第十二話
「俺の本来の仕事は激流様への用事だ。予定の場所とは違ってしまったが」
茶之介が言った。
「西区は異常事態だ」
「それ最初から知ってたんですか?」
「若干語弊があるな。ある程度予想していたことは認めるが、それ以上に深刻そうだ」
彼の言葉から察するに西区でトラブルが起きているのは間違いないことのようだ。
(藍葉の家族も激流魔王様も、そのトラブルに巻き込まれてるってことか……たぶん)
時也にとっては推測できるだけで、詳しい事の次第は不明なままだが、茶之介はある程度情報を得ているらしい。そこを解説してくれないのは彼の仕事の機密に関わることだからか。
激流魔王本人の登場により、その中身が漏れてきている。眠ったまま口を開かずとも存在そのものが情報のようなものだ。わからないことだらけでも、彼が何らかの危機に脅かされていることは悟らざるをえない。
魔王は魔族を総べる。ヒノモトにおいては帝政を支える存在でもある。沈黙魔王である日暮日次が東区の行政に関わっているように、激流魔王は西区の行政を任されている――彼が役割を外れて此処にいる。
(空恐ろしいな)
直接目にはしていないものの、西区の現状について嫌な予測ばかりしてしまう。
「――時也、お前、藍葉嬢を西区に送り届けたら、その後はどうする?」
「どうするって……」
「すぐに帰るという手もある。いらん危険に首を突っ込む必要はないからな」
時也は思考する。西区へ連れて行くことが依頼であるから、そこから先は藍葉に付き合う理由がなくなる。しかし、式神の繰り手がそこにいるのなら、彼女の家族の安否も不明な今、危険はなくならないどころか増す一方だ。そして時也は、その式神の繰り手を決して無視できない。
(敵は俺を知っている)
顔も知らない誰かを恐れて暮らすのは耐え難い。茶之介は時也には関係のないことだと思っているようだが、違うのだ。襲われたのは藍葉だが、時也でもある。追及されたくない事情を抱えているので未だに隠しているが。
時也の未熟な腕前では式神に打ち勝つことすら難しいが、西区で本体を探そうが東区へ帰ろうが式神に狙われることは変わりないように思えた。
「――藍葉が必要だって言うなら、俺はあの子を助けますよ」
(いらないと言われたって、それはそれで勝手にするだけなんだけど)
解決できる自信はないし、全てを曝け出す勇気もない。だが、時也は自身を脅かすよくわからないものを放置できるほど肝が据わっていないのだ。
「そうか。西区に留まるか」
「……えーと」
「藍葉嬢なら必ずお前を必要とするさ」
あれだけ懐かれているんだ、と茶之介は指摘する。確かに藍葉の時也への好意はどこから見てもあからさまだ。時也にとってはむず痒いものでもある。
「ま、彼女だけじゃないだろうがな」
「は?」
「人手は貴重ということさ」
◆◆◆
時也と茶之介が交代で仮眠を取りながら激流魔王の介抱をして、気が付けば外が白んできた。
(神隠しの森で寝たとは思えん平和さだ……)
結界に守られて、何にも脅かされずに一晩を越えたというのは信じがたいことだ。静かな朝だが、これから再び冒険が始まるのだと思うとさほど穏やかな気分ではいられない。昨日は式神を相手にして疲れたが、今日はそうならないとは言えないのだ。
(何故こんなに追い詰められてる気分がするんだろう)
本来は藍葉の護衛で来ているはずなのだが、それ以上にことが大きくなっている。
ごそり、と背後で動く気配がする。振り返ると、激流魔王が目を覚ましたようだった。挨拶をしようと時也が動くと、水の弾丸が時也の頬を掠めて飛んでいった。――魔術だ。思わず硬直する。
(……!?)
魔王が水の矢を向けながら、時也にじりじりと一歩ずつ近づいてくる――のを、茶之介が止めた。いつの間にか起きてきていたらしい。
「おやめください、激流様。そいつはこっち側です」
「――生き物なのか」
何故か生きているかどうかを疑われている。確かめるような目線を向けられ、とりあえず両手を挙げつつ「俺生きてます」と主張する。
(まあ死んだことはあるけど……)
それは言う必要がないので黙っておく。
激流魔王は時也を暫く観察して、どうやら納得したらしい。魔術は解かれ、今にも時也を貫かんとしていた水の鋭さは形を崩した。命の危機は去った。
「……すまんな。どうも気が立っていたようだ」
「い、いえ。別に死んだり怪我したりしたわけじゃないので」
その頃になって、時也たちの気配を感じたのか、藍葉も起きてきた。
「おはようございます……あっ魔王様! もうお体は平気なんですか?」
彼女は先程までの時也たちの殺伐とした事件を知らない。解説する理由もないので、彼女には知らせないままにしておくことにする。
◆◆◆
「初めまして。夏目時也と申します」
「知っているとは思うが激流魔王をやっている者だ。名を海堂汲出というが、使うことのないものだ。激流と呼ぶといい」
(日次さんとは真逆だな……)
茶之介と藍葉は顔見知りのようだったが、時也と激流魔王に面識はなかった。まともに自己紹介をしていなかったので、ここで改めて名乗り合う。沈黙魔王日次とは違い、激流魔王は名前を呼ばれるのは好まないようだ。違うといえば雰囲気も随分違い、細身で人間とさして変わらないように見える日次に対して、激流魔王は筋肉も猛々しく、人間ではありえない尾は怪物的ですらある。
(これが西の魔王か……)
「そういえば坊主、よくよく見てみるとお前の顔には見覚えがあるぞ。前に夏目の小僧に写真を見せられた」
「夏目の小僧……って、まさか嘉一郎さん……父とお知り合いで?」
「……まあ、な。嘉一郎か、あれは冒険者としてはそれなりに使える男だが。お前も冒険者なのか」
「時也さんはとっても頼りになるんですよ! 私を何度も助けてくれました! 今も私の護衛をしてくれているんです」
時也が答えるより先に藍葉が言った。「ほう、そこまで言うか」と激流魔王に観察される。
「――うちの後輩ですよ。腕はそれなりに」
「成る程なァ」
(なんか話が盛られている気がするんだが)
「だが、何故此処にお前たちがいる……? 小娘、お前は確か東区に遣いに出されたんじゃなかったのか」
「えっご存知だったんです?」
「霧雪のことはお前の馬鹿親と馬鹿兄がよく喋る」
激流魔王と藍葉は随分と気安い関係のようだ。彼女も霧雪家と魔王の関係を示唆していたが、その言葉に偽りはなかったらしい。時也が割り込む隙がない。
「それで、どうして此処にいるわけだ小娘よ」
「あの、実は……」
激流魔王にこれまでの経緯を話す。東区で式神に襲われたこと、藍葉の家族と連絡がつかないこと。それを訝しみ、藍葉は時也を雇って西区へ向かう途中であること。茶之介は目的地が同じだったので同行していること。
「式神に襲われたのか」
「それで、此処に来たら、魔王様を見つけて……」
と、そこまで話して藍葉は「あ」と声を上げた。
「私のことより魔王様です! 魔王様こそどうして神隠しの森にいらっしゃるんです。西区で何があったんですか?」
彼女がそう問い詰めると、激流魔王は眉間に皺を作りながら、一つ大きな溜息をついて言った。
「城を盗られた」
「……はい?」
「ぬかったわ。頭のいかれた水津の馬鹿野郎にしてやられた。おかげでこのざまだ」
不機嫌を露わにして舌打ちをする。だが、聞き捨てならない台詞だ。
「城を、盗られた?」
「な、なんでそんなことになっているんですか。他の皆さんは? 父や兄はどうしているんです?」
何かあるだろうとは構えていたが、予想以上に事が大きい。特に藍葉の動揺は大きく、その声は震えていた。
(先輩の言ってた厄介っていうのはこのことか)
「奴らとは浅瀬亭で落ち合う手筈だ。そういう約束になってる」
「じゃあ、無事なんですよね……?」
「知らん」
「知らん、ってそんな!」
心細く思っているであろう藍葉に応えたのは魔王ではなく茶之介であった。
「無事じゃなきゃ俺が困るな。西区へ来た意味がなくなってしまう」
「そういえば、峠さんのお仕事って……」
「――沈黙魔王の命により、これより激流様を助太刀致す」
(沈黙魔王って、茶之介先輩、日次さんと面識が……?)
思い返せば茶之介の着物と日次の着物の赤はよく似ている。優れた冒険者にパトロンがつくことはよくあることで、茶之介にもいておかしくないが、もしかすると茶之介のパトロンは日次なのだろうか。
(ありうる……)
茶之介は今、依頼ではなく命令で此処に来たと言った。日次との関係を察するに充分だ。わざわざ似合わない着物に袖を通すのも、日次が赤を好むからだと言えば理解できなくもない。
「全く、あなたも浅瀬亭にいるものと思っていたのですが」
「案外追手がしつこくてな。水津は馬鹿だが頭が回る。まあ、あれは俺を殺しに来ているから、まだわかりやすいほうだがな」
激流魔王の傷は簡易的なものではあるが、手当している。しかし痛々しい傷が一晩で完治したわけではない。こうして魔王を退けるほどの力を、その水津という人物は持っているのだ。
「あいつにこっちのことを知られるわけにもいかん。街を走り回るにはこの尾は目立ちすぎるし、ちいとばかし消耗しすぎていたからな。暫く隠れるにはこっちのほうが都合がいい。街の中にはどこにあいつの目があるかわからん」
「水津の手下はそこまで多いものですか」
「あいつは陰陽道の魔術を現代に伝える家系だ。息のかかったものはいるが、それ以上に式神だの暗示だの、厄介な魔術を持っている」
「式神……まさか、私たちを襲ってきた式神は、水津殿の……?」
「十中八九そうだろう。俺と親しい相手は消さなくては、あいつの計画が完遂せん」
(なんか俺が聞いてていい話じゃなくなってきたような……?)
何となく事情があることは察していたけれども、時也には関わりのないはずの話だった。そもそも冒険者が関係ないものに対して仕事内容を明かすような真似は普通しないし、魔王の話も無関係の誰かに聞かれていいものではない。
「……さて。時也とか言ったな、坊主」
「は、はい!」
「此処まで聞いたんだからお前も巻き込まれてくれるんだろう?」
そう言った激流魔王はあくどい笑顔であった。問いかけているようで、拒否権はない。元々時也自身飛び込むつもりにはなっていたのでそれは構わないことだけれども、逃げ場を完全になくされた。茶之介は何でもないような顔をしているが、夜に話している間に同行者ではなく当事者として扱うことを決めていたのかもしれない。
(一応俺藍葉の護衛って立ち位置なんだが)
「時也さん、私からもお願いします。時也さんが一緒だと、心強い」
藍葉が言う。
「きみは巻き込まれる気満々なんだね」
「そのために西区に戻るんです」
「俺は藍葉の護衛だから、藍葉に護衛がいらなくなるまでついていくよ」
「時也さん……!」
「そのために西区へ行くんだ」
(式神の使い手のことも、わかるかもしれない)
そうだ。最初から断る気などさらさらない。巻き込まれるつもりなのは、時也だって同じだった。
「夏目らしい答えだ」
「……お気に召しませんか?」
「上出来だ。駄賃は弾んでやろう」
◆◆◆
神隠しの森を抜ける。そして浅瀬亭へ向かい、激流魔王の味方と合流する。それが今やるべきことだ。
「水津一月。陰陽道を伝える水津家の末裔で、城で抱えていた魔法の研究者の一人だ」
水津一月――それが今回の事件の首謀者。
激流魔王曰く、ここ最近不穏な動きがあること自体は察知していたという。そこで、茶之介を通じて沈黙魔王日次と連絡を取り、いざというときのための準備を進めてきたのだと。だが現実には水津のほうが一手早く、激流魔王を側近ともども城から追放した。
「俺や俺の側近がいなくなっても、水津の式神がそこに居座れば周りはわからないものだ。それを本物だと思い込ませるくらい容易なことだ」
「暗示の魔術ですか?」
水津という人物が本当に暗示の魔術を使いこなせるのなら、この反逆は外に知られることなく実行できる。騒ぎを気づかせずに、全て思い通りに入れ替えてしまうことが可能になる。それを水津は実行したのだ。
「――俺は城を取り戻す。あの馬鹿に任せるわけにはいかん」
「水津殿はどうしてこんなことを……?」
「あいつの理想のためには、俺が邪魔で仕方がないんだ」
「理想?」
水津が掲げる理想とは何だろう。激流魔王の答えは、シンプルに一言だった。それはとても無謀なようで、恐ろしい理想だ。
「水津は人間を排除したがっている」




