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黒歴史を背負った新人声優だってハッピーエンドを迎えたいっ  作者: 海坂依里
第3章「新人声優、初めて主人公を任された現場で」
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第6話「後輩声優が先輩声優のためにできること」

「……このままじゃ、何時に家に着くか分からないんですけど」

「私のことなら置いていって」

「そういうわけにいかないです! 俺のせいで怪我させたんだから」


 大事には至っていなさそうだけれど、笹田(ささだ)さんは絶対に足を痛めている。

 しかし、俺に頼るという選択肢は彼女の中にないらしく、彼女は自力でゆっくりと歩き続けていた。

 俺は、ただの荷物持ちしかさせてもらえない。


「……どっかで休みますか?」


 首を大きく横に振って、拒絶を示す笹田さん。

 さっきまでの俺を励ましてくれていた笹田結奈さんはどこへ行ってしまった。

 今はもう君のことなんて大嫌いです、いなくなって。と言われているような気分。


「優しくしないで」

「怪我させたのに放置とか、本当に無理ですから」


 やっぱり後輩が、先輩の収録終わりを待っていたのが不快だったのか。

 笹田さんは明らかに不機嫌なオーラをまとっている。

 だけど、あからさまに俺のことを拒絶しないところに、笹田結奈(ささだゆいな)さんの優しさが滲み出ている。


「タクシー拾いま……」

「歩いて帰れる距離まで来たでしょ?」


 はい、そうですね。

 心の中で返事をして、特に笹田さんへの言葉は返さない。


「じゃあ、ゆっくりでいいから頑張って歩いてくださ……」


 時間をかけてゆっくり歩いてくる笹田さんの様子を窺おうと後ろを振り返ると、今にも泣きそうなその表情。


「ごめんなさっ、足痛む……」

「かっこ悪い……」


 泣きそうだけど、絶対に泣かないぞという決意を感じるその表情。


「棒読みの件……でしょうか」

「それも含めて……いろいろと」

「……ちょっと、休みましょうか」


 今度はこくんと頷いて、笹田さんは顔を伏せた。

 泣いてはいないようだったけど、笹田さんの気持ちを察することも、想像することもできないこの状況ではただただ心配になるだけだった。


「……疲れた」

「そりゃそうですよ。かなりの距離歩いてますから」


 ファストフード店に入って、外の景色が見えるカウンターに二人並ぶ。

 知り合い同士が横に並ぶなんて不自然な感じだけど、向かい合って座ると強制的に会話しなければいけない感が生まれてしまう。

 笹田さんが俺と話したくないときのことを考えれば、この座席がちょうどいい。


「本当に……今日はかっこ悪いところばかり見せて……ごめんなさい」

「笹田さんが謝る必要がどこにあるのか分かりません」

「だって、私は和生(かずき)くんの先輩よ?」


 先輩声優なりの意地ってものがあるらしく、笹田さんは凛とした声を発して後輩のことを魅了してくる。


「事務所違うので、そこまで気にすることもないかと」

「事務所が違っても、先輩は先輩だから」

「……それは……はい……」


 お互い、ただひたすら目の前に広がる大きな窓との会話を展開する。


「和生くん、今日はとっても素敵だった」

「……ありがとうございます」

貴樹(たかき)役、すっごくかっこよかった」

「……ありがとうございます」


 外の夜景を見ながら話し続けるのは変な感じがした。


「でも、まだまだだなって思いました。今の自分にとっての百パーセントは出し切ったけど、百パーセント以上の芝居ができるようになりたいです」


 東京という土地柄のせいか、俺たちが向かい合って話し合わないことを気に留める人もいない。

 そういう点では、この土地柄ってやつはありがたいのかもしれない。


「先輩たちのお芝居を聴いていたら、泣きそうになりました」

「そうね。先輩たち、凄かった」

「笹田さんも含めて……なんですけど」


 一緒に仕事をした同士の、一緒に仕事をした仲でしか成立しない会話だったら、笹田さんも乗ってくれる。

 そこらへんのことがようやく分かってきたので、少しでも長く話を続けられるように努力したい。


「棒読みでも?」

「俺と絡まないところは、普通にプロの芝居してたじゃないですか……」

「和生くんも、十分素敵なお芝居だったよ」


 突然すぎて反応が遅れた。

 十分素敵なお芝居だった。

 俺の、俺の芝居が、素敵だった?

 あの笹田結奈さんが、俺の芝居を素敵だと言ってくれた?


「声優さんって、凄いよね」

「素敵です。かっこいいです」


 笹田さんに褒め言葉をもらったことは多々あるけれど、芝居が素敵だったと言ってもらえたのは人生で初めてのような気がする。


「私も、もっともっと頑張りたい。これがプロとして最後の仕事にならないように、また一緒にお仕事させてもらえるような声優になりたい」


 横に座る笹田結奈さんの表情を確認する。

 そこには会いたくて会いたくて、どうしようもなかった笹田結奈さんの優しい頬笑みがあった。

 芝居を褒めてくれたのは、夢でも幻でも錯覚でもなかったんじゃないか。

 現実だったんじゃないかって、そんな淡い期待。


「笹田さんが、そんなこと言ったら! 俺なんて、もっともっと頑張らなきゃいけないですって! また笹田さんと一緒の作品に出演できるような声優になります!」


 ここで笹田結奈さんが弱ってしまったら、彼女を見返すだけの仕事を獲得したときに爽快感を得られなくなる。

 焦って言葉を紡ぎ出したはいいけど、あまりに恥ずかしくて笹田さんの顔を見られなくなる。

 そして再び、窓との会話が始まる。


「和生くんが、そんなに私から離れていったら……私、追いつけなくなっちゃう」


 男っていう生き物は、単純な生き物なんだって言ってやりたい。

 さっきから笹田さんの言葉、ひとつひとつが心にグサグサと刺さる。

 そりゃもう抉っていくかのようにグサグサと。

 期待してしまう、期待が膨らんで、これからのあなたとの関係に希望を抱いてしまう。


「なりたいなー」


 無理して明るい声を出そうとしている笹田さんだけど、無理してでも明るく振る舞ってみせるっていう意地のようなものを感じさせる綺麗を発する笹田さん。


「作品を穢さない、作品を守る力を持てる役者に」

「……なってくださいよ」


 そこでようやく、笹田結奈さんと見つめ合う態勢になる。

 笹田さんの瞳を真っ直ぐ見ても、今度は逸らさないでくれて、それだけでもう泣きそうになる。

 笹田さんの瞳を、こうしてずっと見ていたかった。


「こんなところで挫けないでください」


 ここで笹田さんが精神的に折れていってしまったら、見返すどころの話ではなくなる。

 声優の笹田結奈が引退なんてことになったら、俺が声優を続ける意味がなくなってしまう。


「笹田さんは、俺の憧れの人なんですから」


 正確には、見返す相手。

 心の中で、笹田結奈さんに向けて宣戦布告。


「……憧れなんて言葉、初めて聞いた」

「……そりゃあ伏せてましたから」

「言ってくれても良かったのに」

「憧れの人を前に言えません」


 言えない。

 あの日、あのとき、笹田結奈さんを炎上させるきっかけになった過去の俺と今の自分が結びついてしまうんじゃないかって怖かったから。


「憧れを抱いてくれていた和生くんを失望させる芝居を見せちゃったからには……和生くんと口を利かなくなるかもしれない」

「は? それは絶対に嫌なんですけど」


 笹田結奈さんにすべてを見抜かれてしまうのが嫌だったから、ずっとずっと隠し通してきた。


「でもね、気づいている? 和生くん?」


 だけど、今の笹田結奈さんに伝えたかった。

 あなたは俺の憧れだった人なんですってことを、どうしても伝えたくなってしまった。


「憧れの人は、憧れの人でい続けなきゃいけないの」

「え、俺の気持ち、笹田さんのプレッシャーに……」

「ううん、励み」


 なんか、笹田結奈さんっていう女性が戻ってきたような気がする。


「俺の憧れの人は、そう簡単にへこまないと思ってました」

「……ありがとう」

 

 ファンの人たちの前で見せる声優笹田結奈の表情じゃなくて、俺がよく知っている私生活での笹田結奈さんが戻ってきたような気がする。

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