第十六話
「なんだか、大変なことになりましたね」
「そうだね」
「迷惑をかけます」
「気にしないでもいいんだよ」
「……」
話をしようと言っても、これと言って面白い話題は思いつかなかった。暫くの間二人とも沈黙した。先に声をかけたのは藍葉だった。
「そういえば、嘉一郎さんは時也さんのお父様だって……」
「ああ、一応そうなるね」
「一応?」
「俺は養子なんだ」
親戚であるらしいから全く血の繋がりがないわけではない。けれど実の父親ではない。冒険者として生きていくための方法を教えてもらった師弟のような間柄。それが嘉一郎と時也の関係だった。書類の上では間違いなく親子だし、関係性としても親子といって差し支えないが、本当の親子とはいえない。本当の両親は時也が顔をしっかり認識する前に死んでしまったのだ。
そんな話をすると、藍葉は気まずそうに「嫌なことを聞いてごめんなさい」と言った。
「別にいいんだよ。ほんとの親がいなくても嘉一郎さんと音子さんがいたしそんなに寂しくなかったからさ」
「……音子さん、とても優しくて、温かな方ですよね」
「うん」
あの猫は長生きで気が利く猫だ。細やかな気遣いができる女性だ。毛並みの柔らかいのと同じような心根を持ち、時也を慈しみ育ててくれた。時也にとっての母の姿とはすなわち彼女だった。
「私も母上を亡くしました」
「藍葉も?」
「重い病気だったみたいです。詳しいことはあんまり覚えていないんですけど。私が小さい頃のことだったので」
両手の指を絡めながら呟く。
「音子さんが私にもよくしてくれたので、何だか、母上がいたらこんなふうだったのかな、と思っちゃって」
「……藍葉は寂しかった?」
「父上も兄上もいて賑やかだったから、平気だったんですけどね。それに、あの二人ちょっと生活力が足りないから私がいないと。――……だけど、やっぱり、寂しかったんでしょうか。私、友達も多くないんです」
「藍葉ならすぐに友達ができそうだけどなあ」
「飛び級が多かったので、同じ年頃の子とはなかなか知り合えなくて」
藍葉は時也に向かって言葉にして語りながらも、その目はどこか別の遠くを見ているようだった。
(それを寂しいっていうんだよ)
幼い頃に母親を亡くしたというのなら、彼女は十分な母の愛を得られなかったということだ。愛されて生まれてきただろうけれども、それを実感しないまま、おそらくは母親がやっていたかもしれない役割を、母親から教わるという過程を経ずに彼女が請け負ったはずである。そして彼女は頭がよく、同年代の子供たちとはわかりあうことのないまま成長してきた。それはある種の孤独に似ている。隣に立つものが少なすぎるのだ。
(俺は音子さんもいたし、何より前世のことがある)
時也には愛された記憶がある。自分をこの世に生み出した両親のことは知らなくても、前世で自分を愛した家族や友人たちと、親代わりとして愛を注いでくれた嘉一郎と音子の存在がある。そもそも冒険者の修行で必死だったので、周りからどんなふうに見られているか気にしている暇も余裕もなかったし、自分自身のことすらろくに目を向けてこなかった。藍葉はどうだろうか。少なくとも時也のように余計な記憶は何も持っていない。音子との触れ合いは、彼女の心を温めたか、それとも抉っただろうか。
「――過去の話をしよう」
「時也さん?」
「大して面白い思い出はないけど、時間を浪費するのにちょうどいいだろ」
「そう……ですね。じゃあ、時也さんのこと教えてください!」
「藍葉のこともね」
よくよく思えばお互いのことをよく知らない。今更すぎることではあるが、作戦決行までの間話すネタとしてはそれが最も相応しい。というよりも他に話すことがない。時也は世間の流行のような話題には疎いほうである。
(そういえば、俺の親って西区に住んでたんだよな……嘉一郎さんに話を聞こうと思ってたけど)
まさかこんなところで会うとは思っていなかったものだからそのことがすっかり頭から抜け落ちていた。今その話を聞いてもこれからの仕事に集中できなくなるだけのような気がするから、全て終わってからで構わないのだが。
それから二人で話し込んだ。他愛もない話だ。過去を語るというのは案外難しいもので、時也が話せることといったら、両親はいないが嘉一郎と音子が親代わりとなったこと。そして幼い頃から嘉一郎に冒険者になるための教育をされて、職業選択の自由などろくにないまま冒険者になって今に至るということだけだった。それまでに何もなかったわけではない。それを掻い摘んで話すのだが、そうするうちに時也自身の人生というものが色々と思い通りにならなかったものだと気がつく。害獣と戦うのは今も恐ろしい。大怪我をしたときはつらかった。冒険者となって不幸だと思っているわけではないが、なりたかったわけではなかった。示されたレールに従い、最低限の選択の中で生きてきた。
つまらないことだ、と時也は思った。少なくとも前世の自分は進学や職業を選択していたはずである。人生にそれなりに満足していたし、遠い未来に希望を持っていたはずだ。今の自分はどうだろう。死にたくないという思いが自分を生かしている。遠い未来は考えられないが、ただ明日が来ることを切望している。
「俺は死んでないが、生きてもいないのかもしれないな」
「生きていない?」
「面白みのない生き方をしてきたなあと」
冒険者としての人生は、時也にとって何なのだろうか。害獣を恐れながら、何とか依頼をこなして対価を受け取って生活している。いつの間にか戦うことに慣れはしたが、それを好きになったわけではない。自分自身で冒険者として生きていく意味を見いだせていないのだ。
「面白み、かあ……だったらこれから面白くすればいいんですよ」
「これから、か」
危険を伴う仕事だから長生きできるとは思っていないが、藍葉は時也が長生きすると思っているようで、「人生長いんですから」と言った。
「……私は、ずっと幻術の修行ばっかりです。兄上と違って才能に乏しいので、あんまり成果は出ていませんけど」
彼女はそうは言うが、時也よりはよほど魔法に近しい存在である。まず魔力を視認できるという時点で藍葉は人間の中では特別な才能を持っていると言える。
「霧雪の娘として、魔法を知り、幻術を学んできました。勉強は楽しかった。知らないことを知るのは自分の世界が広がる感じがして、好きです」
「……うん、わかるよ。面倒くさいなあって思うこともあるけど、楽しいよね」
「はい。魔法のことなんか、奥深くて、もっと知りたいって思うんです。知れば知るほど、もっとずっと好きになっていく。沢山本を読んだり、いろんな人にお話を聞いてみたり――そんな勉強が楽しい」
そうやって彼女は幻術にのめり込んできたのだろう。時也が死にたくないという思いで周囲のことも自分自身のことすらも気にしていられなかったのと似たようなもので、彼女の場合は探求心から他のことに目が向かなかった。
「――だけど、本当はあんまり意味がないのかもしれないとも思ってしまう。どうやったって兄上には勝てませんし、東区で新しい発見があるかとも思ったけど、こんなことになって」
「……まあ、予定より早く出てきたんだもんね」
時也と藍葉が出会ってそう日にちも経っていないはずなのだが、周りの環境はめくるめく変化して、何故か事件に巻き込まれている。慌ただしいことだ。
「私は幻術を使えない。兄上の代わりにもなれないんですよね……霧雪の子なのに」
「藍葉は碧柳さんの代わりになりたいの?」
「んー……それもなんだか違うかも」
「藍葉は碧柳さんじゃなくて藍葉だからね」
時也が言う。そもそも人というのは誰も全く同じにはなれないのだ。彼女は「そうでした」と笑った。
「私は私なんだから、私らしくしてればいいんですよね! なんだか当たり前のことなのに、すっかり忘れちゃっていたみたい」
「うん、藍葉は笑ってるほうがいいね」
そうして二人で話しているところへ、茶之介たちが来た。
「行くぞ、二人とも。そろそろ出発だ」
◆◆◆
藍葉には藍葉の仕事がある――激流魔王がそう言ったのは、彼女だけが激流魔王の秘密の通路のひとつを知っているからだった。
「あれって秘密の通路だったんですか?」
「誰にも言ってないだろうな」
「みんな知ってるのかと思っていたから……わざわざ話すことなんかありませんよ。私お友達も多くないし、元々魔王城の上層部については無関係の人には秘密にする決まりでしたし、話す機会もありませんでした」
本人に自覚はなかったようだが、激流魔王は彼女だけにその道を教えていたらしい。それは彼女が碧柳の助手として、また魔王の友人として頻繁に魔王城に出入りすることから利便性を考えた結果だと激流魔王は言う。信頼している霧雪の娘になら教えても問題ないという判断なのだ。
「自覚がなかったとは思わんかったが……そういえば俺も別にそういう話をしてなかったな。仕方がないか」
「す、すみません……でも、確かに言われてみればちょっと隠れてるみたいなところですよね……」
「隠れてるみたいじゃない。隠れているんだ。まあいい。ともかくだ、お前たちはそこから魔王城を目指せ。俺たちはまた別の道から行く」
「えっ、俺がそれを知ってもいいんですか」
思わず声を上げた時也だったが、魔王の「どうせ悪用できないつらをしている」という一言を受けて押し黙った。否定する要素がない。悪用するつもりもないが、そもそも真っ当な道を外れて何か悪用しようと考えられるほど時也は肝が据わっていないのだった。
茶之介は激流魔王についていくというし、嘉一郎は幻術のサポートに入るようだ。藍葉と時也の二人でのチームということになる。緊急連絡用に携帯用のトランシーバーを持たされる。
「まじかよ」
時也は自分が未熟であることを知っている。それに式神にも真正面からぶつかるのでは敵わない。そんな冒険者一人を戦えない少女一人と組ませるというのはいかがなものか――そう思う時也だが、この決定は覆らなかった。「頑張れよ時也」と茶之介に励まされる。時也はただ「……先輩も」と返すことしかできなかった。
(とにかく敵さんとは遭わないように、遭っても全力で逃げ切る……しかないな)
「宜しくお願いしますね、時也さん」
「……うん。頑張ろう」
「はい!」
浅瀬亭から船を使って水路へ出る激流魔王たちを見送り、時也と藍葉は誰もいない夜の街中を歩いていく。月明かりに照らされながら、大通りから路地へ入り、体を傾けないと通れないような建物と建物の隙間を進んでいく。
(猫にでもなったような気分がする)
建物の影で星の輝きすらもろくに入ってこないため、視界はとても悪い。ただでさえ狭い道幅をさらに狭くするゴミ箱にぶつかりながらも進み続ける。それにしても藍葉がこのような道を選んで進むとは意外であった。
「魔王様が教えてくれたんです。こういうところを行くのって時間の短縮になるし、冒険みたいで楽しいって」
「成る程……それは納得かも」
「子供の頃は怖かったんですけど、もう慣れました」
(そんなにしょっちゅう使ってるのか……)
藍葉の案内に従い進んでいくと、塀に突き当たる。藍葉はそんなことは関係ないとその場でしゃがみ込み、足元のマンホールを開ける。
「これってフェイクか」
「此処から魔王城の中に繋がってるんです」
「……激流魔王様って本当に地下通路好きだね」
彼女に続いて暗闇の通路の梯子を下りる。此処はどうやら迷路にはなっていないようで、少し歩くとすぐに出口に辿り着いた。
「よいしょ、っと」
外へ這い出ると、周りは花壇になっているらしいことがわかった。これで隠していたようだ。もっと周りを見回すと、時也の視界に巨大な建物が映り込んだ。
「……ワアオ、本物は圧巻」
夜の闇の中でも、その城は雄大だった。――西区の魔王城である。時也もテレビや雑誌で見たことがあったが、本物を見るのはこれが初めてだ。東区の城は華々しい優美さを持っていたが、西区のこの城もまた違った美しさを持っている。漆喰で塗り固められた白い壁が見える。
「それじゃあ、行きましょう、時也さん!」




