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黒歴史を背負った新人声優だってハッピーエンドを迎えたいっ  作者: 海坂依里
第1章「あのとき恋をした声優が、今では俺の先輩声優です」
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第3話「あのとき惚れた声優は、今では先輩声優です」

(この声は、間違いようがない……)


 高一のとき、飽きることなく聞いた声。

 自分の耳に入ってくる素敵ボイスは、俺が大好きな大好きなあの人の声。

 毎日毎日ストーカーのごとく聴き入った彼女の声には、さすがに敏感になる。


「戸辺さん、しっかりしてください!」

「んー……」


 まだ顔を見てもいないっていうのに、この声は笹田結奈さんの声だと確信する。

 どんな環境にいたって、笹田結奈さんの声を聞き分けられる自信がある。


(え? え? え? 笹田結奈さんの彼氏?)


 聞き慣れた優しい声に、胸がきゅっと縮まるような感覚に陥る。


(いやいやいや! 彼氏といちゃついてるとこなんて、見たくないんですけど!)


 足音を忍ばせて、声の聞こえる方へと歩を進めていく。


(炭酸で酔い潰れんなよ! いい大人が!)


 二人は、ちょうど廊下の曲がり角にいて顔が見えない。

 ぶっちゃけ、二人が何をしているのかも状況も分からない。


「大丈夫ですか? 戸辺さん! 戸辺さんっ!」


 戸辺さん、戸辺さん、と繰り返しその人を呼ぶ女の人の声。


(もう嫌だ……この人の声が笹田結奈さんにしか聞こえなくなってきた……)


 自分よりも仕事を抱えていて、人気も実力も兼ね備えている大先輩。

 そんな笹田結奈さんの彼氏を目撃してしまう日が来るなんて、誰が想像していただろうか。


(彼氏が酔い潰れてるとこ、流出させるつもりはないけど)


 見たくなかった、曲がり角の先を覗き込む。

 そこでは、一人の女性が一人の男性に寄り添っていた。


「今、誰かを呼んできますね!」


 男は笹田結奈さんに、ぐったりと肩を預けている。

 彼女の手は男の背中に添えられ、まるで恋人を支えるような距離感に心臓が痛くなる。


「手伝いましょうか」


 笹田さんの声に、男性はうめくように声を出しただけ。

 彼女の細い腕では、どうやっても支えきれるわけがない。

 見かねた俺は、そっと一歩を踏み出す。


「和生……くん……」


 艶があって、見ただけで柔らかそうな髪質。

 ほんの少しだけ明るみが入ったロングヘアーに、シフォンスカートと白ブラウスで清楚感溢れている女性が視界に入る。


「どうして、ここに……」


 笹田さんが驚いたように顔を上げた。


「あ……今日、先輩との食事会だったね」


 目が合う。

 彼女の瞳に戸惑いが浮かんでいたのはほんの一瞬だけで、すぐに安堵の感情が垣間見えたことにほっと溜息を吐き出す。


(あー、もう、本当に嫌だ)


 冷静さを装いながら、男の反対側に回り込んで肩を貸した。


「和生くん、ありがとう」

「……当然のことなので」


 彼女から名前を呼ばれるたびに、こっちは心臓が変な音を立て始めてしまう。


「和生くん」

「その綺麗な声で、俺のこと呼ぶのはやめてください」

「……和生くん」

「わざとですか? わざとですよね?」


 外見が少し変わったくらいで、笹田さんは俺のことに気づいてくれない。

 俺は、あのとき、あなたの人生を狂わせてしまった張本人。


「ふふっ、くすっ」

「後輩からかうとか、質悪いですよ」

「和生くん、私の声、好きかなぁって」


 名前を呼んでもらえるって、当たり前じゃない。

 好きな人から名前を呼んでもらうって、すっごく貴重だと知った。

 高校時代まではそうだったはずなのに、今では憧れの笹田結奈さんから何度も何度も名前を呼んでもらえる仲にまで進展しているとか。本当に、あり得ない。


「部屋はどこですか?」

「部屋は、本当にすぐそこで……」


 笹田結奈さんが指し示す部屋まで、たかだか数歩でしかない。

 この人を叩き起して歩いてもらった方が早いような気もするけど、初めましてのその人にそんなことができるわけがない。


「っていうか、女性に介抱させるまで炭酸飲料飲み干すとか……」

「意外と炭酸で酔っちゃう人って多いのよ?」

「アルコールを扱っていないっていう、お店の配慮が台無しだと思います……」


 笹田結奈さんを心配して、中から人が出てくるということはないのだろうか。

 やっぱりこの二人は付き合っていて、部屋の中には誰もいないのか。

 もし、この二人が付き合っているのだとしたら、しっかりしてくれ! 彼氏!


「ごめんなさい、和生くん」


 一人で対処できなくなって、ごめんなさいなのか。

 彼氏が迷惑かけて、ごめんなさいなのか。

 どちらにしても、笹田結奈さんに謝られると胸が痛い。


「和生くんは、どう?」

「何がですか?」

「先輩方との食事会」


 そう言って、彼女は満面の笑みを見せてくれた。 


「楽しんでる?」

「っ」


 この笑顔が大好きで。

 この笑顔が見たくて。

 この笑顔を守ってあげたくて。

 それで俺は、声優の笹田結奈さんに恋をした。


「笹田さん、記憶力よすぎです」

「後輩くんのこと、忘れるわけがないでしょ」


 本当は、嬉しすぎて叫びたい。

 行く先は暗闇しか見えてこないような高校生活を送っている俺に、少し遅れたプレゼントを神様がくれたんだって。そんな喜びを抑えきれない。


(でも、俺は笹田さんを見返すって決めた)


 笹田さんに《《気持ち悪い》》扱いされて、もう二年が経過した。

 俺は、プロの声優として笹田結奈さんを見返すって決めたはず。


「私たち、森村荘の同期でしょ?」

「入居は一緒でしたけど、笹田さんは先輩です」


 笹田結奈さんを見返すために声優という職業に従事していることは認める。

けれど、現在も過去の失恋を引きずっているのも事実だからこそ、笹田さんの声を聞いて心が揺れてしまう。


「じゃあ、先輩からの助言」


 介抱を手伝ったお礼なのかなんなのか、さっきから笹田さんからの贈り物が止まらない。

 二人で男一人を介助するって苦労を伴うことなのに、笹田さんは柔らかい笑みを浮かべて俺に話しかけてくれる。

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