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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第一章 不老不死のハイエルフは、人間の世界に行く

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第八話 街に出ようと簡単に言ったけれど

 翌朝、問題が発生した。


「フィレーネ様、出かける準備はできました?」


「……あの」


フィレーネが寝室の扉の陰からこちらを覗いている。顔の半分しか見えない。瞳が気まずそうに泳いでいた。


「着ていく服がないの……」


「ドレスは?」


「昨日、花壇の作業で裾を破いちゃって。今繕ってるんだけど、まだ途中で……」


一着しかないドレス。そういえば、そう言っていた。


「……待っててください」


僕は使用人部屋の奥にあった古い衣装箪笥を思い出した。屋敷の見回りの時に確認している。使用人たちが残していった衣類がいくつか入っていたはずだ。


引き出しを開けると簡素な木綿のブラウスと、少し大きめのスカートが出てきた。


使用人の若い女性が着ていたものだろう。状態は悪くない。フィレーネには丈が長いが、裾を折れば何とかなる。


「これはどうでしょう。少し大きいけど……」


「それって使用人さんの服?……うん、着てみる」


フィレーネが受け取って、扉を閉めた。数分後、出てきた姿は──似合っていた。


飾り気のない白いブラウスに紺色のスカート。貴族の令嬢というよりは街の娘だが、むしろそのほうがベルデに行くには都合がいい。


「どう? 変じゃない?」


「似合ってますよ。動きやすそうだし」


「……えへ」


照れ臭そうに笑って、スカートの裾を摘んでくるりと回った。そういう年相応の仕草をするのかと、少し意外だった。


ベルデの街までは徒歩で少しかかる。馬車もない没落貴族の移動手段は自分の足だけだ。道は朝露に濡れて、木々の葉が黄色く色づき始めていた。


「フィレーネ様、最後に街に出たのはいつです?」


「半年くらい前。ベティおばさんが辞める前に、一緒に買い物に行ったのが最後」


「それから一度も?」


「一人で行くのが怖くて」


十二歳の少女が長い間、屋敷に閉じこもっていた。怖いのは当然だ。知り合いもほとんどいない。


街の人間にとっては「没落したクラウティア家の娘」だ。好奇の視線にさらされるのは、大人だって辛い。


「今日は僕がいるから大丈夫ですよ」


「……子供二人なんだけど」


「二人いれば十分ですよ」


フィレーネが小さく笑った。緊張は残っているが、足取りは止まらなかった。


ベルデに着いた。


朝の市場は活気があった。露店が通りの両側に並び、威勢のいい声が飛び交っている。


野菜、果物、肉、魚、布地、金物。生活に必要なものがひととおり揃う、小さいが健全な市場だ。


フィレーネの足が少し遅くなった。人混みに慣れていないのだろう。


まぁ僕も慣れてないんだけど


「はぐれないようにしましょうね」


「う、うん」


まず、相場の確認だ。市場を一周しながら、主要な商品の価格を頭に入れていく。小麦粉、塩、油、薬草、布。特に薬草の価格帯は重要だ。


露店の一角に乾燥薬草を扱う店があった。品揃えは平凡。ありふれた薬草が小束にされて並んでいる。


値札を見る。一般的な傷薬の材料。解熱用の薬草で。


……安い。これが市場の末端価格だとすれば、薬師や商会の卸値はさらに安いはず。つまり一般的な薬草では大した利益にならない。


やはり星露草だ。あの希少性なら単価が桁違いのはずだが、小さな市場では相場がわからない。


「フィレーネ様、マルコさんの店ってどこ?」


「通りの奥。看板に馬の絵が描いてあるお店」


マルコの雑貨商は、市場の外れにあった。間口は狭いが奥行きがあり、棚には日用品から工具まで雑多な商品が並んでいる。カウンターの奥からマルコが顔を出した。


「おう、坊主! それにフィレーネ様まで。珍しいな」


「マルコさん、聞きたいことがあって来たんです」


「なんだ改まって」


「この街に薬師はいる?」


マルコが顎髭を撫でた。


「薬師か。いることはいるが……まともなのは一人だけだな。街外れのばあさんだ。エリーゼっつう名前の」


「薬草の鑑定はできる?」


「この辺じゃ一番の目利きだぞ。昔は王都の薬師組合にいたって話だ。何を企んでるんだ?坊主」


「企んでなんかないよ。ちょっと相談したいだけですから」


マルコが怪訝な顔をしたが道順を教えてくれた。街の南の外れ、墓地の手前。


縁起の悪い立地だが、薬師としては理にかなっている。墓地の周辺には独特の植生があり、薬草が自生しやすいらしい。


「フィレーネ様、行ってみましょう」


「うん。……あの、リアンくん」


「なんでしょう」


「わたしも話に入っていい?」


意外な申し出だった。最初に会った時の彼女なら、僕の後ろに隠れていただろう。でも……いいことだと思う。


「もちろん。フィレーネ様の家の話ですから」


街外れの薬師の家は、小さな石造りの平屋だった。壁に沿って薬草の乾燥棚が並び、独特の青臭い匂いが漂っている。


扉を叩くと、しわがれた声が返ってきた。


「開いてるよ」


中に入る。薄暗い室内は天井から吊るされた乾燥薬草の束で埋め尽くされていた。


棚には瓶が整然と並び、奥の作業台で何かをすり潰していた老婆が手を止めてこちらを見た。


白髪を後ろで一つに束ね、皺だらけの顔に鋭い目。腰は少し曲がっているが目の光は若い。


「見ない顔だね。エルフの子と……クラウティア家のお嬢さんかい」


「わ、私のこと知ってるんですか……?」


「顔はお母さん似だね。リーゼルによく似てる」


フィレーネがびくりと肩を揺らした。母親の名前を知っている人間に久しぶりに会ったのだろう。


「お母様のお知り合いなんですか……?」


「昔、少しだけね。絵の具に使う顔料の調合を頼まれたことがあるんだよ。綺麗な色にこだわる人だった」


フィレーネの表情が揺れた。けれど、崩れなかった。唇を結んで踏み留まる。


「エリーゼさん、お聞きしたいことがあります」


フィレーネが一歩前に出た。声は少し震えていたが目は逸らさなかった。


「わたしの家の森に、星露草が生えているかもしれないんです。もし本物なら、どのくらいの価値がありますか」


エリーゼの手が止まった。すり鉢を置き、まじまじとフィレーネを見つめる。


「星露草。誰がそんなことを」


「僕です」


エリーゼの視線が僕に移った。値踏みするような、鋭い目だ。


「坊や、星露草を見たことがあるのかい」


「あります。葉の形と茎の色で判別しました。群生してます」


「群生……」


エリーゼが椅子から立ち上がった。腰が曲がっていても動作に迷いがなかった。


「本物なら、乾燥一束で大金さ。王都の薬師組合なら、もっとつく。品質次第では金貨の領域だよ」


フィレーネが息を呑んだ。群生地の規模を考えれば──


「ただし」


エリーゼが人差し指を立てた。


「星露草の採取は素人には無理だ。時期を間違えれば薬効が半減する。乾燥や採取の方法も特殊でね。それと鑑定書がなければ商会は買い取らない」


「鑑定書はエリーゼさんが?」


「あぁ。私の鑑定書なら、どこでも通用するよ。ただ、タダじゃないがね」


商売の話になった。ここからが本番だ。


僕はフィレーネの横に並び、小さく耳打ちした。


「フィレーネ様、ここは自分で交渉してみてください」


「……!」


「昨日の帳簿の勉強、覚えてますか? 取引は双方に利がないと続かない。エリーゼさんにとっての利を考えるんです」


フィレーネが数秒考え込んだ。それから顔を上げた。


「エリーゼさん。鑑定書の報酬は、星露草の現物でお支払いするのはどうですか。薬師さんなら材料として使えますよね」


エリーゼの眉がぴくりと動いた。


「へぇ」


「手元に現金がないので。でも、星露草が本物なら、エリーゼさんにとっても悪い話じゃないと思うんです」


悪くない交渉だ。現金がない弱みを逆手に取り、相手のメリットを提示している。帳簿で学んだ双方の利を、ちゃんと応用できている。


エリーゼがしばらく黙ってフィレーネを見つめていた。それから口元を緩めた。


「母親より度胸があるね、お嬢さん」


「お母様は、臆病だったんですか?」


「臆病っていうか、お人好しだったね。アンタの父親もそうだった。だから……」


エリーゼは言葉を切った。没落の話は今する必要がない。わかっている人間の間合いだ。


「いいよ。まずは現物を見せておくれ。話はそれからだ」


フィレーネの肩から力が抜けた。緊張していたのだ。当然だ。十二歳で、たぶん人生初の商談だった。


薬師の家を出ると、秋の日差しが眩しかった。


「リアンくん。わたし、ちゃんとできてた?」


「百点です」


「嘘。絶対甘い」


「では八十点。残りの二十点は、次までに」


「……次もあるの」


「当たり前です。商売は一回で終わりませんから」


フィレーネが足を止めて、空を見上げた。秋の空は高くて、薄い雲が風に流されていく。


「なんか……外に出てよかった。半年間、怖くて出られなかったのが馬鹿みたい」


「怖いのは普通のことです。だから恥じることはありません」


フィレーネがこちらを見た。風で亜麻色の髪が揺れている。


「リアンくんは、怖いことってある?」


怖いこと。


ありますよ、と喉まで出かかった。


周囲の人がいつか年を取って僕だけが残ることが怖い。でも、それを今この子に言うのは卑怯だ。


「虫が怖いですねぇ」


「嘘だ。昨日、蜘蛛を素手で捕まえてたじゃん」


「あれは仕事ですから。プライベートでは怖いかも」


フィレーネが声を上げて笑った。屋敷の外で、人前で。声を出して笑った。


通りすがりの人が振り返るくらいの、明るい笑い声。


うん。この子は大丈夫だ。


帰り道、マルコの店に寄って礼を言い、ロザさんに焼き菓子をもらった。フィレーネが「おいしい」と言ったらロザさんが泣きそうな顔をしていた。


街の人間たちが、没落した家の令嬢をそれなりに気にかけていたのだ。ただ、手を差し伸べる口実がなかっただけで。


「明日、森に星露草を採りに行こう。エリーゼさんに見せる分だけ」


「うん。ねえ、リアンくん」


「はい、なんでしょう」


「ありがとう」


唐突なお礼に、僕はぴたりと足を止めた。


「仕事ですから」


「仕事じゃないところも含めて」


フィレーネはそう言って屋敷の中に入っていった。


一人残された玄関先で、僕は少しだけ立ち止まる。


仕事じゃないところ。


……どういう意味だろうか。

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