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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第一章 不老不死のハイエルフは、人間の世界に行く

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第九話 小さな歯車が回り始める

森の奥は静かだった。


木漏れ日が苔むした地面に斑模様を描き、湿った空気が肺を満たす。


ベルデの採集人たちが入るのは森の入口付近だけで、奥まで踏み込む人間はほとんどいないらしい。


獣道すら途切れた先にそれはあった。


「これが星露草……」


フィレーネが息を呑んだ。


古木の根元を覆うように葉が群生していた。


朝露を纏った葉先が微かに光を放ち、薄暗い森の中でぼんやりと輝いている。名前の由来がわかる光景だった。


「綺麗……」


「綺麗だけど、触り方を間違えると薬効が飛びます。根元から三節目のところで切るんです。刃物じゃなくて、爪で」


「爪?」


「金属に触れると成分が変質する。エリーゼさんにも確認したけど素手で摘むのが正しい方法だよ」


僕が手本を見せて一株摘む。フィレーネも恐る恐る手を伸ばし、慎重に茎を摘んだ。


「こう?」


「もう少し下です。……そう、上手い」


小一時間かけて、両手に収まる程度の量を採取した。エリーゼに見せるにはこれで十分だ。


その日の午後、それを見た老薬師は長い沈黙の後にこう言った。


「……上物だよ。自生でこの品質は珍しい。土と水がよほどいいんだろうね」


鑑定書を書くと約束してくれた。報酬は星露草五束。フィレーネが提案した条件がそのまま通った。


これが始まりだった。


一ヶ月が経った。


エリーゼの鑑定書を手にフィレーネと僕はベルデの商会を訪ねた。小さな街の小さな商会だが、王都との取引ルートを持っている。


商会の主人は恰幅のいい中年男で、最初は子供二人の来訪に露骨に面倒そうな顔をした。だが、鑑定書と星露草の実物を見せた瞬間、目の色が変わった。


「エリーゼ婆さんの鑑定書か。これは……本物だな」


「お取引をお願いしたいのですが」


フィレーネが言った。声はもう震えていなかった。この一ヶ月で何度も練習した台詞だ。


交渉は二時間に及んだ。僕は横で口を挟まなかった。事前に教えたのは「最初に相手の提示額を聞くこと」「即答しないこと」「必ず持ち帰ること」の三原則だけ。


結果、星露草の乾燥一束あたりの仮契約が成約した。


今までのクラウティア家の年間収入が月収で出る額だった。


「嘘みたい」


商会を出たフィレーネが呟いた。


「フィレーネ様の森が生んだ、正当な対価です」


「……わたしの森」


フィレーネが噛みしめるように繰り返した。守るべきものの輪郭が、初めてはっきり見えた顔だった。


三ヶ月が経った。


季節は冬に変わっていた。


星露草の取引は順調に回っている。採取は僕とフィレーネの二人で行い、乾燥処理はエリーゼの指導のもとで屋敷の空き部屋を作業場に改装した。


収入が安定したことで、屋敷の修繕も本格的に進められるようになった。ベルデの街から職人を雇い、屋根と壁の補修を依頼した。

もちろん、僕が夜中にこっそり魔術で下準備をしておいたので、職人たちは仕事がやりやすいと首を傾げていたが。


フィレーネにも変化が現れていた。


まず体つき。


三食きちんと食べるようになったことで、頬に血色が戻り、手足の線も少しだけふっくらした。透けるような青白さは消え、年相応の健康的な肌色になっている。


次に目。


出会った頃の怯えた灰青色は、今では真っ直ぐ前を見据える強さを帯びていた。商会との月次交渉も、もう一人でこなせる。


そして、声。


消え入りそうだった声は、はっきりと芯の通った響きに変わった。


「リアンくん、来月の収支見通しをまとめたよ。見てくれる?」


書斎の机に広げられた帳簿は、最初の惨状とは別物だった。


フィレーネの丁寧な筆跡で、項目ごとに整理された収支表。数字に一つの誤りもない。


「完璧です」


「ほんと? あと、こっちも見て。春に向けての支出計画なんだけど」


フィレーネが広げた紙には屋敷の修繕優先順位と見積もりが項目別に記載されていた。これは僕が教えたわけじゃない。帳簿の付け方から自分で応用したのだ。


「フィレーネ様、一つ聞いていいですか?」


「うん」


「今は楽しいですか?」


フィレーネが顔を上げた。少し意外そうな顔。


「楽しいかって……うん、楽しい。数字がちゃんと合うと気持ちいいし、計画を立てると未来が見える気がして」


未来が見える。


初めて会った時にはこの子には未来が見えていなかった。明日すら不確かだった。それが今、春の計画を立てている。


「リアンくんは? 楽しい?」


「僕ですか?」


「ここでの生活。退屈じゃない?」


退屈。アエテルヌムを出た理由。人間の世界に来た動機。適度な刺激が欲しかったはずだ。


「退屈じゃないですよ。全然。むしろ今までで一番楽しいかもしれません」


「よかった。……退屈だって言われたらどうしようかと思ってた」


冬の書斎は冷える。暖炉の火が爆ぜる音がして、橙色の光がフィレーネの横顔を照らした。亜麻色の髪が火の色に染まっている。


三ヶ月。


人間にとっては季節一つ分。僕にとっては瞬きほどの時間。


でも、フィレーネは別人のように変わった。人間の変化の速度を僕は甘く見ていたかもしれない。


だけど変化は良いことばかりではない。


それを思い知らされたのは、翌日のことだった。


一通の書状が届いた。


差出人はヴェルディア伯爵家。


「リアンくん」


封を開けたフィレーネの声が、硬くなっていた。


「春じゃなかった。今月末に伯爵家の使者が来るって」


書状の文面は丁寧だったが、行間に滲むものは明白だった。


クラウティア家が息を吹き返しつつあるという情報が、伯爵家の耳に入ったのだ。


没落したまま消えてくれると思っていた家が立ち直り始めている……それは、あの森を狙っている側にとっては面白くない展開だ。


「どうしよう」


フィレーネが書状を握る手が、かすかに震えていた。商会との交渉には慣れた。帳簿も読めるようになった。でも、貴族の権力闘争は次元が違う。


「フィレーネ様」


「うん」


「大丈夫。準備する時間はありますから」


「でも、伯爵家だよ? うちなんかと比べものにならないくらい──」


「そう。だから、力で対抗するのではなく……頭で対抗するのです」


僕は書状を受け取り文面を読み直した。


丁寧な言葉の裏にある、圧力。でも、ほころびもある。この書状を「今」送ってきたということは、伯爵家も焦っているということだ。


春まで待てなかった。クラウティア家の成長速度が予想を超えていたのだろう。


「焦ってるのは向こうも同じですよ」


「え?」


「春まで待たずに使者を寄越すってことは、このまま放置するとまずいと思ってるってことです。つまり、フィレーネ様がやってきたことは正しかったことが証明されましたね」


フィレーネの目が揺れた。恐怖とその奥にある小さな自負で。


「……ほんと?」


「フィレーネ様が帳簿を直して、商会と交渉して、収入を作った。それが伯爵家を動かした。十二歳の女の子が、です」


フィレーネは黙って書状を見つめ、それから顔を上げた。


震えは止まっていた。


「準備って何をすればいいの?」


「まず、クラウティア家の法的な権利を全部洗い出しましょう。あの森の所有権の根拠、徴税権が移された経緯、先代の契約書。全部です」


「お父様の書斎にあるかもしれない」


「探しましょう。今日から」


フィレーネが頷いた。顔つきは花壇の雑草を抜いていた少女とはもう違っていた。


僕は内心で少しだけ苦笑した。


適度に怠けるはずだった。スローライフのはずだった。


なのに気づけば没落貴族の家計を立て直し、商売のルートを構築し、今度は伯爵家との政治闘争の準備をしている。


前世の社畜時代と、やってることの規模が違うだけで本質は同じじゃないか。


でも、まあ。


隣に守りたいものがあるかないかで、同じ忙しさでも意味が変わる。


前世にはなかったものだ。


「リアンくん、書斎行こう!早く見つけないと!」


「ええ、今日は食事抜きで探しましょう」


「……食事はしたいなぁ」


フィレーネの背中を追いかけながら、僕は思う。


この子の成長速度は僕の想像を超えている。


それは頼もしくて──ほんの少しだけ、寂しい。


早く成長するということは、早く僕を必要としなくなるということだから。


……いや。今はそんなことを考えている場合じゃない。


目の前に、倒すべき敵がいるのだから。

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