独身同盟
「俺とお前、独身同盟な」
微笑む彼にそう言われた時、私は心のなかになぜか生まれた安堵感をそっと抱きしめた。
あとひと月もしないうちにクリスマスが来るというのに、浮き足立つことなく普段通りに過ごしている彼がどうにも理解出来ない。私は今年も彼氏ができず一人ぼっちで過ごすのかとため息を漏らしているというのに。男子ってこういうのに盛り上がるものではないのか。それとも私が男っぽいだけだろうか。
幼なじみでもなんでもない彼と一緒に帰るようになったのは、たまたまバイトの場所が近かったからだった。当然方向が一緒だから一緒に帰るようにもなる。何でもないただの友達関係が崩れたのはいつだっただろう。運命的な出会いでも何でもなくって、徐々にほんの少しずつ構築されていった私の恋心。いつそれに気づいたかさえ覚えていない。
そして今日も彼は微笑みながらバイト先に消えていった。私のバイト先はそこから二軒ほど先のカフェで、二人の休憩時間が合えば裏道を通って会いにいけるような距離だ。世の遠距離恋愛継続者に申し訳ないような二人の距離。でも私にとってそれは地球の裏側に行くよりも遠い、飛行機に乗ってもロケットに乗っても行けないような遠い遠い距離なのだ。
バイト先までのほんの少しの距離を、ニヤけながら歩いて行く。ドクシンドウメイだって。それぞれ確かに独り身だけど、裏をかけば彼は絶対に誰ともくっつかないってこと。付き合えなくてもこれは大きい。独身同盟、か。悪くないね。
それから数時間。やっとバイトが終わり店を出ると、遠くの方にイルミネーションが見えた。クリスマスを意識しているのだろうか。ああいうの、人生で一度でもいいから男の人と観に行ってみたかった。小さい頃に父親と行ったことはあるが、それとはちょっと違う。
と、ちょうどいいタイミングで彼がバイト先から出てきたのが見えた。今日は珍しくお互い終わる時間がかぶったようだ。なんというベストタイミング。これを運命と言わずしてなにが運命だ。なんてちょっとナルシストぶってみる。私のキャラに似合わないけど、たまにはこんなテンションになってもいいよね。たまには。
急いで彼のもとまで行って、気付かれないように背後から近づく。同じ速さで後ろをついていき、そっと右手で肩をツンツンっとしてみる。すると彼はビクッと驚いて、慌てた表情で振り返った。首に巻いたマフラーがそのまま綺麗に弧を描いて、静かに彼の肩に落ちていく。私は無言で何秒か彼の表情を見つめて、そのあとイルミネーションを指さした。正直言うと見つめたのではなく、彼の驚いた時の
表情があまりにも間抜けで反応に困っただけだった。でも、彼も無言のまま指でOKを作ってくれた後からなんだか緊張しているみたいなので勘違いされたかもしれない。
イルミネーションの方に向かっていく足取りがお互いに速い。もっとゆっくりと話なんかするべきなのだろうが、そんな雰囲気は微塵も感じない。ただちょっと遠めな帰り道を進むといった感じだろうか。なんて無機質なんだろう。
沿道ぞいのイルミネーションは華々しく煌びやかだった。BGMこそないものの、数種類のイルミネーションが並んでいる様子は見応えがある。さっき男の人と一緒にこういうのを見たいって思っていたのに、もうかなってしまった。後でバチが当たらなければいいけど。隣の彼は特にはしゃぐ様子もなく淡々と観ては、一応私に一言残してくれる。綺麗だねとか、可愛いねとか。彼も不器用な人だ。表情を作るのも苦手だし言葉を選ぶのも苦手そう。きっと今だってコートの中に手を突っ込んではポケットの中で携帯電話を転がしているのだろう。私は気づかないふりをして彼についていった。私が誘ったというのに、彼はあまりに歩くのが早くついていくのも精一杯。もうちょっとレディーの気持ちも考えてくれたら嬉しいけど、こんな彼でも彼は彼。やっぱりこうしているだけでも私は胸いっぱいなのだった。
最後のタワー型のイルミネーションを見上げ終わった時、彼は物寂しげにため息を漏らした。私のわがままに付き合ったせいで疲れてしまったのだろうか。それともこんな私に嫌気がさしたのだろうか。彼女でもない私とは観たくなかったのだろうか。色々な想像が私の心を集中砲火する。急に心配になった私は彼に何回か声をかけたが、彼はすべてなんでもないで済ませた。そんな一言で済ませられたらますます心配になる。そうしているうちにどんどん気まずくなっていって、帰り道は氷の棘の上を歩いているようだった。
そのうち本当に空気まで冷たくなってきた。相変わらず微妙な距離感の私たち。さすがに今日は失敗だったな。わざとすましたような表情をして空気をごまかすくらいのことしかできない。一応彼は私の住んでいるアパートまで送ってくれるらしいのだが、逆に申し訳ない。そうしているうちにアパートが見えてきた。よし、軽く謝ってすっと帰っちゃお。
「じゃ、ここだから。今日はごめんね。でもありがと。じゃね」
ふぅ、と一息つき、彼に背を向ける。これで一件落着。と思ったその時、彼に呼び止められた。
「ちょっと待って。あのさ……」
「ん?」
急なことで戸惑いながら振り返った。すると私の振り返った表情がおかしかったのか、彼は引きつった表情で不器用に口を開きだした。
「あのさ、ちょっと早いけど、独身同盟、撤回しない?」
する必要もなさそうだが彼は身振り手振りを加えながらそう言った。引きつっているというよりもはや泣きそうなその表情に、私はくすっと笑ってしまった。
「え、あのそれどういーー」
「俺と付き合ってほしい」
私のセリフに完全にかぶせながら、彼は叫ぶようにそう言った。なんてこった。こんな雰囲気で告白してくるなんて。嬉しいという感情が押し寄せてくる前に驚きが押し寄せてきてキョトンとしてしまった。目の前に彼がいて、その彼が私に告白してきている。それはわかる。でも、でも、なんだこれ。私が慣れていないのか、それとも彼が慣れていないのか。はたまたお互いに慣れていないのか。二人共お互いの目を見ながら固まってしまった。
しばらくして、私はまたクスっと吹き出してしまった。もう自分でも自分のキャラがわけ分らなくなっている。そんな私を見ながら、彼はますます泣きそうになっている。なんだこれ。仕方がないから私の方から口を開いた。
「独身同盟、撤回ね。次は何同盟になるの?」
そう言って私は彼のコートのポケットに片手を入れた。予想通り彼は携帯電話を握り締めている。あったかくって安心する。手の先だけじゃなくて、そこを伝って体が熱くなっていく。
「え、んん、わかんね。わかんねぇ。わかんねぇよ」
彼は泣きそうに引きつっている顔で無理に笑顔を作っている。いや、これこそ心からの嬉しさなのだろうか。こういうのも不器用な彼らしいかな。
「そっか。わかんないか」
私は遠くイルミネーションの方に視線を移した。もう見えないけど、なんとなく。彼は恥ずかしそうにまた違った方向を見ている。そんな彼をよそに、私はコートのポケットの中でこっそり手をつないだ。私の心の中のイルミネーションは、一気に点灯した気がした。彼の方もそうだったらいいな。夜風の冷たさは今ではもう昔のことだった。