第八話
「恵理さんとはたまたまお会いしましたの、お買い物の途中だったのですけど」
「休憩時間だったから、ちょっと外の空気吸おうって思って散歩してたらね、偶然」
二人が一緒にいたのは、そういう理由であるらしい。それにしても恵理は他の魔術師が忙しいとわかっていながら堂々と休憩に入る辺り遠慮というものが一切ないのだった。働いている魔術師の中には恵理よりも年上の魔族もいるはずなのだが、一定の年齢に達すると死ぬ直前まで若い姿のままで過ごす彼らの中には年功序列という言葉にはさして力がないのかもしれなかった。
現在、時也たちは冒険者組合事務所にいる。正体不明の何かに襲われたという事実について、情報の整理が必要だった。散々走り回って単純に疲れたということもある。
ほとんどの優秀な冒険者は街道工事の護衛に出ているために、人はそれほど多くない。いるのは魔術師と、時也のように護衛の経験が浅い冒険者が大半だ。時也の場合は害獣狩りに関しては冒険者組合の仲間の中でもそれなりの腕前があるからマシなほうだが、新人冒険者に至ってはほぼ完全に役立たずそのものである。
とはいえ冒険者組合に舞い込む仕事は一つではないので、優れた冒険者が全員出払っているかといえばそういうわけでもない。別の依頼のために此処で準備を整えている者がいるし、旅の途中の補給地点として使っている者もいる。人が多くないというだけで少ないわけではないのだ。時也が辺りを見回してみると、見慣れた赤い着物の男――峠茶之介もそこにいた。
「茶之介先輩、来てたんですね」
「おう。依頼のために準備をな……明日にはまた西区へ出発だ。そっちは何だか華やかじゃないか」
言われてみれば時也の他は藍葉と恵理、そして音子と女性ばかりだ。具体的には瑞々しい美少女と、見た目二十代半ばの金髪美女と、艶やかな黒い毛並みの美しい猫、そこに今一つぱっとしない冒険者が一人混ざっている。
(こう表現すると俺が凄く浮いているみたいな気がするのは何故だ……)
決して場違いではないはずの関係なのだが、猫も含めて美人に囲まれる十人並というのは何とも言えずつり合いが取れない――と少なくとも時也自身は思う――のだった。
「こんにちは、お茶くん。ちょっとした対策会議よ」
「対策会議?」
「あ、その、実は何だかよくわかんないものに襲われたっていうか……」
藍葉が言う。茶之介は興味を持ったようだった。
「何があったんだ」
「ええっと……」
時也も当事者ではあるが、上手く言葉に表すことができない。本当によくわからないものだったのだ。人の形をした、人ではない謎の何かだった。
「うーん、結局、あれって何だったんでしょう? 凄く怖い感じがしたんですけど」
「あれは、式神ですわ」
音子が言った。
「式神……そんなものが?」
「あら、お茶くん知っているの?」
「旧いヒノモトの魔術だろう。紙とか木の葉を使って生命に似せたものを作って操るという」
「そのとおりですわ。よくご存知ですね」
「詳しいわけじゃないが。知識として簡単に聞いたことがあるだけで」
「では、わたくしから少し補足いたしますね」
――曰く。
時也たちを襲ってきたのは式神というもので、陰陽道という旧い魔術によって生み出されたものだということだった。術者にとって都合のよい召使いのようなものであり、魔力によって自在に操ることができる人形であるのだという。人形を通して、間接的にものを見たり触れたりするのだそうだ。
そうやって生み出された式神は素材となったものの性質を受け継ぐらしい。恵理の魔術によって簡単に燃え上がったことを考えると、恐らくは紙でできたものだったということなのだろう。
あれが持っていた刀が鋭さを見せたのも、もしかしたら紙の切れる性質を現していたのかもしれない。
「わたくしが西区で暮らしていた頃……二百年ほど前でしょうか、その頃にはよく見かけたものです。東区のほうではあまり流行らなくて、今ではすっかり衰退したものかと思っておりましたが――あれだけ操れる魔術師がまだ現存していたのですね。随分精巧な出来のようでしたもの」
どう見ても人にしか見えないかたちをしたものから感じた、人ではない気配。時也が確かに感じ取ったそれは、そもそもが真っ当な生命ではなかったからだったのだ。
それにしても。
「……あの式神、霧雪って言いましたよね、時也さん」
「ああ……」
(そして俺を異質と言った。藍葉には聞こえなかったみたいだが)
あれの正体が式神だというのなら、それを操っていたものは何者なのか。
藍葉が霧雪の娘だとわかっていて攻撃してきたことは確かだ。彼女を敵視していることは間違いないのだろう。あれは始末するつもりで襲ってきたのだということは、最初の一撃を受け止めた時也が一番理解している。彼女には狙われるだけの理由があると確信している。
「私を襲ってきたってことですよね。どうして……」
彼女の表情は明るくない。それも当然だ。不安になって当たり前なのだ。ただの旅行のはずが、害獣に襲われるばかりか、本来安全であるはずの街の中でまで命を危険に晒された。これで安心できるわけがなく、本気で平気だと言えるのならばそれは鈍感すぎるだけである。
「霧雪、かあ……私の家に因縁でもあるのかな……」
「そればっかりは、私たちには推し量れないところよね」
「……気になるんだったら、一回連絡入れてみたらどうかな。折角電話ってものがあるんだし、便利なものは使わないと」
時也が壁際に設置された公衆電話を指さすと、藍葉は初めて気が付いたというような顔をした。
「そう、ですね。一度、父上と兄上に連絡してみます」
席を立って電話に向かう藍葉を見送る。あの式神についての謎が解けるかもしれない希望と、家族の身にも同様の危険が迫っているかもしれないという思いがない交ぜになっているようだった。
藍葉のことも心配だったが、これといって上手い気休めも浮かばないので、彼女の電話が終わるまでは口を噤む。何より時也自身も精神的に追い込まれているのだった。
(俺が異質なんて言われる理由は何だ……?)
時也は自分の秘密は誰にも話したことがない。前世の記憶があるという秘密。さして役に立ったことのない記憶は、されど時也の人格を形成する重要な部分で、捨てることもできずに密かに抱え続けている。深いところに刻み込まれた重みである。
異質。異質というのならまさにその秘密こそが当てはまる。
――あの式神を操っていたものは、まさかその秘密を知っているというのだろうか。誰にも打ち明けたことのないそれを、知っているということなのだろうか。
(薄気味悪い)
背筋に怖気が走るようだ。知らない誰かに知られたくないことを知られている。その誰かは藍葉を襲わなければならない理由を持った誰かであって、奇妙な縁を感じないでもない。
(そいつは、俺がこの世に生まれた理由さえも、知っているんだろうか)
「……おい、時也。どうかしたのか」
気が付けば、茶之介が時也の顔を覗き込んでいた。
「顔色が悪いぞ」
「え――いや、平気ですよ。何でもないです」
「あら、ホントに大丈夫なの? 疲れてる?」
「本当に何もないですって」
嘘だ。時也はあの式神が言った言葉が気にかかってしょうがない。もしかしたら、このことが今回の襲撃犯の正体を暴く切欠を作るかもしれない。けれど、できない。それを言うということは、時也の最大の秘密を洗い浚い白状するのと同じだった。それだけは絶対に許されない。時也は自分が異質のものであることを知っているが、他の誰にも異質のものだと認識されたくない。
時也は式神の異質発言については、黙っていることを選択した。それが正しいことであるとは証明できないが、間違っていることだとも証明はできないのだ。
ちょうどそのタイミングで、藍葉が電話を終えたらしく戻ってきた。
「話はできた?」
「それが……」
あまり思わしくない表情である。
「連絡が、つかないんです。どこにも」
「どこにも?」
家にも、兄の仕事場にも電話したんですが――と彼女は語る。
「繋がらなかった……いえ、違いますね。兄の仕事場には繋がったんですけど、本人がいなかったんです。私が東区に来てから、どうも顔を出していないようで……」
(これは……どういう意味だろう)
全く情報が得られなかったようでいて、そうでもない。詳細は不明とはいえ、彼女の家族に何かあったであろうということは想像がつく。
元々藍葉が東区に来るのには少々無茶な部分があった。安全な街道は塞がっており、護衛の冒険者も人手が足りない。修行の意味合いが含まれているのだとしても、戦う術に乏しい大切な娘をわざわざ危険に晒してまで送り出さなければならなかった理由は何だったのか。
「私、これからどうしたらいいんでしょう……」
か細い声をしていた。
彼女は今、追い詰められているのだ。時也とは違った理由だけれども、彼と同じものによって心が圧迫されている。一体何と声をかけたらよいのだろう、と時也は迷った。
(電話しろと言ったのが失敗だとは思わないけども)
情報ならば僅かであれど確かに得た。それはつまり、右か左か、選ぶべき道が示されたということなのだ。西区へ行くのか、まだ東区に留まるかの二択だ。
どちらにせよ危険は伴う。藍葉を襲った相手が霧雪家に因縁を持っているのならば、どこにいても脅かされると思って行動したほうがいい。
既に彼女の家族が危険な目に遭っていると仮定するのなら、西区に戻るのは命を縮める行為にも等しい。罠がないとも限らないし、それ以前に神隠しの森を歩かなければならないという課題がある。
とはいえ、東区に留まるにしても、ホテルの部屋を借り続けるわけにもいかない。冒険者組合の安宿に移るのも良いが、資金的な限界がある。いずれは西区に戻るのだから、そのための資金は確保しておかなくてはならない。そう長い間東区にいることは難しいだろう。
時也としては夏目家の余った部屋を提供するのもやぶさかではないが、安全を保障できるものではない。音子が言ったように式神によって干渉が可能というのなら、東区にいることが相手にばれているということであり、迂闊に街中を歩いているうちに襲われる可能性も否めない。
要は、いつ西区へ戻るのかという問題なのである。どうするにしても何らかのリスクは負う。あえて東区に留まって利点があるとすれば、街道工事が終わるのを待てば、とりあえずは神隠しの森を通る危険を避けられるというくらいだろうか。歩けば相応に時間はかかるけれども、街道の修復さえ済めば公共交通機関というものがある。バスに揺られて寝ているうちに着く。
実は船を使った海路がないわけでもないのだが、あまり一般的ではない。というのも、燃料が高価でコスト的に非効率であるのと、海の荒々しさや害獣の危険度が理由である。ヒノモトと海外との交流はあるにせよ、安全対策がしっかりしている船はまだ一般市民が気安く使えるものではなく、国内を移動するだけならやはり陸路が望ましい。
海を行くことがないにしても、彼女はどうするのだろう。どの道を選ぶのだろう。
最初に声をかけたのは音子だった。
「これからのこと――それは、藍葉さんご自身が選択しなくてはなりませんわ」
「選択……」
「まずはあなたがどうしたいのか意思を示さなくては、誰も行動できませんもの」
音子の言葉は、いつもと変わらない穏やかさでそこにある。時也を導いたように、藍葉にも示している。
少女が何かやりたいと言ったのならば、此処にいる誰もが、それを受けて手を差し伸べられる。少なくとも藍葉を知ってしまった時也は、彼女を見捨てられない。
藍葉は時也たちに向き直って、頭を下げた。
「私とビジネスをしてください」




