冒すのが冒険者だが、そもそも此処を走っていること自体が冒険そのものだ。恐ろしいことは嫌いなはずなのにどうして自分は冒険者なんかやっているのだろうと今更な疑問を抱きながら、時也は思考をやめない。
(避難、避難命令か)
暗示をかけていないものを避難させるということは、操れないものを追い出すということでもある。水津は今回の騒ぎが激流魔王のものだと恐らく予測できているはずだ。敵はこの騒ぎを逆に利用して激流魔王を完全に片付ける算段である――そんな可能性も十分に考えつく。まったく厄介な話だ。時也の想像が正しいなら、この城に残っているのはそれなりに優秀な、そして暗示にしろ本心からにしろ完全に水津の味方として行動するものだけなのだ。つまりは精鋭揃いである。
「あっ、時也さんそこ踏まないでください」
「えっ、あ、おっと」
藍葉に言われて足を止めようとして、勢い余って少しふらついた。「そこ仕掛けがあります」
よく観察してみると、床板が一部僅かに色が違っている。藍葉が言ったのはこれのことらしい。
「仕掛けって」
「気を付けてくださいね! 色々大変なので」
その色々を具体的に説明はされなかったが、大変というからには大変なのだろう。恐らくはこの城の防衛機能の一つなのだ。やはり激流魔王の趣味が露骨に反映されているということであろうか。時也は注意深くそろりと足の踏み場所を変えて、再び走り出す。藍葉について何度も道を曲がりながら、ただひたすら水津を目指す。
「それにしても分かれ道が沢山あるな」
「変な人が魔王様の部屋に近づかないようにって配慮です。迷ってしまうように」
「成る程。藍葉がいなきゃ辿り着けそうにないね」
それが魔王城のセキュリティなのだ。信頼できると判断された魔王城の職員や関係者だけが奥へ進んでいける。
「侵入者だ!」
「どこから入り込んだ!?」
「と、時也さん! 暗示を受けてる!」
藍葉の悲鳴とほとんど同時に、時也は床を蹴って手前の相手の懐に飛び込む。そこから掌底を顎へ突き上げる。ふらりと体勢を崩したところをもう一人がいるほうへ蹴り飛ばす。
「ぐわっ」
「――あら、ちょうどいいところに、きましたねッ!」
藍葉が一歩左へ寄って壁に触れる。ゴオッと何かが擦れる音がしたかと思うと、二人がいたところの床が抜けた。「ウワアアアーッ!」と二人分の悲鳴が響き渡ったのち、抜けた床がもとに戻る。
「グッジョブですよ時也さん! これで二人とも暫く上がってこられないはずです!」
「オオウ……」
城の罠を利用した藍葉の容赦ない行動のおかげで一旦の危機は脱した。この城を熟知している彼女だからこそできる芸当だ。敵とはいえこの迷路にいるような人物なのだから、暗示にかかっているだけの本来善良であろう魔王の忠臣だったのではないだろうか。そんな彼らにでも非情に徹する彼女は空恐ろしい感じがしなくもない。しかし一つ問題をクリアしたところでゆっくりもしていられない。今度はこの騒ぎを聞きつけたのか誰かがこちらへ向かってくるような足音が聞こえてくる。
「ほんと呑気するヒマはくれないな」
「全部終わったらゆっくりできますよ……きっと」
「言ってる場合じゃなさそうだ」
そして時也たちもまた走り出す。もう立ち止まってはいられなかった。誰かに追いかけられる感覚を振り払いたくて、ただひたすら走ることに集中した。
◆◆◆
数十年前に城に電気を通してから行灯の中身も火皿から電球になった。それだけではない、時の流れの中で人間が生み出した技術がヒノモトのありとあらゆる場面に浸透した。水津一月が生まれた頃には既にヒノモトの魔界は人間の世界との垣根を失い、魔王たちは人間に傅き、妖怪たちまでも交えて渾沌とした場所であった。
それがずっと彼にとっての疑問であった。魔族は優れている。寿命は長く、魔術を操る才能を持った強靭でしなやかな生き物だ。決して人間のように脆く弱い存在ではないというのに、どうしてヒノモトでは魔族と人間が同様に扱われているのか。人間の女帝を担ぎ上げることに一体何の意味があるというのだろう。何故――優れた魔族が弱き人間の支配を受けなければならないというのか。代々水津家に伝えられる陰陽道を受け継ぎ、魔王城で災害対策の仕事に就いて百年近く経つが、やはり魔族のためを思えても人間は憎らしいままだった。人間は強くもないくせに生意気で、魔族が優秀な種族であることを理解していない。それでいて魔術の叡智を真に理解できるはずもないのにわかったような口を利く。それが腹立たしくてならないのだった。水津は人間が憎らしい。
「水津様、ご命令どおり暗示をかけていない者たちを外へ避難させました。これでよろしいのですね」
「ああ、ご苦労。お前は持ち場に戻れ――今夜は忙しい」
耳障りなアラートの中、部屋を出て行く同志を見送る。水津は星を見ようと窓の外を覗き込んだ。しかし、ちょうど雲で陰ってはっきりとは見えなかった。吉凶は示されない。
「――されど引き返しなどするものか」
魔王の居室は彼が奪った。入念に準備を進め、同志を集め、賛同しないものには暗示をかけて黙らせた。政務を終えた魔王に近寄ればことはあっさりと片付いた。所詮魔王と言えども人であった。激流を冠する彼であっても数の暴力に勝つのは難しく、幻術というくだらない魔術の紛い物を操る彼の手下も決して強い生き物ではなかった。魔王のあるべき場所はいとも簡単に水津の手に入ったのだ。魔王の御殿はそのまま魔王城の機能の中心でもあったから、掌握は赤子の手をひねるようなものだった。
それを易々と返してしまうわけにはいかなかった。水津はやるべきことがある。やるべきことのために魔王を追い出し、楯突くものを蹴落とし、自分が何も知らない愚鈍の上で魔王のふりをしているのだ。そう――人間を排除する。力ある魔族は正しく評価され、人間などという魔術も使えない下等な生き物にすり寄る必要もなくなる。妖怪だって同じだ。賢しら顔で人と同じように振る舞うが、本質はたかが獣だ。獣であるなら人の下で屈服していればいいのだ。そのために魔族だけの、魔族のための本来の魔界を得なければならない。それが魔族のために必要なことだと、水津は信じている。
激流魔王は必ずこの場所を取り戻しにやってくる。そんなことはわかりきったことだった。目障りな幻術師を引き連れ、人間と交わることをよしとする愚かな魔族の端くれどもを率い、頭の悪い妖怪たちを従えてくることなど想像していないはずがない。攻め入ってくる前に始末をつけたかったところだったが、これはこれで大きな問題にはならない。魔王が奇襲をかけたつもりであっても、この機会に暗示の支配のもとにないものの目を遠ざけて、魔王を殺してそのまま成り代わってしまえば真実など闇の奥底だ。忌々しい霧雪の幻術師もみんなまとめて掃除してしまえばいい。
それに他にも見つけなければならないものはいる――水津は式神を通して見つけた青年のことを考える。霧雪の娘と共にいた若い男は、異質な存在に間違いなかった。水津は確信していた――あれはかたちこそ人間であれ、他の人間とは異なるものであると。それはずっと昔から水津が追い求めてきたものだ。人間のかたちをしているのは気に食わないが、それならかたちをかえてしまえばいいだけだった。その異質な魂さえ手元に確保できれば、古い魔術でどうにでもできる――。
彼の特異性は魔族の発展のために使われるべきものだ。霧雪の娘と共にいたのだから、きっと彼も彼女と共にいるはずなのだ。きっとすぐに見つけられる。東区を出て、神隠しの森を抜けたなら、西区へ至るだけなのだ。必ずこの西区にいる。彼にはこれからの水津の作り上げる魔界の礎となってもらわなくてはならない。その手段は水津がよく知っている。
「はやく、……はやくこちらへ来い」
これからの輝かしい未来を空想すると、ひどく気分がよかった。うっそりと微笑みながら、水津は部屋の隅の檻へと歩み寄った。この部屋を奪い取った時に運び入れたものだ。黒い檻の中で、理性のない獣たちが鼻息を荒くしていた。低く唸りながらその巨体を揺らし、檻にぶつけて騒ぎ立てている。目線を合わせると獣たちは大人しくなり首を垂れた。
魔力による変質で蛇のような鱗に覆われた指先が、鋼鉄の鍵を撫でる。そのまま鍵を外して獣たちを解き放ち、外へ送り出す。
「お前たちにも働いてもらうぞ。――そして私も」
白くつるりとした仮面を被り、部屋を後にする。各地へ放った式神へ意識を向けるのは既にやめた。探し物は向こうからやってきた。探すべき範囲はもう狭い。新たに式神を作りだし、それを操るべき場所は、もう特定されていた。




