第十四話
「俺から離れるなよ。はぐれたら探すの面倒くさいからな」
「じゃあ、魔王様の尻尾触っててもいいですか? 絶対置いていかれませんから!」
「アホか、煩わしいだろうが。袖にしとけ」
「袖ならいいんですね」
「邪魔は邪魔だが尾ひれにべたべたされるよかマシだ……」
ぼんやりとしたランプの灯火を頼りに、暗闇の通路を進む。決して狭くはないが、さして広くもない道である。かび臭く、地下道であるためか空気はひんやりと冷たい。
激流魔王は歩きにくそうにしながらも藍葉が纏わりつくのを振り払わない辺り寛容だ。二人が腕を組んでも恋人同士に見えないのは、藍葉が子供っぽいからなのか、あるいは魔王が圧倒的に保護者の顔をしているからか。
時也と茶之介は、前を歩く二人を追いかけている。鱗に覆われた魔王の尾が揺れているのを見ると、何となく藍葉が触りたがる理由がわからないでもない気分がする。
(……西区か)
時也にとっては初めての場所だ。式神に襲われた。藍葉に頼まれた。そんなきっかけがなければ、まだ訪れることはなかっただろう。
「緊張しているのか?」
「茶之介先輩」
「足取りが重い――いや、固いようだが」
茶之介の指摘は正しい。時也にとって、これは今までの人生で最も重大な仕事だ。未熟な冒険者が挑むには重すぎるクエストだ。しかし前世からの魂にかけて、逃げるわけにはいかなかった。
「……そうですね。緊張しているのかも」
「気負いすぎるなよ。上手くいくものもいかなくなる。張り切るのはいいけどな」
茶之介に軽く背を叩かれる。心配をかけるほど態度に表れていたようだ。気を付けなければならない。
(そういえば、茶之介さんは……)
「先輩、は、日次さんの命令でしたね。この仕事」
会話ついでに聞いてみることにする。魔王といったら国の中枢にある存在だ。そんな相手と関わる仕事に緊張はないのだろうか。
茶之介は意外だと言わんばかりの驚いた顔をした。
「時也、お前あの方と面識があったのか」
「一応……一回会っただけですけど、最近」
それを面識と言っていいのかどうなのかわからないが、確かに会って話をしたことには間違いない。そして名前で呼ぶように言われて、時也は魔王と呼ぶのをやめた。
「成る程。あの方は二つ名で呼ばれるのを嫌うからな」
「茶之介先輩は、日次さんと親しいんですか」
「そうだな。あの方にはとてもよくしていただいている。俺が十一の頃からだから――もう十五年近い付き合いになるか」
返事は肯定であった。その目はどこか懐かしむような色で、語る言葉は誇らしげですらある。
「仕事に気を張らないわけじゃないが。自分を緊張の糸で縛りつけはしないさ」
日次様は動けない俺を望まない。彼はそう言って、自分の刀の柄をさらりと撫でた。藍葉と激流魔王のような家族に似た関係とは違って、その繋がりは主従に近いものである様子だが、彼らなりの絆があるのだろう。
暗がりの通路では音がよく反響した。足音すら煩いくらいだ。ときどき分かれ道があるが、どこまでも深く感じられる。
この通路は水路の真下を通っているらしかった。微かに水の流れる音が聞こえてくる。入口も濠の水の下だったくらいだ。水が道を隠してきたのだろう。そして、激流とあだ名されるほど水を操るのが上手い魔王だからこそ、その通路に自由に出入りできた。まさに魔王のために用意された道というわけだ。
「でも、こんな道をよく覚えていられますね……」
数十年と放っておいたというわりに、魔王はこの暗闇で惑わなかった。構造を完全に把握しているのだった。
「地図は頭に入れてある。それと音だな」
「音?」
「水の音が全部教えてくれる」
それは微かに聞こえる水路の流れの音だろうか。時也には全く聞き分けられない。しかし、彼には違って聞こえるという。
(規格外なのは魔族だからなのか、魔王だからなのか……そもそも身体能力なのか?)
耳がよいのか、魔術によるものなのか、時也には区別がつかない。どちらにせよ真似はできないので区別する意味もない。
魔王の導きに従って閉塞された空間を進んでいくと、石造りの壁に突き当たった。よく見ると鉄の梯子がかかっている。これが地上へ繋がる道のようだ。
「……でも錆びている」
これに足をかけても大丈夫だろうか。長い時を放っておかれたというのだから、錆びてしまうのも当然のことだが、壊れてしまわないか非常に不安だ。
「これでは、四人分の重量に耐えられそうにはないな……」
「ううん、ちょっと、怖いですね……危ないです。どうにかならないかしら……」
「補強すればなんとかなるだろ」
激流魔王は慣れた様子で錆びた梯子に水を纏わせることで補強を行う。魔術そのものは確かで、先程までの梯子の不安定さはなくなった。これなら登っていけるだろう。
(でもこれなんかもっと錆びそうだけどいいのかな……)
「魔王様、駄目ですよ。ちゃんとお手入れしないと!」
「使わんから忘れていた」
「ですが、このように水での補強を繰り返していては傷むのも早まるのでは……」
同じことを考えたのは時也一人ではなかったらしい。藍葉と茶之介の二人から指摘を受けて、激流魔王は気まずそうに目を逸らし、「いざとなったら金にモノを言わせて直すからいいんだ」と言った。
(なんて言い草だ……)
「とにかく行くぞ。もうすぐそこだ」
何となく釈然としないまま、促されて梯子を上がっていく。真上にある出口の扉を押し上げて出て行く魔王に続く。
「此処は……」
爽やかな風を感じる。外に出たのだ。それにしては薄暗い――その理由はすぐそばの建物の陰になっているからのようだった。空を見上げると太陽はまだ沈んではいないようだった。
「西区の南部居住区だ。此処から浅瀬亭に行く」
「そこに、父や兄もいるんですよね」
「ああ――連絡を入れないといけないな。船がいる」
そして、森を出るときのように、水の式神を使い魔として飛ばした。
(携帯電話が恋しくなるな……)
魔王の魔術の便利さといったら比べられるものがないが、やはりすぐに連絡を取り合える手段は欲しい。ヒノモトに電話はあるが、携帯電話はまだ一般化していない。前世のハイテクに想いを馳せる。日本の携帯電話は何かと多機能だったが、ヒノモトでもいずれ開発が進むだろうか。今後に期待だ。
浅瀬亭は南部居住区の五丁目にあるらしい。西区の土地勘がない時也には近いのか遠いのか全く判別がつかなかったが、できることといったら先を進んでいく魔王たちについていくことだけである。
路地裏から路地裏へ、人目を避けて進んでいく。そして水路に突き当たる。下に降りられるように階段と足場があり、船着き場として利用できるようになっているようだ。そこに一艘の船があり、船頭は笠を被った背の高い男だった。
「もう来ていたか」
「そろそろ着く頃かと思いましたんでね」
(あれ?)
その声には聞き覚えがある。時也がよく知る声だった。間違えるはずがない。男は笠を取って顔を見せた。
「まさか激流さんの連れに時也が混ざってるとは思っていませんでしたが」
その顔を知っている。前に会ったときと少しも変わった様子がない。
「嘉一郎さんが、なんで……!?」
「久しぶりだなア、時也」
男は――嘉一郎はからりと笑って、早く船に乗るように促した。
櫂を取る嘉一郎の船で、水路を移動する。魔王の尾は青いビニールシートで覆って隠す。不自然なことに変わりはないがないよりはましだ。
それにしても気になるのは夏目嘉一郎の存在であった。
時也の養父であり、冒険者の師匠だ。ほとんど家に帰らないが、たまに便りをくれる。一応無事のようだからとさほど深刻に心配したことはなかったが。
時也が疑念を抱くなか、初対面であった嘉一郎と藍葉が簡単に自己紹介をしていた。
「成る程、お前さんが時也をこっちまで連れてきたってわけか。俺はてっきり茶之介が引っ張ってきたもんかと思っていたんだが、そうか」
「俺が誘わなくてもこいつは来ましたよ」
「時也さんは私を沢山助けてくれて……」
(また話が盛られている気がする)
ちらりと二人を見る。すると嘉一郎と目が合った。
「俺の知らん間に成長したなア」
「何がですか」
「まだまだケツの青いガキには違いないけどな」
「何で今上げて落とした」
からかわれている。どうにも時也は年上の人物にはからかわれやすいたちだった。そしてそれをかわせるほど時也が器用になれないのは圧倒的な人生経験の不足だろう。いくら前世に生きた記憶があるといっても、老いることはできなかったのだ。
埒が明かないこともある。気になっていることは今のうちに聞いておきたい。
「そもそも嘉一郎さんはどうして此処にいるんですか」
「俺が仕事を依頼した」
「激流魔王様が?」
「ハッハッハ、冒険者の仕事ってやつだよ。お前がお前の冒険をするように、茶之介には茶之介の冒険があるように。俺には俺がするべき冒険があるってこった」
時也をそう仕込んだように、彼自身も冒険者としての資格を持っている。時也の倍以上の年月を生きた、いわば親仁ともいえる年頃の男だが、実力で言えば時也は決して敵わないのだろう。勝る部分があるとしても、若さからくる体力くらいのものだろうか。
(嘉一郎さんと一緒に仕事することになるとか、どんな偶然なんだよ……)
偶然的に出会った藍葉に求められて参加した仕事で、久しく会っていなかった養父と再会する。不思議な縁を感じないでもない。
(……でも、茶之介先輩はもしかして結構頻繁に会ってたのか? この反応だし)
時也が知らないところで、茶之介と嘉一郎が何か共に仕事をしていてもおかしなところは一つもない。一つもないが、それならもう少し、仕事の守秘義務に触れない範囲で構わないから連絡を寄越してくれてもよかったのではないか。嘉一郎の筆不精のせいで音子が寂しがっているのだから、改善してほしいところだった。
船は暫くして古い桟橋に辿り着いた。すぐ傍に古めかしい看板を掲げた居酒屋があった。看板には『浅瀬亭』とある。どうやらこれが目的地のようだ。
辺りに人は歩いていなかった。激流魔王は自分の尾を隠したビニールシートを取り払ってすたすたと歩いていく。時也たちもそれに従う。
浅瀬亭の戸を開けて中に入ると、剥き出しの電球がオレンジ色の光を放ち、店内を照らしていた。客はいない。見回せば壁はメニューの黄色い張り紙に覆われており、カウンターで店番をしているのは河童だった。
「いらっしゃい」
河童は目を合わせず俯いたまま新聞を広げている。嘉一郎と激流魔王は勝手知ったるとばかりに奥の座敷へ入っていく。「早く来い」と促されて慌てて追いかける。ちらりと横目で様子を窺うと、河童はやはり新聞から目を離さないまま、「ごゆっくり」と言った。
廊下を進んだ奥から一つ手前の部屋に入る。何の変哲もないように見えるが、嘉一郎が飾られている掛け軸をべろりと捲るとそこに引き戸があった。
(なんてわかりやすい隠し方だろう……)
やや立てつけの悪い戸の先に、下へ降りる階段がある。どうやら地下室がある様子だ。
藍葉が言った。
「さっき地下通路を通ってきたばかりなのに、また地下なんですね……」
「地面の下なら余計な邪魔が何もなくていいだろ」
「魔王様、狭くて暗いところが好きなんですか?」
「おい、人を根暗のように言うんじゃねえ」
「ハッハッハ、激流さんが地味なのは本当なんだからいいじゃありませんか」
「ぶん殴るぞ嘉一郎この野郎」




