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プロローグ1

 その鮮烈な在り方に、心奪われたのを覚えている。



 あれは五歳のときだった。父上に連れられて、兄上と共に、魔王城に挨拶に行ったのだ。

 霧雪きりゆき家にとって、魔王というのは非常に重要な存在だ。初代霧雪は魔王と友だったらしい。その縁で、代々霧雪の者は何かしらの形で長命である魔王と交流を続けてきた。初代のようにただプライベートな友人として付き合った者もいれば、一切の私情を挟まないビジネスパートナーだった者もいる。兎に角――大きな意味で言えばだが――友好的な関係を築き、守ってきたことは事実で、霧雪の当主が次世代を紹介するのも数百年に渡る慣習というものだった。

 九つも離れた兄は、才能に恵まれた人で、努力を怠ることもしなかったから、その頃にはもう次期当主としての正しい立ち振舞を知っていた。背筋を伸ばし、堂々と自分の立場を示す兄は歳が離れているそれ以上に大人びて見えた。

 私はしっかりものの兄の隣で、少し緊張していた気がする。昔のことだからあまりはっきり思い出せるわけではないけれど、ただ、とても印象深かったことは間違いない。



 ――私が、初めて、激流魔王と出会ったそのときのことは。



 父と兄は挨拶もそこそこに、何か難しい話をしていた。内容は残念ながら忘れてしまった。そのときには興味がなかったし、今なら理解できるかもしれないが、聞いてもわからなかったのだ。仕方がない。何せ子供だったのだから。きっと大事な話なのだろうとはわかったので、大人しく黙って隣で座っていた。それ以外に取るべき行動がなく、他にできることもなかったから。

 そこへ、不意に手が伸びてきたのには驚いた。吃驚して固まってしまった私の頭の上に、その手を乗せて、



「いい女になれよ、餓鬼」



 たった一言。

 それはとても簡単で、ぶっきらぼうな言葉。

 彼が私を撫でた手はどちらかといえば細身な父上や兄上と違って、大きくて無骨でやや乱暴だったけれど、父上や兄上と同じように温かかった。魔王と呼ばれるに相応しいような、鋭い目付きの、筋骨隆々とした恐ろしい人――そのはずなのに、当時の私は震えることも泣くこともしなかった。全く怖くなかったといえば嘘だし、いくら魔王が気安く触れてくるからといって緊張が解けたわけでもない。

 ただ、圧倒されていたのだ。外見だけではなく、かの人から漂う風格というものに。そこにあるだけで強烈に惹きつけられる、そんな独特の雰囲気を持った眩しさに。

 当時は魔王は偉い人なのだという漠然としたイメージを持つだけで、右も左もわからないような状態だったが、幼いながらに、私はその人が敬意を払うべきものだと感じていたのだ。



◆◆◆



 霧雪家家訓その一、何にも恥じない姿であれ。



 ――顔よし。

 ――服装よし。

 ――髪型もよし。

「うん、我ながら完璧じゃないかしら」

 鏡に写る姿をもう一度ターンしつつ確認して、身嗜みチェックは終了。やはり淑女なのだから、それがたとえ自宅の中で相手が家族しかいなくとも常に外見は気にしておくべきだろう。目覚めはばっちり爽快。それにしても懐かしい夢を見た。

 あれは今から十年以上も前のことだというのに、どうしてなかなか記憶というのは薄れないものだ。私も兄同様に成長し、母が亡くなり、父も老いるほどの時が流れても、魔王さまは全く老いる気配もなく、若々しく逞しい姿を保っているのだから、魔族というのは凄い生き物だ。まあ、それも魔王さまが肉体に強い影響を及ぼすほど膨大な魔力の持ち主だからであって、並の魔族なら人間よりは遅いといっても多少は老いるものなのだけれども。考えが逸れたが兎も角、今日も今日とて気持ちの良い朝である。

 時計を見れば六時ジャスト。父上と兄上が起きてくるのは大体いつも七時過ぎだから、それまでに朝食の準備をしなければならない。とはいっても二人とも基本的に少食だし、私も朝はそれほど食べるわけではないので、とりあえずは白いご飯と味噌汁さえあれば大丈夫だ。

 となれば、文明の利器たる炊飯器先生とガスコンロ教授の出番である。昨晩からちゃんと今朝に炊きあがるようタイマーをセットしておいたからお米のほうは心配無い。あとは教授の上に鍋を乗せ適当に味噌汁を作るだけ。薪割りなんていらないし火起しなんて一瞬。文明ってなんて素敵なんだろう。具材は何がいいかな。昨日はじゃがいもと玉葱にしたから、今日はワカメとお麩でいいかな。ちょうどあるし。

 朝食の準備をしながら、テレビをつける。朝のワイドショーの話題なんて特にこれといって面白いことを言っているわけではないのだが、大体世の中の流れがどんな感じなのかくらいは掴める。景気がどうの、流行がどうの、最近の出来事のあれこれ。最近は害獣被害が酷いらしい。そのせいでヒノモトの東西の都市を結ぶ街道が一部破壊されたようで、暫く通れないのだとか。街のほうにやってくることもあるとかいうから、外を歩くにも用心せねば。



 暫くして味噌汁が出来上がるような頃、外から足音が聞こえた。「藍葉あいは〜……」と呼ぶどこか寝ぼけた声は兄上のものだ。それに続いてもう一つ足音が聞こえるのは、これは父上だろう。唸っているような、言語にすらなっていない謎の声を発しているが、どうもこっちもまだ覚醒しきっていないらしい。我が家の男衆ときたら、どうにも寝起きが悪いというか、朝にはてんで弱い。家訓その一を全然守れていないような気がしなくもないけれど、外面はそれなりにまともに取り繕っているから、問題無いといえば問題無いが。

「おはようございます、父上、兄上。ちょうど朝餉の準備ができましたよ」

「んー……」

「ほら、しっかり目を覚まして、二人とも。あと父上、お箸上下逆です、持ちにくいでしょそれ」

「あー……本当だ……」

「もう、しっかりしてください」

 そうは言ってみるものの、父の目は今一つしっかり開いておらず、頼りない。その隣で兄は黙々と箸を運んでいる――が、会話に加われるほど頭は働いていないようで、目が虚ろでこっちもこっちで頼りない。私は二人のことは放っておくことにして、自分もご飯に手をつける。

 手の込んだことをしているわけではないが、温かいご飯と味噌汁というのは良い。ヒノモト人は米と味噌に限る。これぞ心の故郷、魂に刻まれた祖国の味というもの。食ほど人類にとって重要かつ重大な生命維持機能にして嗜好の品は他にあるまい。

 私がヒノモト食の素晴らしさを噛み締めていると、そろそろいい加減身体も頭も起きてきたのか、兄上が言った。

「そういえば藍葉、お遣いを頼んでもいいかな」

「お遣い?」

「うん、お遣い。神隠しの森はわかるだろう?」



 神隠しの森。



 ヒノモトを西と東に分ける、広大な森。そこはいわゆる霊地であり、森の中心には森神を祀る祠がある。

 ――とまあそれだけなら何でもないのだが、霊脈から漏れ出し空間を満たす魔力が渦を巻くほど大きく、空間そのものが捻れているせいで、とんでもない迷路になってしまっているという厄介な場所でもある。予めどんな風に歪んでいるのかわかっていれば、或いはその歪みを示すような道具だとかしっかりと準備さえしておけば、空間の綻びを見つけて迷うことなく(選ぶ道によっては大幅なショートカットにより一日かかることなく)森を抜けられるが、そうでなければ森を出られなくなってしまう。出られたとしても、元の場所に無事に出られる可能性は限りなく低い。神隠しの由来である。

 別段これといって用事がないので近頃は近づくこともなかったが、一応私も先祖代々幻術を伝える霧雪の娘として(とはいっても未熟者の私にできるのは簡単な対処法や幻と実物の判別くらいなもので、自分自身の力で誰かに幻術をかけるなんて高等技法は身につけていない……訂正、そんな高等技法を操るまでの才能はない)、その抜け方を知っている。だからこそ兄上が話題に出したのだろうけれども、お遣いとは一体どういうことだろうか?



「ええと……何の用事なの?」

「東区の冒険者組合までちょっとした届け物をね。それと、僕宛の荷物を貰ってきてほしいんだよ。少し前から街道が塞がってるから宅配便が働かないし……復旧の目処はまだ立っていないからね」

 兄上は今朝のニュースを見ていないが、代々魔王さま御用達……と言っていいのか、霧雪の幻術師として、西区の行政の全てを統括する西魔王城によく出入りしている。公共のものについての事情には通じているようだ。成る程、街道が使えないままなのは非常に不便だがいつまで続くのかもわからない。だからこそのお遣いというわけか。

「東区に行くには森を通るのが一番早い。僕の荷物のことはゆっくりでもいいけど、届け物のほうはできるだけ早く送ってしまいたい。同僚に東区の観光ホテルのタダ券……っていうか、招待券か。貰ったから本当は自分で行けば良いんだけど、当分忙しくて時間が取れそうにないからさ」

 お願いできるかい? と何気ない調子で言われれば、現在修行中の身であり主だって仕事をしているわけではない私は時間だけはある。頷くしかない。

 元々迷路になっている森だ、全く安全なわけではないが、本来安全なはずの街道は通れない。他のルートを選ぶにしても、森の南側の渓谷ならどうにか通れるだろうが、とても険しいうえに足場が脆く崩れやすいという相当な危険地帯だ。歩き方を知っている以上、森を行くのは無難な選択である。実際近道には間違いないのだし。

「行きについては東区の冒険者がこっちに来てるところ話をつけてあるんだ。向こう帰るとき一緒に連れて行ってくれるようお願いしてある。帰りも向こうで誰か捕まえてくれば安心して戻って来られるだろう?」

「それはいいですけど……って、ちょっと待って。話が急すぎるわりに用意周到すぎやしませんか!?」

 そうだ。何となく流されていたが、私の旅支度以外は完璧に揃っている。別に今は旅行の季節とは外れているし街道が通れない以上旅行客なんて少ないだろうし、電話でさっさと予約すれば寝泊りする部屋を取ることくらい造作もない。旅支度も、神隠しの森をショートカットで行けば一日かからず東区に到着できることを考えれば、最低限のものだけぱぱっと鞄に詰めて、あとはいっそ着替えだの何だの細かいものは向こうで調達するのもアリだ。まるで最初から私を行かせる気満々だったような抜け目のなさである。非常に怪しい。



「まあ細かいことは気にせず観光してきたらどうだ。お前は真面目だからこういう機会でもないと遊びに行くなんて滅多にないだろ」

「父上……」

「良いから行ってこい。これもまた経験だ。毎日根を詰めるばかりじゃわからんこともあるだろう」

 それは確かに一理ある。教養学舎を卒業して以来、ここのところ、出かけるといったら食品の買い出しくらいなもので、あとは霧雪の幻術の研究に没頭していた。目下の研究テーマは何らかの媒介を使って幻術を行使する方法についてだが、今ひとつ成果は出ていない。行き詰まっている状態なのだし、気分転換にはなるかもしれない。

「それじゃあ、早々に旅支度を整えなくてはなりませんね」

 まあ、やや強引に丸め込まれた感じはするが。元より断るつもりはなかったので別に良いのだが、裏がありそうな気がするのは本当にただの気のせいなのだろうか。

「とりあえず明後日には出発してもらうことになるから。荷物は軽目に纏めておけよ。沢山持っていっても嵩張るだけだし、足りないものは到着してから買い込めばいいからな」

「ええ、そうします」

「旅費は心配せずともこいつが全て出すからお前はお遣いの責務を果たして観光を全力で楽しめばいいぞ。どうせこいつに金なんかあっても使わんからお前が使え」

「はい、そうします」

 横で兄上が「使わないのではなく貯めているのに……いや藍葉のためなら幾らでも出すが……しかし……」と何やら父上の認識に対して不服な様子を見せていたが、気付かないふりをしておくことにした。




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