第9章:レイア、飼ってもいい?
王宮の謁見の間は、昼下がりの静けさに満ちていた。
高い天井から差し込む陽光が、ステンドグラス越しに床へと色模様を落としている。
玉座に座るのは、ルナの母であり、この国を治める女王――シェリル・ルクレティア。
淡い金の巻き髪、風格のある獣耳、鋭さと慈しみを同居させた瞳。
女王としての威厳と、母としての温もりを併せ持った存在だった。
「……で、今日は何の用なの、ルナ」
書類を捌きながら、シェリルが面倒くさそうに問いかける。
ルナは意を決して一歩前へ進み、スカートの裾を摘まんで軽く礼をした。
「母上。お願いがあります!」
「また“お願い”? この前の騎獣のエサ代、まだ報告来てないんだけど?」
「それはそれ、これはこれです!」
「……はぁ」
女王が額に手をやったその隣、控えていた側近のコルナがクスクスと笑っている。
羊系の獣人で、ふわふわの髪を揺らして「いつもの姫様ですね」と呟いた。
「お願いしたいのは……彼女のことです」
ルナの隣に立っていたレイアが、静かに一礼する。
「……ふむ」
女王が初めて視線を上げ、レイアをじっと見た。
その瞳は、政を司る者として数多の“異物”を見極めてきた瞳。
しばらくの沈黙のあと――
「……まあ、名前はもう聞いてるけれど」
「レイア。識別コードL-02-6。」
「識別コード、ね……観察ユニットL-07Rの次はそれ? 不思議な子ね。でも、その真っすぐ見る目は嫌いじゃないわよ。」
そして静かに椅子の背にもたれながら、女王は続けた。
「わかったわ、ルナ。条件付きで滞在を認めます」
「ほんと!?」
「でも、ひとつだけ。責任はあなたが取るのよ。“誰を信じて誰を側に置くか”は、王族としての訓練の一部。あなたが決めたなら、あなたが守りなさい」
「……はい!」
ぱぁっとルナの顔が輝いた。
「ほら、レイア。あなた、これで晴れて城の一員よ!」
レイアは一瞬だけ、まばたきをした。
「承認、確認。滞在権限、取得」
「たまぁに感情ゼロなのが玉に瑕だけど……ま、これからね!」
それを聞いた女王は小さくため息をついた。
それは呆れにも似ていたが、どこか安心したような――母親としての、深い息だった。
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その帰り道、ふたりは再び城内を歩いていた。
「ねっ! 母上、ちょっと怖いけど、ちゃんと話せば分かってくれるでしょ!」
「理解可能。論理的合意を得るための交渉、成功と判定」
「でもさ、あれは交渉っていうより……おねだり、だったかもね」
ルナは小さく笑いながらそう呟いた。
ふと、中庭を通りかかったとき、ふたりの前で小さな騒ぎが起きた。
「痛っ……!」
小さな足が石畳にひっかかり、幼い少女がつまずいて倒れ込んだ。
手から落ちた花の籠が、ぱらぱらと地面に散らばる。
レイアは即座に駆け寄り、少女の肩を優しく支えた。
転倒時の傷を確認するように目を細めながら、そっとその身を起こす。
「……対象、外傷ほぼなし。支援行動、不要」
そして無言のまま、少女に手を差し出した。
少女がその手を取ると、レイアは少しだけ握り返す。
その瞬間、レイアの視線が少女の手元に落ちた。
ふいに、指先を見つめたまま、小さく呟く。
「……あたたかい」
「ありがとう、れいあちゃん!」
ぱっと笑って、少女は走っていった。
ルナはその光景を、そっと見つめていた。
(なんだろう……たったそれだけなのに、すごく)
胸の奥が、きゅっと鳴った。
「……ねえ、レイア」
「はい」
「やっぱり、あなたって……いい子よね」
レイアは少し首を傾げた。
「“いい子”の定義、曖昧です。再定義を要請します」
「……そこからか!」
ふたりの笑い声が、王城の空に、ほんの少しだけ混じった。