第十五話
浅瀬亭の地下室は時也が予想したより広く、集会所として使うのに十分な機能を持っている様子だった。人間も魔族も妖怪も入り混じって、ざっと十数名ほどか。ほとんどは人間だ。魔王の登場に気づくとざわりと沸き立つ。
「お戻りになられたのですね!」
「ああ、待たせたな。霧雪はいるか」
激流魔王が問いかける。ちょうどそのとき、奥のほうから誰か男性が現れた。
「魔王様がご帰還なされたと……」
「あっ兄上」
「…………藍葉?」
彼が話に聞く藍葉の兄のようだ。眼鏡をかけているからか知的に見える。とはいえ東区に遣いに出してまだ帰らないはずの妹が此処にいるのだからそれは驚きもするだろう。「ただいま帰りましたよ!」と元気よく挨拶をする藍葉を茫然としばし見つめて、それから茶之介を指さして叫んだ。
「貴様かこの紅茶野郎!」
「――碧柳、その頭の悪そうな台詞は罵っているつもりなのか?」
「藍葉を東区に届けろとお願いしたはずだが、いつからそんなに仕事のできない男になったんだ紅茶!」
「失敬な。俺は頼まれただけの仕事はしたぞ。藍葉嬢がこっちへ戻ってきたのは彼女自身の意思だ」
茶之介は不満そうに言った。さらに藍葉が補足を入れる。
「時也さんがこっちに戻ってくるのをお手伝いしてくれたんです! 峠さんは付き添ってくれたといいますか……」
そこでようやく彼の目が時也に向いた。眼鏡の奥のじとりとした視線に思わず肩がすくむ。それをわかっているのかいないのか、藍葉は時也の紹介を始める。
「時也さんは今まで沢山私を助けてくれたの。とても素敵な冒険者なんですよ、頼りがいがあって!」
(藍葉には一体俺を見るときどんなフィルターがかかっているんだろう……)
時也からすれば過大評価としか思えないのだが、何となく訂正することもできないまま、妙な居心地の悪さを感じている。妹の評価をどう感じたのか、時也を値踏みするような目が少しだけ柔らかくなったようだった。
「……時也くん、きみ歳はいくつかな」
「じ、十九です」
「一応うちの跡継ぎだぞー」
「あっならいい。夏目さんとこの子だったんですか、早く言ってくださいよ」
(なにがよかったんだろう……?)
時也にはさっぱりわからなかったが、「兄上ならわかってくれると思っていました!」と藍葉が何か嬉しそうにしているところを見る限り、何か兄妹の間で通じ合うものがあったようである。
◆◆◆
「改めて名乗ろう。僕は霧雪碧柳。魔王様のもとで幻術師として働いている」
藍葉の兄だよ、よろしくね。そう言って優しそうな笑顔を浮かべているが、先程茶之介を紅茶と罵ったときの形相が忘れられない時也にとってはあまり素直に受け取れない。
霧雪兄妹の父親である青羽は現在出払っているという。
「霧雪家の幻術の調整のために、ちょっとね。もうそろそろ戻ってくるとは思うけど」
「あの……兄上、頼まれていたものなんですけど、半分くらい使ってしまいました……」
例の花火花の種である。元々藍葉はこれを持ち帰るように言われて東区へ来たのだ。けれど、予想外の危険に晒され、滞在予定を少し短くして西区へ戻ることを選んだ。碧柳は苦笑する。
「こんなに早く帰ってくるとは思っていなかったけど、持って帰って来いと言ったのは僕だしね。まあちょっとくらい減っていることなんて気にしないよ。藍葉が無事ならそれでいいんだ。本当は、東区で何事もなく過ごしていてほしかったけど……そうもいかなかったようだし」
「兄上……」
「怪我もないし……僕が引き合わせておいて言うのもなんだけど本当に紅茶野郎の毒牙にもかかっていなくてよかった」
碧柳なりのジョークなのか本気で言っているのか、先程から茶之介に対して厳しい。見たところ歳は近そうだ。お互い西区と東区の魔王のもとで働いているという共通点はあるが、だからこその同族嫌悪ということだろうか。時也が茶之介の様子を窺うと、「人をまるで節操なしのように……」と呟きながら碧柳と睨み合っていた。時也はとりあえず見なかったことにした。
「そうか、夏目の息子か! それなら安心だ。うちの娘をよろしく頼むぞ」
暫くして幻術の仕込みが終わって戻ってきた青羽は、時也のことを知ると穏やかに歓迎してくれた。「下手な相手に娘はやれんが、夏目なら何も問題ない」と言う青羽の言葉は時也にとっては何となく重圧のように感じられた。
(夏目家って一体……)
自分が生まれ育った家のことながら、本当によく知らなかったが、やはり古い家柄であるだけのことはある――そういうことなのだろうか。それとも、単純に嘉一郎と顔見知りだから安心感があるというだけの話か。それにしても出会ったばかりで人となりをろくに知らないはずの時也に対して随分警戒心がないのだった。嘉一郎は戸惑う時也をおかしそうに見ている。本当に何なのだろうか。疑問は解決しない。
「さて……必要なものは揃ったかな」
浅瀬亭に集っていたものたちは、水津への対抗策として激流魔王の隠し通路を使って魔王城に侵入し、直接水津を捕らえる計画を立てていた。碧柳と、その父青羽が得意の幻術で注目を集めて、そちらに周りの目が向いている間に警備が薄くなっているであろう水津のもとへ行こうというのだ。
「勿論幻術だけでどうにかなるものでもないし、此処にいるみんなにフォローしてもらわないといけないけどね」
「魔王城に侵入するメンバーも一チームだけじゃ不安だ。確実に水津をやるために、バックアップチームも欲しいって思っていたんだ」
「藍葉ちゃんと時也くんを頭数に入れれば何とかなるよな」
「……あまり気が進まないな」
そう呟いたのは碧柳である。本来藍葉をこの事件に巻き込まないために彼女を東区へ送り出した様子であるし、彼女が作戦に参加することには抵抗があるのだろう。
「兄上、私だって霧雪家の娘です」
「藍葉……」
「小娘には小娘の仕事があるぞ」
割って入ったのは魔王だった。
「此処にいる以上頭数として数える。それに、魔法に慣れ親しんだ目は多いほうがいいからな……」
藍葉は幻術の修行をしている身である。彼女は神隠しの森という迷宮でさえ魔力の淀みを見破って進んでいける目の持ち主だ。それは貴重な才能である。時也や茶之介も魔法の土鈴がなければ神隠しの森で迷ってしまうのだ。
「水津に操られているかどうか、それを看破することも可能だろう。水津が魔術をかけたなら、その痕跡の歪みがわかるはずだ」
問題なのは、魔王城にいるものたちの多くは水津の魔術に惑わされ、激流魔王がそこにいないことに気が付いていないということだ。元々水津派の者は別として、彼らは悪意なく魔王に敵対することになる。物騒なことになる覚悟はしておかなければならないが、できる限り避けられるものは避けたい。そういう意味では藍葉の目は貴重な道具になる。
彼女自身のやる気を後押しするように激流魔王の言葉が加わったことで反論はないものとなった。いくら碧柳たちが藍葉を危険から遠ざけたいと思っても、そもそも東区ですら危険であったのだから、今更どこだって安全とはいえない。碧柳と青羽は顔を見合わせて、諦めたような溜息をついた。
「藍葉、少し持っていなさい」
「花火花の種? でもこれは兄上たちに必要なものなんじゃ」
「少しくらい減っても大差ないよ」
(まあ確かにもうすでに大分減っちゃってるけど……)
藍葉は少し迷ったようだったが、結局それを受け取った。彼女には戦う手段がなかったので、ないよりはマシだろうか。
「時也くん、藍葉をよろしくね」
「はい。勿論です」
「頼りにしているよ」
(プレッシャーをかけられている……!)
緊張するが、大事な娘を預けなければならないと思うとこの重圧も仕方がないものなのだろう。茶之介が「頑張れよ」と言葉をくれたが、碧柳から向けられた敵意に近い視線が彼を通り越して時也にも刺さるのでやめてほしいと思うのだった。
激流魔王は罠にかけられて魔王城から逃げなければならなかった。水津という男は用意周到で、息のかかったものを集めて執務中の魔王を襲った。魔王が入れ替わったことを気づかれないよう、暗示の魔術で城を支配している。元々激流魔王はあまり外に露出しない性質だったから、魔王の顔を見なくても誰も違和感を持たない。もし外部の誰かが接触を図ろうとしても、巧妙に顔を隠し通すことは不可能ではないのだ。魔王に似せた式神でも作ればいいだけである。そんなわけだから、騒ぎは未だ闇の中に隠されている。
――その闇を暴く。騒ぎを起こして混乱させ、魔王は本来の居場所を取り戻すのだ。勿論これで騒動は城の中のものだけではなくなってしまうだろうが、魔王城で起きた事件なら、幾らでも情報操作は可能だと魔王は言った。民に無用な不安を抱かせないためだということは理解できたが、時也は何だかヒノモト行政の闇を垣間見たような気分がした。
さて、幻術で騒ぎを起こすのが霧雪親子たちならば、水津のもとへ向かう魔王には茶之介と嘉一郎が着く。時也と藍葉も、魔王とは違う道から水津を目指す。魔王のような強さはないが、時也たちには時也たちなりの動きかたがある。状況によっては強い魔力を持つ魔王にばかり目が向いて時也たちが目立たずに水津に近づくことも可能かもしれないというわけだ。目くらましが上手くいったら隙を見て碧柳たちも動く――そういう計画である。
(すっごい大雑把ってか雑ってか、ずさんな気がするが……)
激流魔王の傷は完全に癒えたわけではないが、それでも魔王だけあって優れた魔術師だ。手段を選ばなければ多少の無理はまかり通る。明らかな戦力不足を魔王の魔術で補おうというわけだ。茶之介は戦力として派遣されてきたわけだが、時也たちは果たして役に立つだろうか。
(……いないよりはマシ、って言われる程度には働かなきゃいかんなこれ)
少なくとも藍葉のことは守る。それが時也の本来の仕事であり目的だ。そこに激流魔王を手伝うという仕事が加わった。冒険者らしく期待には可能な限り応えたいとは思う。それだけの努力はしよう。自分のことについて知りたいという打算もある。
(恵理さんに連絡するのは……後でいいか、それで許してもらおう)
藍葉の護衛という名目でついてきていながら、組合の冒険者として正式な手順を踏まずに激流魔王の計画に参加して別の方向へ流れている。事務手続きが面倒だが、全て落ち着いてから処理することにしよう。依頼の管理をしている恵理には迷惑をかけるが、この際それはそれだ。冒険者組合のシステムでは組合がある程度冒険者たちのスケジュールを管理していて、多少の融通は利くがこんなときはやや煩わしい。
計画を実行するのは今夜、人々が寝静まった真夜中だ。魔王城は行政機関でありながらそのまま居住スペースにもなっているので、水津は暗示を維持するためにそこから動けないはずである。そこに水津がいるのだ。出発までは暫く体を休めておくといい、と言われて部屋の奥にあった畳の座敷に腰を下ろした。
「あの、時也さん」
「藍葉。どうかした?」
「いえ……その、少しお話ししませんか」
ゆっくり雑談をするというのは緊張が解れるし時間つぶしにもちょうどいい。断る理由もないので、手招きして藍葉を隣に座らせる。実は少し落ち着かなくて、と彼女は呟いた。




