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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第一章 不老不死のハイエルフは、人間の世界に行く

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第一話 迷子じゃないし、泣いてもいない

人間界の森はうるさかった。


鳥が鳴いている。虫が鳴いている。風が木々を揺らし、葉擦れの音が絶え間なく降ってくる。


どこかで小川がせせらいでいるし、遠くでは獣の足音までする。


アエテルヌムでは百年かかっても聞けなかった音の数々が数歩で僕の耳に押し寄せてきた。


「うん、いいね。これだよ、これ」


もっとも、問題がひとつ。


道がわからない……。


「森を抜けたら街があるかなって、甘い見通しだったかなぁ」


ぶつぶつ言いながら三本目の倒木を乗り越える。


ローブの裾はとっくに泥だらけで、髪には葉っぱが二枚ほど引っかかっている。


とりあえず、水の音がする方へ歩くことにした。


川があれば集落がある。前世の知識だけれど人間の行動原理は世界が変わってもそう大きくは変わらないだろう。


──歩くこと、体感で二時間ほど。


つまり一瞬です。


やがて森が開けた。


眼前に広がったのは緩やかな丘陵地帯だった。


遠くに煙が見える。複数の細い煙が夕暮れの空に向かって立ち上っている。


集落だ。


そして手前に街道があった。


轍の跡が深く刻まれた土の道。馬車が頻繁に通るのだろう。


ここで初めて、僕は自分の状況を客観的に把握した。


「……」


所持金、ゼロ。


言語、通じるのか……?


土地勘、皆無。


社会的な身分証明になるもの、何もなし。


そして外見は、どこからどう見ても森で迷った浮浪児。


「……もうちょっとチュートリアルがあってもいいんじゃない?」


前世のゲームなら、ここで親切なNPCが現れて基本操作を教えてくれるところだ。


しかし現実にはそんな都合のいいイベントは──


「おい、そこの子供」


……起きた。


街道の向こうから馬車が一台近づいてきていた。幌のない荷馬車で、荷台には木箱がいくつか積まれている。


御者台に座っているのは日に焼けた肌の中年男だった。顎髭を蓄えくたびれた革の帽子を被っている。


馬車が僕の横で止まった。男が御者台から身を乗り出してこちらを見下ろす。


「こんなとこで何してんだ。ベルデの街の子か?」


「……」


僕は一瞬考えた。


ここで変に取り繕っても意味がない。この外見、この状況では何を言っても迷子の子供以外の解釈は生まれないだろう。


ならば利用できるものは利用する。


前世の社畜精神が言っている。使える手札は全部使え、プライドで飯は食えない、と。


「迷っちゃった……」


僕は少し目を伏せて、できる限り心細そうな声を出した。


虹彩の瞳を潤ませるくらいは造作もない。可哀想な子供の演技だ。


このスキルを以前使ったのは……そう、ハイエルフの大人の同情を引こうとした時だったか。


彼らは感情が殆どないみたいだから無駄だったけどね。


だが、人間には効果てきめんだったようだ。


男の表情がたちまち変わった。眉を寄せ、口をへの字に結び、それから大きくため息をついて。


「……はぁ。まったく。親はどうした」


「いないよ。ずっと前から」


これも嘘じゃない。ハイエルフに人間的な意味での親はいない。概念から自然発生する上位存在だ。


「エルフか。その耳」


男の目が僕の耳に止まった。人間より長く尖った耳。隠し忘れていた。


「珍しいな。この辺りじゃエルフなんてめったに見ねぇぞ。おい、まさか森から一人で出てきたのか?」


「うん」


「はぁー……」


男はがしがしと後頭部を掻いた。明らかに面倒事を拾ってしまったという顔をしている。


「乗れ」


「え?」


「ベルデまで乗せてってやる。このまま放っとくわけにもいかねぇだろ、こんなちっこいのを」


ちっこいは余計だ。


でも、ありがたい申し出だった。僕は素直に荷台によじ登った。


木箱の間にようやく体を収めると、荷馬車がガラガラと動き出す。


「ベルデってのは、この先の街だ。小さいが市場もある。知り合いもいねぇんなら、教会にでも行くといい」


「ありがと、おじさん」


「マルコだ。おじさんって歳じゃねぇ」


四十代くらいに見える。前世基準なら十分におじさんだが、僕からすれば赤子も同然なので黙っておいた。


荷馬車に揺られながら、僕は木箱に背中を預けて空を見上げた。


夕焼けだ。


橙色と紫が溶け合うグラデーション。刻一刻と変わっていく空の色は、アエテルヌムでは絶対に見られなかった。


──綺麗だ。


素直にそう思えたことに少し驚いた。


前世では仕事帰りに見上げる夕焼けは「ああ、今日も遅くなった」の象徴でしかなかった。


美しいと感じる余裕なんてなかった。


今はある。時間だけは無限にある。


余裕の中で眺める夕焼けは……。


なるほど、悪くない。


「嬢ちゃん、腹減ってないか」


「僕、男なんだけど」


「嘘だろ」


「嘘じゃないけど」


マルコが振り返って僕の顔をまじまじと見た。こちらをじろじろ見るな、とは言えない立場だ。乗せてもらっている身だし。


「いやぁ……すまん。綺麗な顔してるもんだから」


「よく言われる。見る目がない人からね」


「はは、生意気な坊主だな」


マルコは愉快そうに笑って、懐から干し肉の包みを放ってよこした。


ハイエルフの体には食事は不要だが、前世の記憶がある僕は食べるという行為自体が好きだ。包みを開き、一切れ齧る。


「……」


硬い。


しょっぱい。


お世辞にも美味しいとは言えない。


でも……最高だった。


アエテルヌムにはない味だ。


不完全で、粗雑で、でもそれ故に生きていると実感できる味。


前世の深夜のカップラーメンに通じるものがある。空腹を満たすためじゃなく、何かを確かめるために食べている。


「おいしい」


「そうか? 安もんだぞ」


「うん。だからおいしいんだと思う」


「変な奴だな」


マルコはまた笑った。悪い人じゃなさそうだ。この世界の人間の第一印象としては上々だった。


荷馬車はガタゴトと揺れながら夕暮れの街道を進んでいく。遠くに見えていた煙の出所が、少しずつ大きくなってきた。


石造りの低い家々が、丘の斜面に寄り添うように並んでいる。


ベルデの街。僕が人間の世界で最初に訪れる場所。


さて、ここからどうするか。


所持金はない。身分証明もない。見た目は子供、中身は二百歳(くらい?)の元社畜ハイエルフ。


普通に考えたら詰みだ。


でも、前世で得た教訓がひとつある。


どんなに状況が最悪でも働ける体と働く意志さえあれば、なんとかなる。ブラック企業に三年勤めて学んだ、唯一の前向きな教訓だった。


もっとも、見た目が完全に子供なのが問題ではあるのだけれど。


「ねえマルコさん」


「ん?」


「この辺りで、人を雇ってるところってある?」


「お前が働くのか?」


「だめ?」


「だめっつうか……いくつだ、お前」


二百歳以上とは言えない。


「じゅっさい」


「十歳が働くってなぁ……」


マルコは腕を組んで唸った。


この世界の児童労働に関する規範は知らないが、少なくとも彼の倫理観では十歳の子供を働かせることに抵抗があるらしい。前世の価値観で言えばまともな大人だ。好感が持てる。


だが困った。


このまま教会に丸投げされるのは避けたい。孤児院に入れられでもしたらスローライフどころの話じゃなくなる。


子供の集団生活なんて、二百歳の精神には拷問だ。


「僕、見た目はこうだけど、結構いろいろできるよ。掃除とか、お茶淹れるのとか」


「お茶……」


「あと料理も少し。洗濯も、裁縫も」


前世の知識の一端。社畜の一人暮らしで得た知識だ。


本当は少しどころではないけれど、子供の口から出る分にはこの程度が自然だ。


「器用な坊主だなぁ。まあ、ベルデの街じゃあ難しいかもしれんが」


マルコは少し考え込む素振りを見せた後、何か思いついたように手を打った。


「そうだ。フィレーネ様のお屋敷なら……」


「フィレーネ様?」


「ベルデの北にある、クラウティア家のお嬢様だ。昔はこの辺りじゃ名の知れた貴族だったんだが、まあ色々あってな。今じゃ使用人もろくに雇えんくらい落ちぶれてる」


没落貴族。使用人不足。そしてお嬢様。


何やら情報が一気に出てきたけれど、深くは考えないでおこう。


僕が求めているのは適度に怠けられる職場であって、物語の主人公ポジションではないのだから。


「お屋敷って子供でも雇ってくれるかな」


「どうかねえ。ただ、あそこは本当に人手がなくてな。猫の手も借りたいって話だ。エルフの子供の手なら猫よりはましだろ」


猫と比較された。まあいい。


「行ってみてもいい?」


「明日の朝、荷を届けるついでに連れてってやるよ。今日はうちに泊まれ」


「いいの?」


「こんなちっこいのを夜にほっぽり出すほど、俺は薄情じゃねぇよ」


だからちっこいは余計だ。でも、感謝すべき場面だった。


「ありがとう、マルコさん」


「礼はいい。その代わり、嫁さんに会ったら愛想よくしろよ。子供が好きなんだ、あいつ」


僕は小さく頷いた。子供として振る舞うのは少し……いや、かなり複雑な心境だけれど。


生きるためだ。前世だって、嫌いな上司にもへこへこ頭を下げて生きてきた。


それに比べれば善良な人間の好意に甘えるくらい、罪悪感はずっと軽い。


荷馬車がベルデの街門をくぐる。


石畳の通りに等間隔に並ぶランタンの灯り。パン屋の窓から漏れる温かい光。


どこかの家から聞こえる笑い声と、食器がぶつかる音。犬の鳴き声。子供の泣き声。酔っ払いの歌声。


雑然としていて、騒がしくて、統一感がなくて。


(──生きている。この街は、生きている)


前世の記憶が重なった。深夜の住宅街を、終電を逃して歩いた時の光景。


家々の窓から漏れる光を見ながら、「ああ、人が暮らしてるんだな」と当たり前のことにふと心が揺れた感覚。


僕はそっと目を閉じた。木箱に預けた背中に、荷馬車の振動が伝わってくる。


──ここを、しばらくの居場所にしよう。

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